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人類はお弁当を盛り付けるために進化してきた

先日、某ニュース番組のロボット特集で、このようなロボットが紹介されていた。

人型共同ロボットFoodlyである。

このロボットは食品工場での盛り付け作業を自動化するロボットで、
バラ積みされた唐揚げなどの食品を掴み、コンベアで流れてくるお弁当に一つ一つ盛り付けるという作業が可能である。

わざわざニュースで取り上げるほどのロボットか?とも思ったが、どうやら一つ一つ形の違う物体を認識して掴み、それを盛り付けるというのは高度な技術が必要なようである。

それは大層なことだ。
人類の技術は日々進化している。


ところで、このロボットはどうして人型なのだろうか。

画像認識のためだろうが、カメラの付いた機構は人間の頭のような形をしているし、頭の付け根は人間の首のように細くなっている。
胴体の上部から伸びる2本の腕は、関節の位置や向きも人間のままだ。

食品を認識して盛り付けるだけであれば、わざわざ人型にする必要はなさそうなのに、なぜこれほどまでに人型なのだろう。

仮説①一緒に作業する人間のストレス緩和

最初に思いつく仮説は、工場の他の労働者のストレス緩和である。

HPにも書かれているように、このロボットは基本的には工場内で人間と隣り合って作業することを想定して作られている。
ニュースで取り上げられていたお弁当の生産ラインでは、実際にFoodlyと人間の労働者が隣合って作業していた。

工場内なので基本的におしゃべりをすることはないだろうが、それにしても隣で作業をしているのが無機質なロボットであるよりも人型のロボットだった方が、心はいくらか楽だろう。

人は、たとえそれがロボットだったとしても、何かの目的を持って自動で動くものには生命性を感じてしまう。

実家のおばあちゃんもルンバのことを「ルンちゃん」と呼び、段差に落ちて充電が切れてしまったルンバを発見すると「何してんの!」と叱りつけている。

生き物の形をしていないロボットでも、人は愛せるのだ。
それが生き物の形をしていれば、なおさらだろう。
実際、犬型ロボットのアイボを本物の犬のようにペットとして可愛がる人がたくさんいたという話を聞いたことがある。

そういった理由から、一緒に働く人のストレス緩和のために人型にしているというのが一つ目の仮説だ。

仮説②人間スタッフの業務効率を落とさない

もう一つの説が、人間のスタッフの業務効率を考慮したというものだ。

HP内でもロボットの大きさや動きの速さは他の人間の邪魔にならず恐怖も与えないほどに調整されていると書かれている。

人間と同じ空間で作業する以上、人間の作業を阻害する要因は極力なくしたい。
そうすると、人型は合理的な回答となる。
なぜなら、動きの予測が立てやすいからだ。
人間と同じ位置、向きに関節がついていることで、人間とかけ離れた動きはできないような構造になっている。
だからこそ、思いもよらない方向に腕が動いてきて周りの人間がけがをする、ということも起こりづらいのだろう。

そして、人型であれば、今まで人間が作業していたラインの中にも後から組み込みやすい。
大規模なロボットを導入しようとすれば追加で工事が必要になることもあるだろうし、今までの作業スペースを変更したり、作業のやり方を考え直さないといけなくなるかもしれない。
一方、人型であれば今まで人がやっていた作業スペースにそのまま組み込めるので、導入のハードルが低いし周りのスタッフの作業も変更する必要がなくなる。

仮説③人間の形こそ至高

そして最有力なのがこの仮説である。
この仮説を僕個人としては推している。というより、こうだったらおもしろいなという希望が大いに混じっている。

市場経済の当然の帰結として、メーカーは無駄なものは作らなくなる。
必要のない機能を付けると、当然だが原価が上がって売値も上げざるを得なくなる。しかし必要のない機能は需要が全くないので、均衡価格よりも製品価格の方が高くなってしまい商品は売れなくなるからだ。

つまり、メーカーは意図があってFoodlyを人型にしている。

工業製品を作る上で、現場に馴染むデザインというのも大事だが、最も優先されるべきは必要な性能を最大限発揮できるデザインだろう。

見た目を優先するあまり本来の性能を損ねてしまったという事例は後を絶たない。
おしゃれ家電の代名詞であるバルミューダは何を血迷ったかスマホを発売したが、初代iPhoneを意識した丸っとしたデザインを意識しすぎるあまり、既存の置くだけ充電端末が使えなかったり、机に置くとくるくる回ったりと、使い勝手が極端に悪かった。
その結果全く売れず、わずか2年ほどでスマホ市場から撤退している。

Foodlyにおいても、本来の目的はお弁当の盛り付けなので、デザインもお弁当の盛り付けに最適化するというのが開発者の自然な発想だろう。

つまり、Foodlyの場合はお弁当の盛り付け機能を突き詰めた結果、人間の形にたどり着いた収斂進化のようなものだと考えるのが自然なのである!

今に至るまで、人類を含め生命は進化し続けてきた。
適者生存という言葉もあるが、置かれた環境に適応できたものだけが生き残ってこれたのだ。
そして今、人類は我々もよく知るあの形状で存続している。

その、人類の進化の果てにたどり着いた形状が、工場でお弁当に総菜を盛り付けるのに特化させたロボットと同じというのは、なんとも示唆に富む帰結ではなかろうか。


人類はお弁当を上手く盛り付けられるように進化してきた。
食事というのは我々を含めほとんどの生物にとって生存のために欠かせない行為だが、人類はその食事を「きれいに盛り付ける」というより高次な行為に最適化されたのである。
このことからは「この星の生態系の頂点は人類であり、衣食住を他種から脅かされることはない」という人類の傲慢さが感じられる。

人類は他の生物に対してもう少し謙虚になるべきだ。


ソファに座る同居人に頭を撫でられながらそんなことを考えていた。
何も言わなくてもエサをくれるし、ちょっと物陰に隠れていたら血相を変えて僕を探しだす。
きっとこいつは僕がいないと生きていけないのだ。
人類がみんなこいつのように謙虚だったら、もっといい世界だっただろうに。



以上、駄文でした。


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