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「君が正義の味方になる必要はない」

 

 「君が正義の味方になる必要はない」

 これは、以前、私がある生徒に言ったことばです。

 

 生徒2人が、些細なことで喧嘩をしていました。話を聞いたところ、朝、顔を合わせた2人でしたが、一方の生徒が「おはよう」と挨拶したのに対して、相手が不機嫌そうな態度だった、という理由で、つかみかかりました。つかまれた生徒は、反射的に相手に手が出てしまった、ということでした。

 この話の中には、いくつか「おや?」と思うところがあります。

 まず、「挨拶したのに不機嫌そうな態度をされた」、この「不機嫌そう」というのは、相手の「思い込み」なのではないか、ということです。実際につかまれた生徒に「不機嫌だったの?」と尋ねると、「いや、そんなつもりはなくて。でもいつもより声が小さかったのかな?覚えていません」と。

 人間は誰でも、「思いこみ」という眼鏡をかけて生きている、と私は思っています。その眼鏡は、簡単には捨てられない。なかなか、外しにくい場所にあるのだと思います。だから、挨拶の声が小さくても「あれ?今日、なんだか元気ないな、どうしたんだろう」ぐらいに考えておくのはどうでしょうか。

 もうひとつの「おや?」は、「つかみかかった」というところです。「挨拶をしないのはよくないから」と言いますが、でも、つかみかかってよいのかと言われたら、それは違います。確かに、挨拶は大事ですが、「挨拶は大きな声でするもの(するべき)」という、ある意味「正義」を、子どもが振りかざすのは好ましくない、というのが私の考えです。個人の心がけならもちろんよいのです。実際、つかみかかった生徒は、いつでもどこでも大きな声で挨拶ができる、元気のいい子です。だからこそ、友達にも大きな声で挨拶をしてほしかったのかもしれない。その気持ちはわかりますが、でも、それを振りかざして、相手に力で向かって行くのはよくないと思うのです。できない人に、力で向かって行くのは、よくない。

 ちょっと話はずれてしまうかもしれませんが、「正義」は、とても儚いものだと思っています。人の心にある「正義」は、それぞれ違う。育った環境が違えば、何が正しいのかだって違います。道徳的に「正しいこと」というのは存在しています。でも、それを各自が本当に理解して実践できているのかと言われたら、大人だって難しいです。それほど、儚い。だから、「正義」を振りかざしてほしくないのです。儚い武器で立ち向かわないでほしい。それよりも、「もしかして・・・」と相手の気持ちを想像する優しさをもって話しかけてほしい。「戦争」の反対は「平和」ではなく、「あきらめない対話」だと思っています。そういう気持ちを子ども達の中に醸成したい、いつも、そんな思いでいます。

 「君が、正義の味方になる必要はないんだよ。実際、返り討ちに遭って、痛い思いをしてる。正しさを振りかざして解決できることなんて、そう多くない。穏やかに、対話を続けよう。子どもだけで解決しようなんて思わずに、安心して大人を頼ってください」

 この一件の指導の最後に、生徒に伝えたことを覚えています。


 ・・・なぜ今日これを思い出したのかな。8月6日だからかな。

特別支援教育に興味を持つ教員です。先生方だけでなく、いろいろな職業の方とお話して視野を広げたいし、夢を叶えたいです。いただいたサポートは、学習支援ボランティアをしている任意団体「みちしるべ」の活動費に使わせていただきます。