まわりのひと(2)

ちょっと変わった叔母を囲んだ家族の話。前回に引き続き、書いてみようと思う。

らしさ
 叔母は養護学校に入学した。人の話を聞いているのかいないのかよくわからない日々を過ごしていたようであるが、「叔母らしさ」として語られるエピソードがある。
 避難訓練の時のことだった。サイレンがなる。先生たちは人数確認と移動の指示に追われているが、一人足りない。叔母である。仕方なしに訓練が終わり、職員総出で探した。すると、どこからか叔母のひとりごとが聞こえる。見つけた場所は、体育館にしまわれた楽器の空き箱の中。誰よりも先に逃げ、安全そうな場所を探して隠れていたのだ。職員は安堵し、おそらく笑い話として母たちに伝えたのだろう。
 これは「ちゃっかり」だとか、「したたか」とかで家族が叔母を語るときに聞かされた話だ。みんなが何度もこの話で大うけしているとき、叔母は横で自分の手のひらを見ながらにこにこしていた。

おもちゃ
 叔母を思い出して、もっとも目に浮かぶのはおもちゃである。居間では窓際に座り、5つぐらいのおもちゃを周りに置いていた。ひとりごとを言いながらおもちゃを手にとって、数回遊んで置くということをくり返していた。パズルやボクシングのおもちゃがレギュラーで、サブはときどき交代していた。私が遊び方を教えても、反応は変わらない。けっきょく、10ピースほどのパズルが完成したところは一度も見なかった。
 叔母は機嫌がいいと、「はいこれ」とおもちゃを差し出してきた。私は普段さわることができない特別なものへの許可が降りた感じがして、嬉しくなって遊んだ。でも、遊び方を知る前に「これは私のなんだよ、返してくれいな」と取り上げられた。そうして、私は叔母のおもちゃを断片的に遊んでいった。時間制限の中でやりかたを知って、次のチャンスでその続きからというように。

叔母の部屋
 叔母の部屋には床いっぱいにおもちゃが広げられ、押入れには歴代のおもちゃがつめ込まれていた。保育園から帰った私は、叔母が作業所から帰宅するまでの間によく忍び込んだ。いま思えばそれは西日のせいで当たり前なのだが、忍び込む時はいつも、部屋はオレンジ色の光で満たされていた。
 母や祖母からは「おもちゃを使ってもいいけど、戻しておかないと怒られるよ」と言われていた私は、寸分違わず元に戻せるよう、集中しながらおもちゃを手に取り、遊んではまたそっと戻すという行為をくり返した。誰もいない2階の部屋で、光に包まれながら、私は恐れの中でおもちゃに手を伸ばしていた。

(3)につづく

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