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【私家訳】マルティン・ハイデガー「メスキルヒ700年」

年末に地元に帰省し、「都市と地方の文化的格差」をめぐる私のこれまでの関心軸の原点となった懐かしいテキストを再読した。マルティン・ハイデガーの講演録“700 Jahre Meßkirch”。大学2年次の必修ドイツ語で講読したそのテキストは、ローカルな地域社会に「近代」の力が差し迫ることの及ぼす影響を問うものだった。

いま改めて当時の講義ノートを見返し、わたし自身にも影響が大きかったこの講演録の「私家訳」をまとめたい。この講演録が「メスキルヒ市市制700年」に寄せる講演であったことから、文中の「Meßkirch」を「わがまち」と訳出することとした。なお、私は哲学を専門にしておらず、訳出の不十分な点や解釈誤りについてはご容赦願いたい。私が伝えたいことは、このテキストと講義が、田舎から出てきた私の人生の主題として確かに突き刺さったということである。


夕べというものは、一日の夕べであろうと、人生の夕べであろうと、省察の時間である。「省察する」とは、集中して熟考することをいう。夕べに際して、私たちにはただ、今この一瞬だけが許されている。しかしながら、この「一瞬」という時間は、たとえそれが祝祭の週間がもたらす全てのものによってただちに覆われた時間であったとしても、(省察には)十分なものである。ひょっとすると、省察の一瞬というものは、時として、ある瞬間に後から再帰してくるものなのかもしれない。 それでは、今私たちはどのようにすれば、「私たちが一丸となった」方法で、熟考の瞬間が故郷のものとなるような省察をすることができるだろうか。最も自然に考えつくことは、故郷に思いを馳せることだ。今や、故郷について、すでにあまりにも多くのことが語られ、書かれてしまった。「故郷」という主題はそうこうするうちに、深いところにある理由から退屈なものになってしまった。おそらくはもっと熟考されてもよかっただろうに。 市制700年の記念祭に合わせて、一冊の郷土史が出版された。その本は「これまでの」について述べ、「今のわがまち」を報告している。私たちの故郷についてはそのようにして、すべてが十分に語られてしまったように思える。…しかし「全て」だろうか?わがまちの過去、わがまちの現在については、もうたくさんだ!さらに……わがまちの明日については、どうだろうか?もしこの問いを私たちが追求するなら、郷土史にはささやかな補足が生じることだろう。 それにも関わらず、誰もがすぐに、次のような反論をするだろう。私たちは明日について何を知り得るのか?未来について何が分かるのだろうか?最も賢い人でさえも、未来を予言することはできない。また、私たちのなかの比較的熟考することに練達している者も、最大限見積もってもせいぜい、「私たちは未来を知ることはできない」ということと、「なぜ私たちは未来を知ることができないか」ということくらいしか分からない。それにも関わらず、私たちはあえて問いの中にとどまろうとするのだろうか?わがまちの明日は?その未来は? 私たちがこの「故郷」に関する問いに対して信頼に足る一つの答えを得られるか、可能だとしてどの程度信頼できるかは、私たちが「未来」という言葉の意味するものについてどれほど理解するかに懸かっている。「未来」という言葉が次の数年、また次の数十年という今日から続く時代と同じほど私たちにとって重要だとすれば、どのようにしてこの期間が満たされるかを決して断言することはできないだろう。私たちが、後世の街の経済の概観をどのように予見できるか、農業経営や農民階級が今後どのように変化しうるか、学校教育制度がどのような経路を辿るのか、キリスト教信仰や教会がどれほど立場や威厳を保っているのか……といったことを打算して見積もっているとしてもだ。もしも私たちがこのような仕方で未来に見当をつけようとすれば、私たちは未来というものを、全てのものが不確かなまま留まっている現在の延長としてしか捉えることができないであろう。 しかしながら、私たちがもし未来をこのようなものとして理解するならば、今日の私たちには何がもたらされるのだろうか。このように捉えた場合、未来というものは、今日から続いていくものではなく、今日に向かって付き入るものに他ならない。今日という時間は、ひとりでに存在し、四方八方が閉鎖されている時間の断片ではない。今日という時間は、かつて在ったもの(過去)の中にその起源を持ち、同時に自らに向かって到来するもの(未来)に晒されている。 そのような、私たちの方へ到来しつつあるものは、絶えず私たちに向けられ、私たちを規定しているーー私たちに到来しつつあるものに注意を向けることも、どのようなものが私たちに向かって到来しつつあるのかを一義的に断言することもできないのだが。しかしその代わりに、あらゆるものには多様な表徴が存在する。表徴のうちのひとつは、町々や村々の家の屋根の上に列をなしているのが見えるテレビやラジオのアンテナである。この表徴はどのような行き先を指し示しているのか?それらの表徴は、外から見れば「人が住んでいる」ように見える場所には、人々はもはや「不在」だということを示している。人々はむしろ毎日毎時間、よその、魅力的で、扇動的で、時として楽しく、教え導いてくれるような情報に、(家にいながらにして)晒されているのだ。テレビやラジオの情報は、永続的で信頼できる滞在場所を対価なしで提供はしない。情報は、新しいものからもっとも新しいものへ、絶えず変化する。こういったすべての情報によって人々は呪縛され、引っ張られ、いわば「棲み家を引き払っている」のである。人が故郷から故郷ではないものへ引っ越している。かつて「故郷」と呼ばれていたものが解体し衰退する危機が迫っている。故郷ならざるものの暴力は、故郷のものがもはや太刀打ちできないほどに人々を圧倒しているかのように見える。どのようにして私たちは、故郷ならざるものの襲来に対して対抗することができるのだろうか?その方法はただ、私たちが寄与し、修繕し、守っている故郷の地力を絶え間なく喚起することであり、私たちが故郷の地力の源泉をいつも何度でも流れさせ、その流れや影響に正しい軌道を与えることである。 そのようなことは、取り巻く自然の力や歴史的な伝承の余韻が集積して残存し、風習や、昔から習慣とされ洗練された人々の生活の慣わしが期待されているような場所では、早くから可能になり、後々にも効力を保ち続ける。この重大な課題を、田舎のいち地域や小さな領邦都市だけが十分に満たすことができるーーそれらの地方が、自らの並外れた定めを常に再発見し続けること、大規模都市での生活や近代的な工場の大々的な情報に対して、それらの地方が境界を引くすべを心得ていること、そして、それらの地方が、都市的なるものを自らを導く模範として定めるのではなく、自分たちの固有性をしっかりと保持し郷土のものを守ることが、前提だが。この前提のために二段階の事柄が必要である。 まず第一に、私たちは「故郷ならざるもの」をそれ自体として分別したが、それによって「故郷ならざるもの」が喚起され、規定されてしまった。そのために、私たちが普段ははっきりと見えない、故郷のものの地力の本質を休閑地として萎縮したままにさせておかないということだ。 この二段階の要求が十分なものであるがため、この(市制700年の)祝祭はひとつのよい「きっかけ」、言い換えるなら「適切な祝祭」になりうるだろう。 それ以前に、故郷ならざるものと、故郷ならざるものに押し寄せている脅威、そして故郷ならざるものに作用する力を、明晰さを持って見ることが重要である。 可能性が存在し、日々ますます多くが見つけられるようになってきている結果、人々が故郷と称するものを持っていないことに困っておらず、必要ともしていないような状態が生じている。では、もし故郷が衰亡しなければならない時には、何が存在するだろうか?その時には人々にとってはまた、もはや「故郷ならざるもの」も同様に存在しないだろう。そして、そうだとすれば?そうだとすれば、新しいものから最新のものへと向かう、人が自らの力以上のものを絶え間なく発揮する作為物によって追求する変化ばかりが存在しているだろう。この可能性に際して、もし私たちが故郷を扱い出し、手入れしてやる用意があるのであれば、私たちは目を閉ざすべきではない。 あらゆる場所で、常に、私たちは極めて多種多様な形質の中に、こんにちの世界の現実を決定づけているものを見ている。それは、すでに地球全体、いや、それどころか宇宙の領域をも支配する、近代の技術である。もし今日、たびたび言及されるように、未開発地域の部族に近代技術の業績や成果、利用可能なものを贈る必要があるとすれば、近代の技術によって彼らから最も固有なものと祖先から受け継いだものが奪われ、破壊されてしまうのではないか、彼らが故郷から故郷ならざるもののなかに追放されないだろうかという問いが立ち上がっている。ひょっとするとしかし、「開発援助」は結局のところ、できる限り迅速かつ明確に世界規模で商取引を開始し、それによって地上の支配に係る巨大な力の闘争の中で、権力手段を勝ち取ることについての比類なき努力において、高度に進歩していることを自称する民衆と国家の競争以外の何物でもないのかもしれない。この支配の形式は、絶対的な技術力を持った国家によって、紋切り型にされてきた。 決して偶然には、人は技術の時代について口にしない。この近代という時代自身は、この時代の歴史の中で、すべての近代の技術を継続的に自身の外部へと駆り立てる謎めいた狂乱に支配されている。一昔前はまだ、近代の時代は「原子力の時代」という名前だった。すでに時代遅れとなったその名は、今や「ロケットの時代」という名に代替されている。一夜にして異なる称号が浮かび上がるのだろう。 誰もが技術加工による製品の登場を知っており、人々はそれらに驚嘆している。そしてそれにもかかわらず、誰もこのことにどのような含意があるか、どうして今日の人々が、増大していく大衆の中で、限度を超えた活動性へ挑まされているのかを知らない。そのような方法で人々の優位に立つことは、それ自体がわがまちの、単なる人間の被造物でありうることさえない。それゆえに、謎めいて不気味なままである。しかし、まさにこの不気味なものは、故郷ならざるものを支配し、人々のものに故郷ならざるものを通じて向かってきて、人々の未来を期待するものである。明日がようやく今日から向かう最初の未来なのではなく、今日的なものの中で未来が非常に支配的なのである。 わがまちの将来?それは、技術の時代の網の目に巻き込まれている状態になるだろう。もはやこの街のみならず、またもはや私たちの国のみならず、ヨーロッパのみならず、この地球の人々にとって、近代の技術の支配と、それによって引き起こされた何らかの意味での世界的変化に際して、故郷は存在しうるのか、という問いが立ち上がるだろう。ひょっとすると人々は、故郷なき状態のうちに住まっているのかも知れない。またひょっとすると、故郷へ向かう心の動きは、近代の人間に存在しないのかも知れない。しかしまたひょっとすると、故郷ならざるものが殺到する中で、故郷との新たな可能性が見出される前触れがあるかも知れない。ひょっとすると、私たちがたった今臨んでいるこの祝祭は、新たな可能性の準備に寄与し、そのことによって明日のための意味を獲得することができるかも知れない。かなりの数の人はこの祝祭に疑問を持つかも知れない。それも、故郷ならざるものの優勢と、不気味なものが、故郷へ向かういずれの心の動きをも妨げているように見えるからだ。しかし、真実は全く異なった事情なのである。 私たちの言語は、故郷へ向かう心の動きを「郷愁」と呼ぶ。その名の下で、故郷は、そのほかにはどこにもないほどに現在の故郷として差し迫っている。ここにおいて、現代の人々にとって、至るところで人々が「家に住まっているとともに、どこにも住まっていない」がために、郷愁を失ってしまったかのように見える。郷愁が何重にもこうした外観を身に纏っているのに関わらず、私たちはこの主張に注意しなければならない。故郷へ向かう心の動きは、今なお私たちがかろうじて守っている奇妙な方法によって活気を保っている全てのものがあると、最も推測し難いような場所に、最も多く存在している。 私たちはこの奇妙な方法をよく、そして長く考えるならば、郷愁は人々が、自分たちを楽しませ、魅惑し、自分たちの時間を使い、その時間を人間から奪い取って短くさせるような、故郷ならざるものの中に絶えず移動していくところに、今も生きている。なぜなら、彼らはあまりにも長い間郷愁から離れたままになっていたからだ。人々はもはや、自分たちの自由な時間を外化され、ひとりになった状態では、どうしたら良いのかわからない。これはどういうことだろうか?それは、何かとても奇妙なことーーもはや何のためにも時間を持っていない現代の人々にとって、時間は、もし彼らがそれを自由に使えるとすれば、長すぎるということである。人間は、長い時間を、暇つぶしを通じ短縮することによって、追い払わなければならない。 気晴らしは退屈さを除去するべきものであり、それが無理でも少なくとも退屈さを覆い隠し忘れさせるべきものである。どんな退屈さのことを言っているのか?私たちが、一冊の本、一本の映画、一回の講演といった特定の何かによって退屈させられーーつまり、空虚なままにさせられ、無駄に引き留められている時、私たちを襲うような、時々浮かび上がっては急速に過ぎ去るあの退屈さではない。 そのような退屈なものや退屈さを私たちは容易に乗り越える。その退屈さは、私たちが「それは退屈だ」という時に想定するあの退屈さとは完全に異なっている。私たちは、私たちが退屈しているような、はっきりとしたものである、彼我の事柄も、彼我の人々も、彼我の出来事も、少しもそこに見出しておらず、むしろこの「それは退屈だ」という発話の中では、すべての退屈な状態にあるものや、同様に同程度の弱さの力をまた全てのものは、もはや私たちには言葉を投げかけてこない。なぜなら、深い退屈は、私たちの世界の存在を完全に付き従えるものだからだ。 結局私たちは、這いずるように忍び寄る霧のように、私たちの世界内存在の深淵の中で、あちこちをさすらう深い退屈として存立するのか。 ここで問いを私たちは投げかける。「なぜ、まさに今、『故郷の夕べ』なのか?」それは、私たちが一瞬のうちに、この「故郷の夕べ」について、近代技術世界の故郷ならざるものの中でも、故郷はまだ存在するか否か、またどうやって存在するかといったことを深く考えるからである。この問いはまだ存在しているが、探究されているものとして私たちと関わっている。それはおそらく、日常的に私たちに、故郷ならざるものの中で奇妙なもの、刺激的なもの、魅惑的なものが提供する、すべて暇つぶしの中に私たちを巻き込むような深い退屈という、ほぼ注意を払われていない根本心情である。しかし、さらにこういったことが言える。おそらくこの深い退屈、暇つぶしに熱中するという形式の中にある退屈は、秘められ明らかにされず、排除されながらも避けがたく存在する故郷へ向かう心の動きーー「秘められた郷愁」である。私たちの言葉は、思う時よりも、より深く考えて発話される。私たちの言葉は、ある人が郷愁を覚える時に「郷愁には長い時間がある」と語る。私たちの言葉は私たちが意図するよりも深い考えを発する。私たちが過ごしている長い時間は、もはや私たちにその中では訴えかけてくれず、それでも同時に、私たちに全てを与えるよう要求し、その結果時間を決して無駄にさせず、必要とさせない方法によって私たちに訴えかけてくるような、長い「間」以外の何物でもないのである。 「小さな間」については「短い時間で」と言っている。長い時間は、「退屈」という。推測するに、技術世界の故郷ならざるものと、探されているあるひとつの故郷へと向かう秘められた心の動きとは、互いに密接な関係にあるのかもしれない。というのは、技術をもたらす装置一式も、それらの機能や急場での助けも、果てしない活動性も、今なおどんどん向上していく発明の力も、私たちに故郷を与えることーーつまり、私たちの現存在の核心において、私たちを担保し、その現存在を規定し、成長させることを、可能にはしない。 深い退屈、長い時間、郷愁、これらは絶え間なく続く故郷へ向かう心の動き、すなわち邪魔されず故郷へ向かう心性を立証している。 また、全ての故郷ならざるものの中で、それが覆い隠されているのにも関わらず、求められた故郷が私たちのもとに差し迫っている。その故郷たちはそれぞれの本質において、繰り返し私たちに触れるので、私たちは必ずや故郷を出迎えることにならざるを得ない。しかし、どのように出迎えることになっているのか?それは、私たちが、そこに由来して私たちの元にやってくるようなものを進んで守る意思があるような方法で、である。またこの未来には、しるしがある。もし私たちが昔の、ずっとむかしの同郷人であるところの私たちの友人、信頼する人、知人を再発見しようとするなら、その時には私たちはすでに墓地で、地下に眠る彼らの幾人かを探さなくてはならない。このことは私たちによって語られている。しかしまた、慣習から外れたゆっくりとやってくる名前、「墓地」の方がより意味深長だ。この言葉は、例えば次のような、さまざまな解釈を許容する。この畑には、いつも新たに存在したものの記憶の種が撒かれている。そして、この畑では、母屋や青年時代の思い出が、実り豊かなもの、変わることの無いもの、そしてまた時には深い意味をもった思い出として、有益さをもたらす全ての力能及び、権力とともに成長している。私たちの元にやってくる故郷ならざるものを、私たちは未来から離れたところで必ず出迎えざるを得ない。そのようにして、私たちに騒がしいことや、荒れ狂っている事柄に静けさや沈黙をもたらすのである。それゆえに、わがまちの大芸術家による、作品の展示が、街の記念祭の中心を成している。その展示が、真の要素であるーーつまり言うなれば、本来の意味としてのFestである。そしてその仕事は、私たちが、ただ絵画の美しさでもって私たち自身を楽しませるだけのきっかけでも、またただ大芸術家の業績を賛美させるだけの機会でもない。展示は、故郷の人々の集いへと向かう仕事ーー言い換えれば、故郷なるものに向かって帰り道を見つける手がかりである。それゆえに、わがまちの市長が展示というアイデアを理解するのみならず、実際に実現したということは、わがまちの市長の大きな功績である。同様に、近年発見されたコンラディン・クロイツァーのオーケストラ・ミサの上演は、静かに働いている故郷へと向かう力を想起させる。最後に、私は次の発言を挟ませてもらおう。この発言は、当時のコンスタンツの都市教区司祭だった、グローバー大司教が、17歳のギムナジウム生だった私に贈った1冊の哲学書の中の一文である。その哲学書は、私の思考の歩み全体にとって、決定的な影響を与えている。「もし私たちが静けさの中で、作用しているものをひたすら保護・育成すれば、ひとつの物事が別の物事へと手を伸ばし、食いこんでいく。」
  故郷ならざるもののただ中において、私たちは故郷への帰還を遂行する。そのような帰郷は、もし私たちが丹念に、そして慌てず、故郷への路に留まるのであれば可能になり、故郷ならざるものの方へ奪い去られている全てのものを常に新たに追い越えていくことを可能にする。
   未来に関する省察を通じ、私たちは正しく理解され、真に身体化された過去を救済するための力を呼び覚ます。そのような道のりをたどって、私たちはようやく、私たちが未来と過去との間で根気よく耐え抜き保ち続けなければならない「今日」に到達する。そのような忍耐は私たちを助け、あらゆる変化に直面しながら持ちこたえているものにも、あるべき姿を呼び覚ますことを可能とさせる。
   この「夕べ」ーーすなわち、振り返りの省察のための時間、熟考のひととき。考えることは、たしかに重大な、深淵な事柄であるが、同時に祝祭のように華やかな事柄でもある。そして思考の中において、理解は、解き放たれ、ことほがれるもののなかに生じる。省察は、塞ぎ込むことではなく、むしろ全てのものが晴れやかに、明るくなり、分かりやすくような快活さの中にある。
  そしてまた、私が話したことは、家々を花で豊かに、丁寧に飾った住民が住んでいる故郷の街の中心でこの夕べに際し灯された小さなひとつの光明であり、住民たちが正しい暮らしに勤しむ意志をみせているということのしるし以外の何物ではないのかも知れない。
   どれほど長くこのともされた小さな光明が輝くのか、どれほど早く消えるのか。この問いは、私たち、故郷の夕べが、きょう、喜ばしい遊動と旧友との語らいの方向へ集め導いた、私たち各個人にかかっているのだ。