『ananの嘘』酒井順子 アンアンよ、どこへ行く!?
ほぼ同世代の雑誌『アンアン』は、私に多くの影響を与えてきた存在です。が、ここ10数年は本屋で手に取ることすらなくなりました。
私自身がアンアンのターゲット層(20代~30代女性)から外れた、つまり「オバさんになったから」といえばそれまでなんですが、「イヤイヤ、アンアンよ!アンタも変わっちまったよね」と私は言いたいのです。
で、こちらの本『ananの嘘』です。
アンアンや私と同世代のエッセイスト酒井順子氏が、アンアン誕生時から現在までを総括したものです。この本を読むと、アンアンが単なるファッション誌としてではなく、恋愛や結婚、セックス、スピリチュアルなど、様々な切り口で女性の生き方を模索してきたことがわかります。
が、アンアンは変わってしまった。アンアンはなぜ変わってしまったのでしょうか? いや、変わってしまったのはアンアンだけなのでしょうか。
芸能雑誌化していく『アンアン』
まずは現在のアンアンです。
マガジンハウス社のHPでバックナンバーの表紙を見てビックリ。これほどまでに芸能人(おもにジャニーズ)が多いとはあらためて驚きました。ですが、現在の読者層にとってはこれこそが『アンアン』なのです。
マガジンハウス社の前身は平凡出版。なので芸能雑誌化もまったく不思議なことではないのですが、昔はこうじゃなかったですよね? 読者が選ぶ ”好きな男、嫌いな男”(女性版もあり)が毎年発表され、キムタクが長年1位を守り続けー。そう!このあたりからですよ、私が「どうしたアンアン!?」「どこに行くのよアンアン!?」と思い始めたのは。
「痩せるー」「髪を切る―」あらゆる特集に芸能人が登場し、表紙を飾るようになったアンアン。
が、かつてのアンアンは「芸能人なんてかっこ悪い」というポジションだったのです。
1982年10月の352号では、
だったのです。
私がよく読んでいた当時(1980年代)アンアンといえば、モデルは専属(当時)の甲田益也子さん。芸能人やアイドルとはまったく異次元の神秘的な魅力が漂う女性でした(いまなおその独特な美しさは健在です)。その甲田さんに憧れてショートカットにし、鏡に映るおサルさんに涙したのも一度や二度ではありません。
それよりさらに以前、つまり創刊当時のアンアンは、これまでにない若い独身女性向け雑誌として先鋭的で知的な路線を歩もうとしていました。芸能人なんてガン無視。男性ウケを目指さず、自分が着たい服を好きなように着る最新のファッション誌ー。
アンアンはそんな存在だったのはずなのですが......。
カラダとスピリチュアルに傾倒していく『アンアン』
アンアンのもう一つの特徴といえば「カラダ」と「スピリチュアル」ネタです。
アンアンは創刊当初から積極的に裸を取り入れて(「ファミリー・ヌード」や「お見合いヌード写真」という連載もあったらしい!)いました。初めて「セックス特集」が組まれたのは1982年。先進的な試み「性の解放」としてのセックスの特集でした。
そして時代はバブル期(1980年代後半)。恋愛やセックスがディスコやカフェバーでの夜遊びと切っても切り離せない関係となり、”尻軽チャー”が世の中を覆うようになります。1989年の特集 「セックスで、きれいになる」は、セックスのカジュアル化、レジャー化の象徴だったのでしょう。
以後、「きれいなカラダ」やパーツごとの特集は何度も登場します。女性が自分自身を磨くためだけでなく、男性のカラダにあれこれと注文を付けるようになり、ジャニーズのアイドルやイケメン俳優たちが上半身をギリギリまで晒していくのです。
アンアンが粘着するのは「カラダ」だけではありません。「こころ」、スピリチュアル方面にも力を入れていきます。半期ごとの運勢を占う特集やスピリチュアル記事の台頭です。
バブルの崩壊や阪神大震災、地下鉄サリン事件(1995年)により世の中に暗澹としたムードが漂うその頃、アンアン紙上に江原啓之さんが登場します。数年前までディスコやカフェバーで踊り狂っていた(カフェバーでは踊りませんね)女性たちに霊的な癒しを与えていくのです。
私が「アンアンどこへ行く!?」と心配になり、興味を失っていったのはこの頃でした。「カラダ」や「スピリチュアル」がアンアンの特集で登場するたびに胡散臭さを感じるようになったのです。
そしてちょうどこの時期に私は結婚しました。男性ウケを目指さないと言いつつ、たびたび「結婚」を特集してきたアンアン。非モテ路線を突き進みたいけど、やっぱり「モテ」を完全に否定できない揺れるアンアン。先鋭的であり続けることは「モテ」や「結婚」からは遠ざかってしまうことに気づいてしまったアンアン。
結婚したからといって男女の悩みがなくなるわけではありませんが、結婚したことによって占いやスピ系にハマる要素がなくなっていたのです。変わったのはアンアンだけじゃなかった。私自身も変わっていたのです。
私が憧れた『アンアン』とは
10代後半の頃にむさぼるように読んだアンアンには、DCブランドの服やおしゃれな雑貨、インテリア(スタイリストといえば吉本由美さん!)があふれていました。
商品のクレジットに「東急ハンズ」や「ロフト」の文字を見るたびに、当時地元にはなかったそれらの存在に強く憧れたものです。「無印良品」も「ユニクロ」もまだない時代。 agnes b. (アニエスベー)のプレッションが大のお気に入りでした。”おしゃれグランプリ”の撮影会に参加したこともあったっけ......。
中年になった今の私は、アンアンが模索してきた女性像とはだいぶ違う気がしますが、アンアンは間違いなく「同じ時代を生きてきた同志」です。
これからも先進的で刺激的な話題を提供し続ける『アンアン』であってほしい(芸能誌化はほどほどに)と思います。
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