まわりのひと(1)

 昨年、私の叔母が亡くなった。近くにいても遠いという不思議な存在だった。家族は、叔母を中心に回っていた。家族の形として、私が言い聞かされたり見たりしてきたことを少しずつ思い出しながら記していきたい。

誕生
 ひと昔まえ、小さな村で女の子が生まれた。私の母の妹、叔母である。彼女は少し変わった子どもだったそうだ。いつ歩いたのか、はじめに発した言葉は何かは知らない。母は叔母の面倒をよく見ていたそうだが、度々近所の子どもたちからからかわれたという。「お前の妹は馬鹿だ」母がよく言われたというこの言葉からは、当時の子どもたちの、未知のものへの拒否反応とも思えた。

安心
 ある日、彼女の母はテレビを見ていた。何気なく流れた映像に目をやると、すぐに電話に向かいダイヤルを回した。バスや電車を何時間か乗り継ぎ、やっと東京にたどりついたそうだ。
 テレビで偶然見かけたのは、病院の先生だった。先生が紹介していた症例の写真を見て、彼女の母は大変驚いたという。みんな、自分の娘に顔がそっくりだったからだ。病名が告げられて、祖母は自分を責めると共に、よかったと思ったという。娘の異変が何からくるものなのか、やっとわかったからだ。そのようにして、家族と叔母の生活は前進した。

会話
 叔母はいつも同じことを繰り返していた。私の顔を見ると決まって、私が生まれたばかりの頃たくさん抱っこをしたと言っていた。会話は自問自答のように、私に何か尋ねたと思ったら、自分で相槌をうって楽しんでいる様子だった。他には、作業所であったことを一人でつぶやいては笑っていた。叔母との会話の記憶では、投げ返したボールを取ってもらったことは一度もないように思う。

誤解
 当然だが、私が物心ついた時から叔母はいた。まだ世の中にはどんな人がいて、誰が普通で、誰が「変な人」なのかわからない頃からだ。だが時折、母親からは「そんなにバカにしたように見ないで」と自分の妹を庇うように言われた。弁解ができるほどの年齢に達していない者に向けられたその言葉によって、私は誤解というものがあること、叔母は他の人と何かが違うということ、そして姉である母が叔母に向けた複雑な思いを言葉では表せない感覚で理解した。

 叔母を中心に回る家族の中で、私が生まれる前からこの家族には何か物語があるのだと思った。それは、祖母の家のもう使っていないという足踏みミシンの木目や、開けたことのない押入れの存在とともに確かなものとして知覚された。
もう少し続きを書いてみようと思う。

(2)につづく


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