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『女の一生』 モーパッサン  これは悲運なのか?

作家とタイトルは知っていても読んでいない本がたくさんあります。

これもその一つだったモーパッサンの『女の一生』
舞台を日本に変えて、映画やドラマにもなった作品です。

作者モーパッサン(ギ・ド・モーパッサン)はフランスの作家で、1880年代に多くの作品を発表。短編小説が多い作家ですが、いくつかの長編を残しており、この『女の一生』が代表作です。(1893年 精神を病んで43歳で没)

『女の一生』はこんな話

ザックリいうと、没落貴族の家に生まれた娘ジャンヌが、修道院を出てから世間知らずのまま結婚し、出産し、親と死別し、夫の関係に苦悩し、子供を溺愛し、というお話です。

が、ジャンヌの一生(というか半生ですが)は波乱万丈です。

詳しく見てみましょう。(注:ネタバレします)


父の希望で修道院に入っていたジャンヌは、その願いどおり何も知らない無垢な娘。イケメン子爵のジュリヤンに見初められて幸せの絶頂期に結婚します。

が、このジュリヤン、新婚旅行の途中からゲスな一面を見せてきます。ドケチで、ジャンヌが実家からもらったお金にも口うるさく干渉するクソ夫ジュリヤン。しかも女癖も悪い。婚前の同居初日にジャンヌの乳姉妹で女中のロザリを孕ませ、その後も友人となるフルヴィル伯爵の夫人とも不倫関係にー。家の中ではモラハラ三昧なのに、外ヅラだけはいいヤツなんです。

こんな夫ジュリヤンにさんざん苦しめられるジャンヌですが、ジャンヌが可哀そうかというと、そうとも思えない。ジャンヌ自身も問題アリなんですよ。あまりにも世間知らずで、夫を拒絶するわ、なにかと言えばすぐ両親に頼るわ、オロオロ泣くわ、挨拶に行ったご近所の貴族夫婦の様子を親も一緒になって真似して笑うわで、夫がイラつくのもわからなくはないのです。

長男ポールが生まれてからは、ジャンヌの関心のすべてはポールに注がれます。夫とフルヴィル伯爵夫人との不倫を知っても、それを問い詰めることもしませんでした。

そんななか、心臓を患いブクブク太って自分一人で歩くこともできなかった母が病死。遺品を整理しているときに、母にも夫以外の恋人がいたことを知りジャンヌは愕然とします。「もしポールが死んでしまったら、自分は一人になってしまう」そんな思いからもう一人子供が欲しいと考え始めたジャンヌですが、夫にその気は1ミリもない。司祭に相談し、その助言通りにジャンヌは妊娠します。

しかし、この老司祭が転勤になり、新しい司祭(トルビヤック神父)がやってきます。俗人だけど面倒見の良かった前任者と違い、厳格で神秘主義者でブチキレやすい新司祭によって、村全体も暗澹としたムードにー。そしてついに夫とフルヴィル伯爵夫人との不倫関係は伯爵の知るところとなり(これにもトルビヤック神父が一枚噛んどります、絶対!)ます。激高した伯爵は2人が密会中の小屋ごと山の斜面からドーンと突き落とし死に至らしめます。

夫の死後、ジャンヌは老いた父、存在感のない叔母と一緒にますます息子ポールを溺愛します。やがて、その父と叔母とも死別。1人になったジャンヌを支えるのは、かつて夫ジュリアンの子を産んだロザリです。ロザリはジャンヌのために屋敷に戻ってくるのです。

さあさあ、ジャンヌの苦難はまだまだ終わりませんよ!

成長し、就学のため家を出た息子ポールは方々に借金を作り、たまに金の無心の便りをよこすのみとなりますが、それでも溺愛し金を送るジャンヌ。が、そのバカ息子ポールともついに連絡が取れなくなります。

自分の一生はなんだったのかー、とふさぎ込むジャンヌのもとに、ポールからの手紙が届きます。一緒に暮らしている女性が子供を産んだが死に瀕している。子供を助けてほしいと。

ジャンヌに変わって迎えに行くロザリ。相手女性は死に、ロザリは女の子を連れてジャンヌのもとに戻ります。そして明日にはポールを帰ってくることを伝えます。

で、ラストにこう言うのです。

「世の中って、ねぇ、人が思うほどいいものでも悪いものでもありませんね」

評)ナメとんのか!ジャンヌ

なにイイ感じで、ハッピーエンドを気取っとんねん! という怒りはさておき、結婚、出産、子育て、夫との関係、親の存在、地域との付き合い(この話の中では司祭との付き合い)という、現代にも共通する要素ばかりのこの話。

どうです? わかるわー、と思いますか? 奥さん! 確かに夫ジュリアンはクソだけどジャンヌはあまりにも自分がないし、そんな風に育てた両親も問題では? ま、当時のおフランスの田舎貴族とはそういうものかもしれませんがー。

ジャンヌの子が立派なバカ息子になるのも不思議じゃない。ぜーんぜん不思議じゃない!バカ息子の娘だって、将来ろくな人間にはならんでしょうよ(言い過ぎ)。


バカ息子に逃げられたジャンヌときたら、「わたしはこの世では運がなかったんだよ」とか言っちゃうのですが、それに対し、苦労人ロザリはピシャリを言い放ちます。

「では、パンのために働かなくちゃならないとなったら、なんとおっしゃるでしょう? 日雇い仕事に行くために、毎朝6時に起きなくちゃならないとなったらね! ところで、そうしなくちゃならない人間は世の中にはたくさんいるんですよ。そして、年をとると、慰めのない暮らしのまま死んでいくんですよ」「いつかは別れなくちゃならないときがかならずあるものですよ。年寄りと若い者はいつまでもいっしょにいるようにはできていないのですからね」

『女の一生』新潮文庫 新庄嘉晃訳より

要約すると、「なに、ナメたこと言ってんの。アンタより厳しい状況の中で必死で生きている人間は山ほどいるんだよ! 目を覚まさんかい! 子離れせんかい、このババア!」

ということでしょう。私もそう思いますよ、ロザリさん!

『女の一生』は、「ある女」のお話

モーパッサンは、どういう狙いでこの話を書いたのでしょうね。「女の人生ってこんなモンっしょ」だったらムチャ腹立たしいし、「これぞ女の人生でございますっ!」というものも許しがたい。

モーパッサン自身は、少年時代を美しい自然環境のなかで芸術に造詣の深い母の影響を受けて育ちます。が、「普仏戦争」で召集され戦争を体験ー。このことが、モーパッサンの心に人生や人間に対する悲観的な見方を宿します。

その後小説を書き始めたモーパッサンは、短編『脂肪の塊』(コレ、むちゃくちゃオモシロいです)で文壇デビュー。たちまち才能を認められ、わずか10年足らずの執筆生活の中で作品を書きまくります。そんな多作のなか、この『女の一生』は完成までに数年を要した苦心の作なのです。自身の育った土地や家族との出来事を反映しつつ、願っても願っても幸せになれない「絶対的な悲観」を描きたかったのでしょうか。

「こんな女の一生って不幸でしょう、かわいそうでしょう。でもどうしようもないのよ、そういう存在なんだから」ってことなんでしょうかね。それも納得しがたいですが。

邦題がつけられたときに「女のー」とつけられているため、女性の人生に共通するなにかを考えがちですが、これは、ジャンヌという一人の女の物語です。

悲運に抗おうとしない女ジャンヌの一生(というか半生ですが)をご堪能下さい。






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