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『目の見えない私がヘレン・ケラーにつづる怒りと愛をこめた一方的な手紙』 ジョージナ・クリーグ  ひとりの人間としてのヘレン・ケラーを知る

『目の見えない私がヘレン・ケラーにつづる怒りと愛をこめた一方的な手紙』は、視覚障害を持つ著者ジョージナ・クリーグがずっと比較され続けてきたヘレン・ケラーに対し、「怒り」の手紙を綴ったものです。

もちろんヘレンからの返事はありません。しかしヘレンに対する著者の思いは、私たちが知る『奇跡の人』としてではなく、ひとりの人間としてのヘレン・ケラーの姿を描き出しています。

『目の見えない私がヘレン・ケラーにつづる怒りと愛をこめた一方的な手紙』の内容紹介

ヘレン・ケラーについてのあらゆる本、インタビュー、記事、その他の資料にあたってヘレンの実人生を研究しつくしてきた著者が、ときに視覚障害当事者としての自らの思いと重ね合わせながら、ヘレン・ケラーの人生の様々な局面をたどり直していく。これまで公に考えられてこなかった一人の女性としてのヘレンの喜び、苦しみ、悩み、挫折、野心やさらにはある「疑惑」や性の問題、秘めた恋愛、恩師サリヴァン先生との関係性などセンセーショナルな側面、そして誰もが避け得ない喪失と老いと死について……ヘレンと著者の二人の道行きとその果てに見た光景とは。苛烈で痛快、魂ゆさぶる再生の物語。

フィルムアート社HPより

著者ジョージナ・クリーグは大学の非常勤講師。全盲ではありませんが視力障害者です。幼いころから「なぜヘレン・ケラーのようにできないの」と比較され、その存在を疎ましく思う一方で、ヘレン・ケラーだって本当はもっと言いたいことがあったのではないか、偉人として伝えられている感動話だけでなく、もっと生々しい本音があったのではないか、という思いを抱いてきました。

手紙というやわらかい語り口ながら、内容は非常に辛辣です。サリヴァン先生との関係やその人間性、恋愛、性、金銭ー。およそ子どもが読む伝記「ヘレン・ケラー物語」には取り上げられることのない内容です。

しかしそこからは神格化されたヘレン・ケラーではなく、ひとりの人間、ひとりの女性ヘレン・ケラーが浮かび上がってきます。

評)ヘレン・ケラーを理解していたつもりの私にも向けられた「怒り」

映画『奇跡の人』(1962年)

ヘレン・ケラーと言えば、私の子ども時分から、子ども、特に女子が読む偉人伝の王道でした。

子どもが読む、正確に言えば「読まされた」のですが、当時の私は、耳も目も不自由という想像することすらできない状況を克服したヘレン・ケラーに対し、素直に感動したのか、それとも子どもながらに感動すべき存在、感動しなければならない存在と思っていたのか、たぶん後者でしょう。

本心は「目も見えない、耳も聞こえない世界」というのを想像するだけで怖かった。サリヴァン先生に厳しくかつ愛情深くしつけられたヘレンが ”ウォーター” を覚えるくだりも、感動すべき話として受け入れ、感動した気になっていたのでしょう。なので、ヘレン・ケラーに対してそれ以上の興味がわくことはありませんでした。

これこそが、この本の著者ジョージナ・クリーグが危惧するヘレン・ケラーあるいは障害者に対する「理解しているつもり」の思いです。著者の「怒り」は、ヘレン・ケラーにではなく「理解しているつもり」の私に向けられたものでもあるのです。

一人の人間としてのヘレン・ケラーを再認識する

ヘレン・ケラーについてザックリおさらいです。

1880年アメリカアラバマ州生まれ 両親とも南部の名家の生まれで裕福に育つ。が、生後1歳半のときにかかった病気がもとで視力と聴力を失ってしまう。家庭でのしつけがままならなくなり、パーキンス盲学校を通じて家庭教師が派遣されます。その家庭教師がアン・サリヴァン、『奇跡の人』と呼ばれるサリヴァン先生です。

私が知るヘレン・ケラーはここまでですが、本書ではその先の人生が鮮やかに描かれています。

ヘレンはラドクリフ・カレッジ(現在のハーバード大学)に進学し、執筆活動を始めます。24歳のときにサリヴァン先生がヘレンの著書の編集を担っていたジョン・メイシーと結婚し、3人での暮らしが始まります。が、実は三角関係ではなかったのか、と著者は手紙で問いただします。

さらに1909年にアメリカ社会党に入党し、政治活動を始めたヘレンは、ジョン・リード(映画『レッズ』のモデルとなったジャーナリスト)やエマ・ゴールドマン(フェミニスト 日本のアナキスト伊藤野枝に影響を与えた人物)らと交流があったといいます。そう、その時代の人なんですよね、ヘレンは。

ジャーナリストのピーター・フェイガンと婚約するが家族の猛反対で破談になり、ハリウッドで映画(自伝『救済』←失敗作だったらしい)に出演したり、ヴォードヴィルの舞台に立ったこともある。そして世界各国を回り、福祉活動に寄与し、1968年、87歳というかなり高齢で死去。

これはもう、子どもの頃に知った、偉人伝のヘレン・ケラーではありません。ひとりの人間、ヘレン・ケラーです。

著者が同じ視覚障害者として「怒り」を通じて和解に至る本書。私のように「理解しているつもり」の人に向けられた「怒り」もまた、真の姿を知る喜びに結実する究極の愛の書です。ぜひ。


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