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71回目 "Tell Me How Long the Train's Been Gone" を読む(第1回)。James Baldwin はアメリカの黒人たちだけに留まらず私をも勇気づけてくれた作家です

このところ2週間ほど、一寸したきっかけがあってシモーヌ・ヴェーユの「重力と恩寵 "La Pesantuer et la Grace"」(岩波文庫本)を手にいれ読み始めました。最初の数ページを見ただけの大雑把な意味においてではあるのですが、この「重力」こそボールドウィンが一生涯に渡り戦い続けた相手だと直感した次第です。

これから読み始めるテキストは James Baldwin "Tell Me How Long the Train's Been Gone" Penguin Classics 2018, (a paperback) です。初版は 1968 年に The Dial Press から発行されています。


A. エピグラフ(題辞)に注目

この小説は Book 1 、Book 2、 Book 3 に分かれていてそれぞれには章のタイトルと共に、有名な詩や歌の一節が Epigraph として添えられています。

A-1. 小説の Title に添えられたエピグラフ

小説全体に対しては "Tell Me How Long the Train's Been Gone" なるタイトルに Epigraph には次の一節が添えられています

Never seen the like since I been born,
The people keep a-coming, and the train's done gone.
---TRADITIONAL

Traditional とされていることからこれが黒人霊歌の一節であると解ります。keep a-coming は keep coming と同じ意味だが、歌のリズムに合わせるための時間の存在を示すと理解できる。あるいは留まるところを知らず来続けることを強調する意味を持つと取ることもできるようだ。(Wiktionaryにある 'a-' に関する解説記事による。)

* train's done gone は train's been gone と同じ意味。
train はいわゆる白人たちの順調な・別格な生活・生き様が黒人たちの参入を拒否し続ける列車になぞらえていると私は理解します。Gospel Train の train と理解するのも良いかと思います。
gone は形容詞である (Wiktionary) 。
* the train's done gone の done は had を done に替えて用いる用法による(Wiktionary) 。


A-2. Book 1: The House Nigger に添えられたエピグラフ

W. H. Auden の有名な詩、"In Memory of W. B. Yeats" の最後の2行が Epigraph として利用されています。

In the prison of his days
Teach the free man how to praise.
--- W. H. Auden

日々の暮らしという牢獄にある
この自由な男に、こんな日々を「可」とする根拠を教えてください

ボールドウィンが一生涯、思い煩っていた重圧・困苦をprison (牢獄)と表現したものというのが今現在の私の理解です。この言葉はシモーヌ・ベーユの文書にある重力 "Pesanteur" に重なります。


A-3. Book 2: Is There Anybody There? Said the Traveller. に添えられたエピグラフ

伝説的なジャズ・ピアニスト、Fats Waller の曲・歌詞にあるフレーズのひとつが Book 2 のエピグラフに採用されています。

Ain't misbehaving.
Saving myself for you.
---Fats Waller
浮気はしません。あなたの為に身を慎むのです。


A-4. Book 3: Black Christopher に添えられたエピグラフ

ここでは黒人霊歌の一節がエピグラフにされています。"Steal away" "Swing low, sweet chariot" と言った黒人霊歌に共通するモチーフです。

Mother, take your daughter, father, take your son!
You better run to the city of refuge, you better run!
---TRADITIONAL


B. "Book 1" のはこの物語のクライマックスを思わせるシーンから始まります。

この小説は同じ劇団に所属し主役を演じるカップル、レオ(黒人男性)とバーバラ(白人女性)の物語です。

Book 1 の Epigraph: Teach the freeman how to praise in the prison of his day. (「苦しみの中にあって喜びを歌い上げる(そのような暮らしを肯定できるものに変える努力?)」)を頭の隅に置きながら私は読み進めます。

主役を演じるまでの地位を手にして、この日も舞台に上がったレオとバーバラ。レオが幕が上がるのとほぼ同時に心臓の発作を起こし、劇の中断と継続への意欲との決断を迫られます。レオの意欲も空しく、幕は降ろされ、レオは控室に運ばれ医師が駆け付け応急処置を開始します。次の原文は、発作による苦しみの中、意識がまだ何とか残っているレオの頭を去来した考え・事柄を、快復後に当人が思い返す文章です。

[原文 B-1] Then I decided that it was a death scene being played not on stage but on camera and pretended that the camera was placed in the ceiling, just above my head - a huge, long close-up, with lights, and eventually, music, to heighten my ineffable, dying speech. But I could think of nothing to say, though I turned to Barbara with my mouth wide open. The pressure of her hand increased very slightly. I felt tears roll out of my eyes and into my ears and on to my neck.
[和訳 B-1] 次の瞬間に私はそれを、ステージではなくてカメラの前で演じている死の場面であると判断しました。そしてカメラが天井に、丁度自分の頭上に備え付けられているとの思い込みで演技していると理解でした。そのシーンでは長い時間に渡り接近した位置からの引き伸ばされた映像が取られています。照明に加えてやがて音楽が強まり私の言葉にできない、死を間際にしたスピーチが撮影されているというものでした。それにも拘わらず私には何一つセリフが浮かびはしなかったのでした。自分の口を大きく開いてバーバラの方に目を遣っていたのでした。私の身体に添えられた彼女の掌の圧力がほんの僅かばかりですが高まりました。私の両目からは涙がこぼれ両耳にそして首筋にまで流れ落ちました。

Lines between line 11 and line 18 on page 5, "Tell Me How
Long the Train's Been Gone", Penguin Classics 2018

[原文 B-2] I heard my breathing were creating a sandstorm. There was a movement far from me, a movement all around me, all the faces except Barbara's disappeared, and a strange face, utterly isolated in the light, stood above me. It was a broad face, with brown hair and blue eyes, a big, aggressive nose, and fleshy lips. I recognized him immediately as the doctor. He reminded me -- or, rather, his nose reminded me -- of a Harlem barber who had sometimes cut my hair when I was a kid; the barber had had the biggest hands, the biggest fingers I had ever seen. One of his fingers, or each one of them, seemed bigger to me than my penis. I was only beginning to be terrified of the imperious bit of flesh, which was only at the beginning of its long career of blackmail.
[和訳 B-2] 私には自分の息が砂嵐を引き起こしているかのように聞こえました。遠くで物が動く気配がしました。私を取り巻いていた動き、全ての人々の顔、バーバラの顔以外の全ての顔は姿を消しました。するとこの部屋の明かりの中にこの場には不釣り合いな顔、馴染みのない顔が私の上方に現れました。幅広の大きな顔です。茶色の髪の毛と青い両目、大きくて精力的な鼻筋、太い唇をしています。私は躊躇うことなく医者だなと思いました。彼が、というより彼の鼻が、ハーレムの街にいた散髪屋の男を思い出させました。自分が幼い子供の時代、時々ながら散髪をしてもらった男です。この散髪屋の男は当時知っていた誰のものよりも大きい掌、大きい指をしていました。一本一本の指は自分のチンポよりもでかいと思ったのです。それは当時の私にとって、肉体というもの、それがその一部分でしかないのに、「威圧を受けている」と私に感じさせたのでした。初めての経験だったのですが、それがその後、延々と続くブラック・メイルの始まりだったのです。

《注釈》 blackmail: (Collins) にはこの単語の二番目の意味として the exertion of pressure or threats, especially unfairly, in an attempt to influence someone's actions とあります。

Lines between line 18 and line 31 on page 5, "Tell Me How
Long the Train's Been Gone", Penguin Classics 2018

この医者は、一本の注射を打たった後、身体を動かしてはダメだよと強く命じてこの場、役者たちの控えの間を離れます。バーバラとレオの二人が残るのですがバーバラはレオが動いたり声を出したりしない様、安静を保っているように監視を続けています。この時のレオの頭に去来した考え・事柄の叙述がつづきます。

打たれた注射の所為か極端な苦しみはやや治まり少しは落ち付きが戻ったようです。

[原文 B-3] The sound of my breathing was the only sound there was. My own panic, at once stifling like a cloak, and distant like the wind, made me realize how frightened Barbara was, and how gallant. I would not have liked to change places with her. We had known each other for many years; starved together, worked together, loved each other, suffered each other, made love; and yet the most tremendous consummation of our love was occurring now, as she patiently in love and terror, held my hand. I wondered what she was thinking. But I think she was not at all. She was concentrated. She was determined not to let me die.
[和訳 B-3] この場においてあったのは私の呼吸の音だけでした。一時は私を魔のシートの如く息の根を止めんばかりであったかと思うと、一瞬にして遠ざかり遠くから聞こえる風の音のようにもなったりする私の発作ですが、この時私をしてバーバラのことを頭に浮かべる余裕をくれました。私は彼女が大変な思いを強いられていること、またそれに勇敢に立ち向かっていることに気が付いたのです。彼女と私の立場が逆でなくてよかったことにも思い至ったのでした。二人は知り合ってから何年もがたっていました。一緒に飢えに苦しんだことも、働いたことも、愛し合ったことも、互いを苦しめ合ったことも、一緒に寝たこともありました。そうでありながらこれまでで最高の結婚した者同士の合体・確認を今この場で行っていることを意識したのでした。この時バーバラは優しく愛情をこめて、同時に心配で胸を一杯にしながら私の手を掌にのせていました。私は(この文章を書きながら)彼女が何を考えていたのかなとふと思ったのですが、何も考えてはいなかっただろうと思い直しました。彼女は一つのことに集中していたのです。彼女は私に死なせはしないぞと自分に言い続けていたのです。

Lines between line 33 on page 6 and line 7 on page 7,
"Tell Me How Long the Train's Been Gone", Penguin Classics 2018

この小説の冒頭の数ページには、心臓発作を生き延びたレオがバーバラの居たことの幸せを語ると共に、それ以上に他人に伝えたい心の闇の部分が恰もエピグラフの言葉の意味を解説するかのように、子供の頃の状況、そして若かりし頃の苦悩、等々、この小説の主題が次々と繰り出されます。

この部分は、読者を小説に引き込むために工夫を凝らしたプロローグです。


C. Study Notes の無償公開

以下にStudy Notes を無償公開します。今回は原書 Pages 1 - 24 に対応する部分です。これまでの様に冊子の形ではなく、A-5 サイズの用紙を用いて見開き型のファイル、左端をステープラーで止めることを前提にフォーマットしています。こうすることでお好みのページのみを印刷するのに便利であろうと考えた次第です。

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