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7割と3割で書く、どっちかがホントの話。

子育てという仕事があるとして、それが終わりになるのはどのタイミングなんでしょうか。そもそも終わりはあるんでしょうか。

私は二人の娘を産んで家族として一緒に暮らしてきました。

長女はいわゆるミレニアムベイビー。次女はその5年後にこの世に現れました。
現在の西暦から2000という数を引いたら長女の年齢がわかると思いますが、現在彼女は社会人、次女は来春から大学生。

人によってはこの時点で「子育て卒業」。
でも、大学の学費を払い終えた時点で「子育て卒業」という人もいるし、子どもが社会人となった時点で「子育て卒業」という人も。

私は・・・よくわかりません。

一人の娘の母親となったあの2000年から、私は私を見失ったまま私を生きてきた、と言っても言い過ぎじゃないと思ってます。母親というものがわからないまま23年が過ぎました。

先日、長女が次女を誘ってご飯を食べてきたらしいのですが(我が家ではとても珍しいこと!)、隣のテーブルの親子を見ながら

「ねえ、**ちゃん(次女のこと)はお母さんと友達同士みたいやん?私はお母さんとは”THE 親&子!”って感じやけど。」

と長女が言ったのだそう。
それに対して

次女「え。私の方がそう思ってたけど。◯◯ちゃん(長女のこと)の方がお母さんと友達同士みたいやで。」

長女「え。なんや、そうなんや。」

二人「・・・・。」

という会話があったとのこと。

え、えっと、この会話って、どんな意味があるんでしょうか?(汗)
次女からこの話を聞いて、ソワソワ付きのもんやりを抱いてる私です。

そう、もんやりもんやり、母親って役割を担ってからたっくさんのもんやりを抱えてきました。誰かと共有できたもんやりもあれば、外に出ることなく心に仕舞ったまんまのもんやりもある・・・年が明けたら50歳になる今、このもんやりをどうにか上手く排出できないかと考えました。

そこで。
もんやりの一部を装飾して面白おかしく書いてしまえばいいのでは?と思いつきました。きっと私の心は軽くなるに違いない、という淡い期待とともに。

私は長女が3歳くらいの頃からブログを(あちこち引っ越しながら)書いてきました。いつかは自分の仕事のツールとして、プライベートなこともつらつらと。(赤裸々だと言われたこともあり)

すると、リアルな知人たちから「そんなふうに考えなくても大丈夫だよ」「考えすぎだよ」「そんなこと書いて大丈夫?」などと会った時に言われることがあって、心の内を正直に書いたら誰かに心配をかけることがあるのだと知ると、「そんなつもりじゃないのになあ・・・」と書く手が止まってしまうことも。

であれば?【私が発する言葉】としてでなく【誰かのセリフ】としてアウトプットできたらいいのかもと思ったのがいつだったか・・・それを思っただけで終わらすのではなく、やってみようかと。

ということで、一部は作り話、一部はホントのことをネタとして混ぜて【誰かのハナシ】として書いてみます。多分、平均してどっちかが7割、どっちかが3割くらいになるんじゃないかな?と。どっちがどっちかは想像にお任せします。

書く目的は私自身のためではあるけれど、書くのを公の場にするという理由は、いつの間にかどなたかがプッと笑ったり、あるある〜と共感したり、そんな何らかの「読まんかったらよかった」と思われないような時々のぞきにきてもらえる場所になったらいいなあという思いもあります。

そんな理由で、note始めてみます。



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