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映画『サーミの血』(2016年)のザックリとしたあらすじと見どころ

映画タイトル:サーミの血
原題:Sameblod
製作年:2016年 スウェーデン・デンマーク・ノルウェー
 
監督:アマンダ・シェーネル

映画『サーミの血』は、

北欧スウェーデンの少数民族サーミ人。差別や偏見に抗って生きる少女と晩年のワンシーンを描いた映画です。少数民族に対する無意識による差別に気づかされる1本です。

キャスト

・レーネ=セシリア・スパルロク(エレ・マリャ)
少数民族サーミ人の少女

・ミーア=エリーカ・スパルロク(ニェンナ)
エレの妹

・マイ=ドリス・リンピ(クリスティーナ)
晩年のエレ・マリャ

・ユリウス・フレイシャンデル(ニクラス)
スウェーデンの都会で暮らす青年

・ハンナ・アルストロム
教師 スウェーデン人

映画『サーミの血』の見どころと感想

(C)2016 NORDISK FILM PRODUCTION

妹ニェンナの葬儀のため、息子に連れられてラップランドに帰郷する老女クリスティーナ。サーミ族(ラップ人)の故郷にわだかまりを持つクリスティーナは誰とも言葉を交わそうせず、祭司の「妹のニェンナは最期まであなたのためにトナカイのマーキングをしていた」という言葉にも「言葉(サーミ語)がわからない」と突き放します。

その後の食事会にも参加せず、一人ホテル部屋からトナカイの放牧に向かうサーミ族を眺めるクリスティーナは、故郷で過ごした10代を思い出します。

クリスティーナの本名はエレ・マリャ。父親を亡くし、トナカイの放牧をする母と妹と暮らしています。

やがて妹とともに寄宿学校に入学するエレ。聡明で賢いエレですが、学校の周辺で暮らす若者からは「臭い」など差別的な言葉を浴びせられ、学校内でもサーミ人を研究材料とする屈辱的な身体検査を強いられます。進学したいと言っても、「サーミ人の脳は文明を理解できないから無理」と受け入れられません。

そんなある日、サーミ人とは知らずにパーティに誘われたエレは、川で身体を洗って匂いを消しスウェーデン人(先生の名を借りてクリスティーナと名乗り)になりすましてパーティに参加します。そこでスウェーデン人青年のニコラスと親しくなりー。

評)「固有の文化を守ることを誇りに思っている」と決めてかかる差別

人種差別の映画としては切り口がちょっと異なる映画です。

が、前半の寄宿舎時代のエレに向けられるのは人種差別そのもの。学校周辺の若者とのいざこざから、耳の一部を切り取られるエレ。それはサーミ人にとって財産であるトナカイの所有権の証を連想させるもので、「お前はサーミ人なんだ」と刻印するかのような行為には胸糞必至です。

で、この後パーティから連れ戻され鞭打ちの罰を受けるエレは、サーミ人であることに決別し故郷を捨てます。

街に出たエレはスウェーデン人青年ニコラスの実家を訪ね短期滞在したり、学校に新入生としてもぐりこんだり頑張って生きていくわけですが、ここでも蔑視に晒されます。

それは故郷で味わったような露骨な差別ではありません。お茶会の席で人類学を専攻しているという女学生に伝統音楽のヨイクを歌ってほしいと言われるシーンのように「わたしたちは少数民族のことを理解をしています」というわかってる風の態度をとられる。これがこれほどキツイとは。

この映画を見て「少数民族の人たちは固有の文化を守ることを是として生きている。誇りに思っている。素晴らしいことだ」と思い込んでいた自分にハッとして、ゾッとしました。これが差別、これこそが差別なのです。

サーミ人であることを受け入れられないのが辛いんじゃない。ルーツが何であれ、自分は自分で生きていくー、それが阻まれることが辛いのです。

ラスト、風雪の中、山を登る老女クリスティーナの幻想的な姿は、「自分が自分であること」を揺らし続ける社会と、そして自分自身との戦いを象徴しているように見えました。

監督は自身もサーミ人の血を引くアマンダ・シェーネル。エレを演じるレーネ=セシリア・スパルロクもサーミ人で妹役は実妹。その自然すぎる演技は必見です。


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