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映画『修道女』(1966年)のザックリとしたあらすじと見どころ

映画タイトル:修道女
原題:La Religieuse
製作年:1966年 フランス
監督:ジャック・リベット

映画『修道女』は、

18世紀のフランスを舞台に、さまざまな不幸、困難に見舞われる修道女のストーリーです。
ドニ・ディドロの1760年発表の小説を元にしたジャック・リベットによるこの作品は、当時"カトリックに冒涜的"として公開禁止となりました。宗教批判としてだけではなく社会批判、ジェンダー問題として、今見直しても興味深い1本です。

キャスト

・アンナ・カリーナ(シュザンヌ)
修道女

・ミシュリーヌ・プレール(モニ)
修道院長

・フランシーヌ・ベルジェ(サン・クリスティーヌ)
後任の修道院長

・リゼロッテ・プルファー(ド・シェル) 
転院先の院長

・フランシスコ・ラバル(モレル神父)

映画『修道女』の見どころと感想

18世紀のパリ。貧乏貴族の三女シュザンヌは半ば売られるように修道院に送られます。
が、請願の儀式の途中で拒否するシュザンヌ。家に戻ったものの3ヶ月の監禁下に置かれます。そして母親に「不義の子」であると知らされ、あきらめて修道院に入ることに。

再び請願の儀式。が、なぜか儀式中の記憶が抜け落ちているシュザンヌ。それでも修道院長のモニのやさしさに救われながら日々をすごします。

しかし、そのモニが死去。
後任の若い院長サン・クリスティーヌは独善的で、モニが禁じていた肉体的苦行を復活させ、とりわけシュザンヌに対し厳しい迫害を加えてきます。

シュザンヌは自分に請願の記憶がないことから修道女であることを取り消す訴訟を起こすことに。弁護士に手紙を書き準備を進める最中、指導的立場にある神父の計らいでシュザンヌは別の修道院に移籍することになります。

移り住んだ修道院は一転して明るく華やか。院長を取り囲む修道女たち。

しかしー。

評)なぜ神は弱き者の声を聞いてくれないのか

毒親、壮絶ないじめ、セクハラ、といった不幸のオンパレードのこの話。
気の毒ではあるもののシュザンヌ自身「自分が美しいがためにこんな目に……」ってなことをこぼしたり、転籍先の修道院の内情にピンとこない天然なところもあったりでちょっとめんどくさいところもある。つい「あなたにも落ち度がー」と思ってしまいそう。いかん、いかん。今にも通じるこの問題。何が救いとなるのでしょうか。

あらゆる愛想や妬みが修道院という神に仕える神聖な場に渦巻いている。むしろ修道院だからこそ起こりうる問題にも見えます。神はちゃんと見てくれているの? なぜ助けてくれないの? 信仰心の乏しい私はこの手の映画を見て毎度毎度、思います。

公開当初、カトリックに冒涜的と見られたこの映画。が、宗教批判としてだけではなく社会そのものへの批判、抵抗として置き換えてみることもできそうです。

シュザンヌの告発によって問題は露呈したものの、お偉いさんの2世だからという理由で罰せられなかったサン・クリスティーヌ院長。窮地を救ってくれるかに見えたモレル神父がまさかのー。

世間はなぜ弱者の声を聞いてくれないのか、見て見ぬふり、助けるふりだけで、なぜ本気で助けてくれないのか、なぜ事実を隠蔽するのか。

シュザンヌのラストの行動は、自身の中途半端な信仰への罰なのか、抵抗なのか。

映画『修道女』 時代を超えた普遍的な問題を問う1本です。



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