甲冑を着て戦に行く武士のメンタルで服を着ています。
シンプルに自分に自信が無い。
そういうことを言うと言霊みたいな感じで、さらに自己肯定感が低くなるのは目に見えてるけど、どうしても自分本体だけの魅力度は薄いと考えている。
メイクや髪色、ネイル、洋服、人は着飾ろうと思えばいくらだってお金がかかる。
浪費家すぎて頼んだものがかなりの頻度で家に来るし、1日に配達が2回来た日や連日荷物を届けにきた日も多かったらしく、親が配達の人の顔を3人ぐらい覚えていた。
これを辞める事は無いと思うけど、感謝と共に各所に申し訳ないなとしか言えない。
私は自分本体に自信を見出せないので、自分をカスタムする事でようやく自信を得る。
そのために様々なサイトやSNSで今の流行りやこれから来そうなブランド、自分が心惹かれるアイテムを探すのは日常化しているし、何よりも得意だと思う。
実店舗、オンライン、海外、自分が気に入った物なら出来る限り購入をする。
自分で言うとかなりイタいけど、他人から見た私の印象は服好きそうな人、自分に合ってる服を着ている人だと思う。そして自信がありそうな人。
本当の自分はむしろその真逆、自信が無いからこそ入念に入念に強そうな自分を作り込んでいる状態である。
「すごいオシャレだよね〜、私だったら絶対そんな服着れないよぉ〜!」とか言われたことがある。
こちらだって世の中的にウケの良い服なんか絶対に着れない。
むしろ個性的な強いアイテムを取り込む事で自分も強くなれたような気分になるし、それが癖になってしまっているし、他人と近い服を着ると評価される部分がスタイルと顔の良し悪しだけになるのをよく知っている。
懐かしの双子コーデなんかまさにその典型例。
顔とスタイルの整った華奢でかわいい女の子と、そうでない者が同じ服を着るという恐ろしい行為。
私は学生時代にそれを経験したことはなかったけど、着るとするなら間違いなく後者の人間だった、公開処刑すぎる。
すれ違った人からそんな言葉が聞こえてきた日にはショックすぎて今よりさらに歪んだ人格が誕生していたと思うし、精神的に限界値を迎えると思う。
私にとって「オシャレをする」ということは甲冑を着て戦に行く武士と同じだし、特攻服を着てバイクを走らせる暴走族とも同じ。
彼らがどういうメンタルで着用してたのかは知らないけど、私はお気に入りの洋服を着て、お気に入りの物を持って、自分の好きなものに囲まれることで自信を得ているし、その武装で戦闘力を上げて世の中に戦いに行っている。
ちなみに、暴走族が本当に特攻服を着ているのかはよく知らない。
悲しいことに自信が無い人間は他人から舐められる、ネガティブな人間よりポジティブな人間の方が確実に好まれる。
心も体も健康で居る方が難しい世の中で逞しく生きるには私にはこれしか無いのである。
我ながらまたしても残念で、生きづらそうな文章を書いてしまった。
自分のオシャレに対する気持ち、おしまい。
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