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よろしく老化。先輩が話をしているときは

2024年5月24日

昨日見たTVである50代の男性タレントが「老害がどこからかわからない」と語っていた。自分が良かれと思ってしている後輩への助言やサポートも「老害」と捉えられてしまう。むしろそうやって「老害、老害」という若い人こそこっちから見たら「若害」じゃないか、的なことを。

同世代として言いたいことはわからんでもない。
でも、この一連の話の中で出てきた「”いただきます”は言ったほうがイイよ」とか「自分が若い頃は、先輩が話をしているときは箸を置けと言われた」なんてことは「老害」と言われてもしょうがない。

自分がイイと思ったことを相手の状況に熟慮なく言ってしまうのも、自分の過去の経験を美化してしまうのも一種の「老化」なんだと思う。心の老化。

別に老化が悪いわけではない。みんな老いるんだし、身体が老いれば心も老いる。

「老害」という言葉が世に登場した当初は「突然キレる」とか「自分勝手で非常識な行動をとる」といった問題行動を意味していたけれど、その意味はどんどん拡大している。物忘れ、集中力の低下、感情の浮き沈み、思い込み、新しいことへの抵抗感といった普通の老化も今の社会にとっては「害」なんだろうな。

じゃあどうすればいいのかってなると、何の答えもないけれど、せめて自分の「老化」には自覚的でありたいと思う。いつまでも若くいることに固執していると、ホントは結構来ている「老化」に気づかないかもしれない。むしろ前向きに「老い」と仲良くしたい。先輩が話をしているときでも自分のタイミングで飲み食いしたい、する。


ちょっと話は変わって、「先輩が話をしているときは箸を置け」で思い出したこと。そんなことを言われた経験はないけれど、「ランチョンセミナー」なるものにモヤッとしたことが。

学会的な集まりで昼休みの時間を利用して行われる、多くは企業やスポンサーの広告的なセミナー。サンドイッチなんかもらえたりすることも。昼休みの時間なんだから弁当食べながら聞くつもりが、周りはガッツリ勉強モード。どうしたものか……と思ったこと思い出した。(もちろん弁当とサンドイッチは食べた)

ちなみに「ディナーショー」は高級ディナー食べながら歌を聴くんじゃないらしい。ショーが始まるまでに食べ終えなくてはいけないらしい。その時間は結構短いらしいし、ディナーもそう高級じゃないらしい。えらいこっちゃ。

いや、何の話してんだろ、老化か。ま、そういうことにしておこう。

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