『「わかってもらいたい」という病』香山リカ 苦しい社会を作る病
インフルエンサー的人気を誇る某お笑い芸人が「お前がいていいんだとか、お前が必要なんだとか、お前がいなきゃダメなんだとかー」と ”認めてもらいたい” 的なことを熱弁するCM。
ちょっと気持ちの悪いCMですが、こんな感じで世の中には「認めてもらいたい」「わかってもらいたい」「認めあおうゼ!」があふれています。「わかってもらいたい」という気持ちは誰にでもあるもので、わかってもらえないと悔しかったり悲しかったりムシャクシャしたりするものです。
ですが、あまりにも多い。どこを見ても「わかってもらいたい」「認めてもらいたい」「承認欲求がー」ばかり。
本書『「わかってもらいたい」という病』は、その「わかってもらいたい」とはなにかを精神科医(香山リカ氏)の立場から解説したものです。
SNS、女同士、パートナーや友人とー、「わかってもらいたい」があふれている
本書では「わかってもらいたい」のいくつかのケースを紹介しています。
SNSでのコミュニケーション、幼少期に母親から受けた心理的抑圧、女同士のマウンティング、夫やパートナーの無関心などから「わかってもらいたい」につながる心理が解説されています。
20年前に起きた「音羽お受験殺人事件」を例に、「わかってもらいたい」のそばには「わかり合えなければいけない」という強迫観念があることを指摘しています。行き過ぎた「誰からも好かれたい」という気持ちが、感じて当たり前のはずの「周囲との違和感」にまでも蓋をし、「わかり合えなければいけない」と過剰適応してしまう、と。
「わかってもらう」とは何なのか
どうなれば「わかってもらえた」という気持ちになるのかは人それぞれ。精神科診療のなかでは「正しく理解されても満足できない」ケースも珍しくないといいます。
本書で解説されている太宰治の極端な人格の偏りによる「わかってもらいたい」と、そんな太宰にハマってしまった女性たち、2017年に神奈川県座間市で起きた「自殺志願者」を狙った事件などは、「わかってもらいたい」が行きつく「闇」なのかもしれません。
こうした行き過ぎの害があることがわかっていても、簡単に捨てることのできない気持ちが「わかってもらいたい(願望)」なのです。
「わかってもらいたい」は社会の病
「わかってもらう」とはなんなのか、について著者は先のとおり、”これしかないのではないだろうか”という見解を示しています。
本書では精神科医として患者の「わかってもらいたい」に向き合う気持ちと、さらに著者自身の「わかってもらいたい」についても語られています。「わかってもらいたい」は人間ひとりひとりの「個」にあるもので、むしろ「個」だからこそ他人にはわかってもらえないものでしょう。
この本を読んで私が思ったのは「わかってもらいたい」はもはや社会の病では、ということ。「わかりあえなければならない」「認め合わなければならない」という社会風潮と、SNSなどで「身も蓋もないことをそれらしく言う」人の勢いが「わかってもらいたい」「こんなふうに認められたい」を増幅させ、わかってもらうことや、認めてもらうことこそが「成功」という苦しい社会を作っていく「病」にかかっているように思うのです。
「わかってほしい」という人として当然の気持ちがいかにしてこじれていくか。「わかってもらいたいけどわかってもらえない」と悩む人だけでなく、周囲の人の「わかってもらいたい」に少々ウンザリしている人にとっても、なんらかのヒントが得られる内容だと思います。
そして、自分の「わかってもらいたい」ってナンだろう、どういうことだろう、をちょっと考えてみるのも人間関係のポジション調整に役立つのではないでしょうか。
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