総曲輪通りでつかまえて(1) 絲山秋子『まっとうな人生』と、追憶のなかの富山
芥川賞作家、絲山秋子さんの『まっとうな人生』(河出書房新社,2022)を読んだ。
コロナ禍の富山県での暮らしを、結婚を機に移住した「花ちゃん」(『逃亡くそたわけ』の主人公でもある)の視点から描いた一冊。
「たびのひと」として北陸の地で暮らす中で去来するさざ波立つ微細な感情と情景の描写に、私自身の同県で暮らした2年間が重なった。
作品の時系列は、コロナ禍に入る直前の2019年4月から2021年10月まで。私自身は2020年の3月に富山を離れているけれど、「花ちゃん」と同じ時空間を共有していたことになる。
読み進めながら、私自身が同地で思い入れ深かった場所や、暮らしの中で感じていたことを少しずつ振り返りたくなった。
「第1波」が目の前にせまる最中に北陸を離れた私にとって、同地での思い出は「コロナ前の世界」そのものだった。これまでも断片的に当時見聞きしてきたものに触れてきたけど、暮らしそのものへの言及は限定的だった。
けれど、『まっとうな人生』にきっかけをもらった今、もう少しだけ記憶を辿って、当時と今とをつないでみたい。
「総曲輪」は「そうがわ」と読む。富山城の外堀に由来する地名だという。
今以上に動物園や水族館への遠征に熱を上げていた当時の私にとって、この街での思い出は「たびのひと」としての自分自身を強く意識させるもので、それで少しだけ振り返りをためらってきたのかもしれない。
でも、思い出したのだからはっきりと輪郭を与えたい。日々に追いまくられて全部忘れ去ってしまう前に。