KT

日々のことを短すぎず長すぎずに書いていきます。 さまざまなまなびを。

KT

日々のことを短すぎず長すぎずに書いていきます。 さまざまなまなびを。

最近の記事

まわりの人(8)その後

 叔母との関わりを通して家族について考えたことを書いていた時期から数ヶ月が経った。その間、世界中で大混乱の日々が続き、自分も含め人は明日をどう生きるかといった未来の不安を感じていた。先日、状況は落ち着いたとは言えないが家族で久しぶりに集まることができた。5月に88歳を迎えた祖母を囲んでのことだ。  これまで記したように、祖母は先天性の病気を抱える次女に50年以上連れ添った。去年の2月、その娘を見送ってからは祖父との二人暮らしの日々になった。毎日の生活に張り合いがなくなってい

    • わが家のペットはエビです

       わが家のテーブルの上には小さな瓶が置いてある。中には、水と石とマツモと、2匹のエビが入っている。エビの名前は分からず、もらったものが増えたのを2匹だけ家に置いている。エビは常に何かしらのものを食べているので、えさは2日に一度ぐらい。メダカ用のえさを数つぶまいておくだけだ。家でなにかペットは飼っていますか、と聞かれても第一声は「いいえ」と答えてしまう。そして思い出し、「そういえばエビを」という、そのぐらいの距離感だ。   エビはいい。「どうして魚を飼わないのか」と尋ねられた

      • 家の中で外のことを考える

        距離や境界  3月の終わりから、多くの人は距離や境界を気にするようになったのではないか。人との物理的な距離というものから、仕事と生活、社会と個人など、断絶されることで浮かび上がるものもあれば、新たに生まれたものもあっただろう。  そして、そんな距離や境界などかまわず飛び交うものの脅威から身を引き、家の中を中心として生活し続けているわけである。自宅での日々は、空いた時間を長短さまざまなスケールで埋めてくれるコンテンツに囲まれて、すっきりはしないが退屈もしない日々だった。 胃の

        • 歩いてみると

           最近、通勤手段を電車から徒歩に変えた。朝の電車に乗ることに気が向かないというのが第一の原因だが、なんとなく「歩く」ということ自体に関心があるといってもいい。  電車を主な手段として通勤すると、歩くことは従属的な行為になる。駅に向かうため、電車を乗り換えるため、改札に向かうためと、隙間のような行為である。すると当然、求められるのは最短・最速であることだ。とはいっても、すべての人がそれを目指してしまうと手に負えなくなるから、最大公約数的な「流れ」のようなものができあがる。  

        まわりの人(8)その後

          まわりの人(7)さいごに

           叔母を中心にした家族の話。をしようと前回まで書いていたけど、あまり家族には広がらなかった。それほど、今となっても自分にとって彼女は不思議な存在だったのだろう。今回が最後になる。 苦しいとは言えず  叔母は酸素吸入をするようになった。とはいってもベッドに横たわりマスクをするのではなく、鼻カニューレ(これを書いているときに名前を知った)をして、足元には酸素ボンベを配置するものだ。  叔母は服のタグや少し伸びた髪も嫌がった。神経質なのだと祖母は不満を言うこともあった。その酸素吸

          まわりの人(7)さいごに

          学習という行為

           私は教育の分野に日々従事している。なぜこのような選択をしたかというと、教育(というよりも学び)がもっとも人間の原始的な行為の一つだからである。現代は細分化の時代であり、あらゆるセクターがそれぞれ機能しあうことで社会が回っている。この状況をぐるりと見渡したとき、自分が直視し続けられる(貢献し続けられる)ものとして教育(学び)という行為に接することを選んだのである。  むかし「歌うネアンデルタール―音楽と言語から見るヒトの進化」という本を読んでいたとき、そこで初めて「人類の進

          学習という行為

          まわりのひと(6)

           叔母は自分の家族について冗談なのか本気なのか、とにかく笑えるぐらい機能的に見ていたということを前回思い出した。ダウン症とういうのはどうやら染色体の異常で、そういう体の構造(染色体の「数」という量的なもの)が私とは違うのだと後になって知ることになった。その違いによって、叔母は特別な存在として扱われていたのだ。  ただ、叔母は私が物心つく前から居るわけであり、些細な違いかもしれないが私にとっては「ダウン症の叔母がいる」のではなく「叔母がいて、彼女はダウン症をもっている」というぐ

          まわりのひと(6)

          まわりのひと(5)

           叔母にまつわる記憶をすくいとるよう書いてきた。前回は叔母の人間関係。人から「ありがとう」とか「たすかるよ」などと言われることに最高の喜びを感じていた叔母は、物心がついた私にはとても純粋に見えた。今回は家族。 家族の絆  この言葉を聞くとどのようなものをイメージするだろう。無償の愛だろうか。今の時代、さまざまな家族の形がある中で、そんなもの幻想だという人もいるかもしれない。叔母にとってはなんだったのだろう。  叔母はよく家族にからかわれていた。とくに祖父はタチが悪くいつも同

          まわりのひと(5)

          まわりのひと(4)

           ちょっと不思議な叔母は、ダウン症だった。前回は叔母の仕事について思い出してみた。今回は、友達について書いてみる。 まさおちゃん  祖母の家で幼少期を過ごしていた私は、よく散歩に連れていってもらった。その日は保育園を休んだのか、いつもより遠くに行くと告げられた。途中、駄菓子屋でお菓子を二つ買ってもらった。ビニール袋に入れて大切に持っていたのだけれど、気付いた時には中はからっぽだった。よく見ると袋には大きな穴が空いていた。祖母に見せたが、新しいものは買ってくれなかった。でも、

          まわりのひと(4)

          まわりのひと(3)

          ちょっと変わった叔母にまつわる家族の話、前回から、少しずつ自分の視点になってきている。今回は、叔母の仕事について書く。 作業所  高台の上に叔母の通う作業所があった。数回だけ祖母に連れられて行ったことがある。その日は寒かったのか、服を半分脱ぐように腕を抜き、トレーナーの中で腕組みをする形で屋内にいた。祖母がどこかに行き、私ひとりで座っていた。どれぐらい経ったかわからないが、向こうから歩いてきた職員のおじさんが私に話しかけてきた。「うで、ないの?」  どのような表情で言ったの

          まわりのひと(3)

          まわりのひと(2)

          ちょっと変わった叔母を囲んだ家族の話。前回に引き続き、書いてみようと思う。 らしさ  叔母は養護学校に入学した。人の話を聞いているのかいないのかよくわからない日々を過ごしていたようであるが、「叔母らしさ」として語られるエピソードがある。  避難訓練の時のことだった。サイレンがなる。先生たちは人数確認と移動の指示に追われているが、一人足りない。叔母である。仕方なしに訓練が終わり、職員総出で探した。すると、どこからか叔母のひとりごとが聞こえる。見つけた場所は、体育館にしまわれた

          まわりのひと(2)

          まわりのひと(1)

           昨年、私の叔母が亡くなった。近くにいても遠いという不思議な存在だった。家族は、叔母を中心に回っていた。家族の形として、私が言い聞かされたり見たりしてきたことを少しずつ思い出しながら記していきたい。 誕生  ひと昔まえ、小さな村で女の子が生まれた。私の母の妹、叔母である。彼女は少し変わった子どもだったそうだ。いつ歩いたのか、はじめに発した言葉は何かは知らない。母は叔母の面倒をよく見ていたそうだが、度々近所の子どもたちからからかわれたという。「お前の妹は馬鹿だ」母がよく言われ

          まわりのひと(1)