『行かなくては…』
この話は2022年6月3日にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。そのままここに掲載いたします。これは掲載第176作目です。
手に取った本がきっかけとなり、しばらく訪れていない旅先に想いを馳せる。僕にはよくあることだ。トラベラー各位はいかがだろうか。人によってそのきっかけとなるものは本に加えて、映画、音楽、絵画、または、食べものと様々だろう。街を歩いていてふと見かけたものがきっかけとなるなんていうこともあるかもしれない。
SNSに生活を支配されていると言っても過言ではならなくなってきた様子の昨今はどうだろうか。情報過多という言い方では足りないくらいの量の情報が、さらにもの凄いスピードで押し寄せてくる。ひとつの情報がきっかけとなり懐かしい旅先を想う・・・思い出すきっかけはくれても想う時間は奪っていくのでは。
「物語 パリの歴史」。この本は古屋美登里さん(翻訳家・書評家)の書評で知った。いや、ツイートだったかもしれない。とにかく目を惹くカバーも手伝って即購入した。
パリの歴史がよく分かる一冊だった。読了後パリを何度も訪れていて知り尽くしているトラベラーでも、この本をヒントにパリを再び巡ったら、知らなかったパリに出逢えるいい旅になると思った。僕は将来のパリ再訪に備えて、「ここぞ」というところに付箋を貼りながら再読するつもりだ。
さらに、書かなくてはと何年も思っていたパリの話に取り掛かろうと思った。この本に出逢ったのは2020年。本の奥付をみると出版されたのが1月、その年のダイアリーによると読了が4月だった。この話を本当に書こうと思ってからあっという間にさらに2年経っていた。
レコードなら「ジャケ買い」してしまうほどのカバーですね。パリ好きのトラベラーで既にお読みになった方も多いことでしょう。未読でしたらお薦めいたします。
パリの話を書くのはこれが2作目。僕にいつか再びパリの話しをとずっと思い続けさせてきたものがあった。それはいまから17年ほど前に小・中学校の幼馴染がパリから贈ってくれた全て未使用の数々の絵葉書。ずっと目の届くところに置いていた。
その幼馴染の勤め先はフランスの航空会社で彼女は当時パリ在住。社内で売り出されていた絵葉書を厳選して僕に贈ってくれたのだ。
どうですか、この素晴らしさ。先を読んでいただく前にお時間をたっぷりと取って一枚ずつゆっくりご覧ください。
パリから絵葉書たちを運んでくれた封筒です。ラベルなどに異国情緒を感じませんか?いただいた絵葉書はこの封筒に保管しています。
当時の僕は既に航空業界を去っていた。僕が海外の旅先から彼女のいるパリへ、パリから都内の僕のところへという絵葉書のやり取りが結構長く続いた。
業界を離れても僕が変わらず旅好きでいるのを承知で、旅心をくすぐる絵葉書を社内で目にしたときに僕にと思ってくれたのだろう。いつまでも眺めていられるほどどれも本当に素晴らしい。
もとはポスターだったものを絵葉書にしたのではと思う。航空会社の、特に海外の航空会社のポスターは、古ければ古いほど旅への「憧れ」を与えてくれるものが多かった。「どんなところなのだろう?行ってみたいな。」と想像する時間も与えてくれた。海外旅行がなかなか手の届かないものだったころは、多くの人がこういうポスターを見て未踏の地に想いを馳せていたに違いない。
この話を書くにあたり、久しぶりに眺めてみた。「旅っていいよなぁ〜」と思わず声が出た。「憧れる」という感覚が久しぶりに甦ってきた。
インターネットで観たい景色を検索すれば夥しい数の写真や動画が目の前に現れてくる。一枚の絵葉書、一枚のポスターのほうがずっと見る側の想像を掻き立ててくれる。便利を想像力と引き換えてしまったのは大きい。
自分にとってのパリ・・・。振り返ると初めてのパリは1986年。大学に入って最初の夏休みにヨーロッパへパックツアーで行ったコースにパリが含まれていた。二日くらい滞在したただろうか。レザーの細いカジュアルなネクタイを二本買った。
二度目は翌1987年にイギリスで語学研修を終えた後で立ち寄った。そのときも二日くらいの滞在だったが、いまでも思い出すと自然と微笑んでしまうくらい楽しいひとときだった。
英語が分かるのに分からない振りをされるなど、トラベラーがパリで経験する嫌なことはひとつも経験しなかった。僕のパリに対する、フランスと言ってもいいかもれない、印象は極めてよろしい。
都内で買ったエッフェル塔の絵葉書がどっさりあった。スノードームもひとつあった。
飲みもののおまけに付いていた絵葉書と同じ航空会社の航空機のミニチュアも全種、今風の言い方でいうならば、「コンプリート」していた。
二つもっているトラベラーにもお馴染みにあの一点もののバッグの一つはトリコロールのデサインだった。
イギリスやアメリカ、そしてアジアに関心が向いていながらも自分の中のどこかで、長い間それも知らず知らずのうちにパリを意識していたようだ。
コツコツと買い集めていた手元にあるエッフェル塔の絵葉書。全て未使用です。この話を書いたのを機に少しずつ使っていこうと思っています。
エッフェル塔のスノードーム。左は弟夫婦からのお土産で、右は都内で10数年前に買いました。ドーム内の水は経年変化で、良く言えば、年代物の白ワインのような色になってしまっています。右の都内で買ったものはコレクター泣かせの「ドーム内地盤沈下」が起きてエッフェル塔が横を向いてしまっています。振るとドーム内のスノーとともに舞うのも時間の問題ではないかと・・・(涙)。
ジュースのおまけ全6種コンプリートです。これは2012年のジュースのキャンペーンに付いていたようです。未開封です。コンコルドもあります。マニア垂涎?
トラベラー各位も多分ひとつはお持ちのあの一点もののブランドのバッグです。色違いで二つ持っています。これは10数年前に都内で出逢って即買いでした。この大きさのバッグを最近都内のフラッグシップストアでチェックしましたが、価格の高騰に驚きました。
普段の読書の大半は旅のエッセイ、旅行記、旅日記だ。特に伊集院静さんの旅のエッセイは再読と新刊のチェックを続けている(小説ももちろんチェックしています)。故百瀬博教さんの旅のエッセイ「空翔ぶ不良」はいまでも年に数回再読するほどだ。
それぞれいまでも再読を繰り返しています。全てお薦めです。
お二方ともパリを旅した話をいくつも書いている。きっと思い出も思い入れもある特別な街だからだろう。伝わってくる街に対する思いは何度読んでも飽きない。
パリもニューヨークやロンドンと同じく、憧れの強さからか、多くの日本人が現地に降り立つと身構えてしまう街だと思う。特に日本の著名人がその三つの街を歩く旅番組などを観ても、街に違和感なく溶け込んでいた人は記憶にない。どんなに著名であっても、上品でいい身なりをしていてもどことなく街に負けている。敵わないのだ。それは東洋的なルックスの所為だけではない何かがあるのだと思う。
旅の経験はかなり積んできたと自負している。しかし、いま自分がTravelerを気取っていてパリに降り立っても、まだまだ「観光客」にしか見えないだろうということは十分承知している。まだまだ街には敵わない。
パリは学生時代に二度訪れた。世に出て働き始めてからは再訪していない。伊集院さんと百瀬さんの旅の話を読むようになったのは社会に出てからだ。二人の作家以外の旅の話も読み、それなりに人生経験も旅の経験も積んできたいまの自分の目にパリはどう映るだろうか。それを確かめにパリへ行ってみたくなってきた。
ゴールデンウイークに入った4月末に前作を投稿した。投稿を終えてホッとしたときに手にとった一冊は、和田誠・平野レミご夫妻の旅日記「旅の絵日記」だった。次はこのパリの話を書くつもりになっていたが、まだまだぼんやりとしていた。
面白くてあっという間に読了しました。自分の子供の頃の家族旅行を思い出しました。両親に感謝の気持ちが湧いてきました。
ご夫妻にご子息二人も一緒の旅日記は、成田からパリへ向かうフランスの航空会社の機内での平野レミさんの、いまで言うところの、「大クレーム」から始まる。偶然その航空会社は幼馴染が勤めている会社だった。
そういえば、何度も一緒に旅行をしたいまも親しくしてくれている航空会社時代の僕の同期もその会社に転職していたのを何年か前に知った(誰にでもいくら親しくても事細かに近況は尋ねません。元気でいてくれればいいので)。この展開はそろそろおまえもパリへ行って来いということなのかもしれない。
好きな作家たちに影響を与え、幼馴染が暮らし、同期もきっと仕事で頻繁に訪れているパリ。幼馴染がどう暮らし、同期が何を感じていたのかを想像しながらの旅も悪くない。行かなくては・・・。
でも、ヨーロッパといえばいま一番行きたいのはポルトガルなのだ。ポルトガル行きの計画を少しずつずっと温めている。パリが先か、それともポルトガルへ行く前後で立ち寄るか。一回の旅で複数の国を訪れるとなると慌ただしくなり、どちらの国でも中途半端な旅になってしまうことが危惧される。でも、いずれにせよ行かなくては・・・ということなのだろう。
追記:
この「みんなのストーリー」に投稿した前回のパリの話は『セーターの袖』というタイトルです。掲載は2009年の11月でした。未読の方は是非合わせてご笑覧ください。
「おとなの青春旅行」講談社現代新書 「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿
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