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動物たちのエスノグラフィー──幼い頃の日記より


アフリカえんのちかくのチンパンジーのいるばしょでは、ふたりのチンパンジーがカップルかどうかわかりませんが、だきあっていて、子どもがデート(かな……)のじゃまをしていました。立ち上がってワオーとおどかしましたが、それでもはなれないので、子ザルはつぎの手を考えていました。


   この記述は、私が小学生の頃、愛知県豊橋市の「のんほいパーク」に連れて行ってもらった日に書いた日記の抜粋です。

    あの日、「立ち上がってワオーとおどか」す姿で、鮮烈な印象を幼い私の心に残していったチンパンジーの子。

   10年以上の歳月を経て、愛知県犬山市の 「日本モンキーセンター」で再会したあの子──マルコさんは、一児の母として子育てに奮闘していました。

(息子のマモルと向き合うマルコさん。愛知県犬山市,日本モンキーセンターにて,筆者撮影)

    さて、唐突な問いかけになりますが、「むかし訪れた動物園や水族館で見かけて、強く印象に残った生きもの」のことを、今この記事を読んでいる皆さんは思い出すことはありますか。

    私は、動物園や水族館という場の現代における意義や存立構造を考えていく時に、「その場所を訪れた人々の想い出/愛着」という要素は、決して無視できない重みを持っているのではないか、と感じています。


     日本動物園水族館協会は、「4つの役割」のひとつに「種の保存」を掲げています。

    人間の活動によって数が少なくなった生きものたちを次世代に繋いでいく動物園の取り組みが進む中、「繁殖計画」や、「ブリーディングローン」といった仕組みによって、動物たちが都道府県、更には国と国という枠を超え、行き来していることが知られるようになりました。

希少な動物を絶やさず増やしていくために、動物園や水族館同士で動物を貸したり借りたりするブリーディングローンという制度をつくり、協力して種の保存を実行しています。 希少な動物は、個人や動物園・水族館の持ち物ではなく、世界共通の財産であるという考えに基づいています。(日本動物園水族館協会HPより)

    将来、いなくなってしまうかも知れない動物たちの子孫を残すための移動。

   その意義の重さは動物たちの未来について一度でも考えを巡らせたことのある人なら、頷ける部分は少なからずあると思います。

    一方で、ヒトという生きものには、過去に関する記憶と、それに紐づけられた愛着という情動があります。
    世界全体を射程に入れた遠大な理念と、きわめて個人的な想い出や愛着。動物園に足を運び続ける観客はしばしば、その狭間のせめぎ合いで葛藤します。

    かつてならば、愛着のある生きものが何らかの理由でほかの場所へ移動した時、観客の立場でその後の様子を知りうる機会は非常に限られていたかも知れません。
    しかし、通信技術と交通網の整備によって、生きものたちの「来し方行く末」を知ることがかつてよりはるかに平易になりました。大型類人猿など、種によっては、現在までの履歴が一覧化されている場合もあります。

    このような状況下で、動物園や水族館で暮らす生きものたちに強い愛着を持ち、その生活史を連続的に追い続け、発信しようとする試みが、動物園や水族館を訪れる観客たちによって実践されつつあります。
    その発信の現場(多くはSNS等の簡便かつ拡散性の高い媒体が用いられる傾向があります)においては、かつて文化人類学者たちが様々な地域や民族の生活拠点を直接訪れ、「エスノグラフィー」を描き、「厚い記述」を残したことと軌を一にするような実践が、「ヒト以外の生きもの」を対象に繰り広げられているように感ぜられます。
    かく述べている私自身もまた、過去に訪ねた動物園や水族館を再訪する時、自分自身の記憶がいかにリライトされるだろうか、という関心を心の片隅に置いている自認があります。


本や映像からでは得ることのできない、生き物のにおいや鳴き声を実際に体験できるのも、動物園の特徴です。また、生き物を見ているうちに「この生き物は、どんなところに住んでいるのかな」「何を食べるのかな」などと思うでしょう。それに答えてくれるのが、動物園や水族館です。 (日本動物園水族館協会HPより)

    動物園や水族館は科学教育の場でもあることが、日本動物園水族館協会の「4つの役割」の説明として語られています。

    しかし、動物園・水族館での生きものたちの生活史を記録し発信しようとする人たちの実践は、どちらかといえば人文社会科学的な方法論に基づいたものであり、日本動物園水族館協会によって例示される環境生態学や生物学といった「自然科学」の領域のみにとどまりません。

   この「園館と観客との、微妙な着眼点の差異」にこそ、現代の動物園や水族館が直面している様々な課題が映し出されていると言えそうです。

  ヒトは、物語る生きものです。生きものをまなざし続ける過程で紡がれた物語の中に込められたエモーションと、生きものや生態系を取り巻く現状についての科学的理解は併存しうるのか、私は実のところまだ結論を出せずにいます。

  けれど、この問いを折に触れて再考することは、動物園・水族館という場の持続可能な未来を考えていく上で、意義あることではないのかな、とも思うのです。


(マルコさんとマモル。愛知県犬山市,日本モンキーセンターにて,筆者撮影)