まわりの人(8)その後

 叔母との関わりを通して家族について考えたことを書いていた時期から数ヶ月が経った。その間、世界中で大混乱の日々が続き、自分も含め人は明日をどう生きるかといった未来の不安を感じていた。先日、状況は落ち着いたとは言えないが家族で久しぶりに集まることができた。5月に88歳を迎えた祖母を囲んでのことだ。

 これまで記したように、祖母は先天性の病気を抱える次女に50年以上連れ添った。去年の2月、その娘を見送ってからは祖父との二人暮らしの日々になった。毎日の生活に張り合いがなくなっているのは容易に想像できたが、会いに行くこともできないので、これまで以上に電話をかけた。世界的な混乱、オンラインで人が繋がり合う社会に変化していた中。祖母はどんなことを考えて生活していたのだろうう。


 家族で集まっている間、外の空気を入れようと私は窓を開けた。朝から続いた曇り空は、その時だけは明るくなっていた。ふと、窓から時期外れの鶯の鳴き声が入ってきた。その場にいた甥っ子は、4月から「うぐいす組」になったとちょうどさっき話していた。しかし、都会育ちの甥っ子はそれが鶯の鳴き声だとは知らない。私の母は「これがウグイスだよ」と教えてやる。それから甥っ子は鳴き声が聞こえるたびに昼食を食べる手が止まり、静かに大喜びした。それを見る私の母も嬉しそうに「ホーホケキョ」と鳴き真似をした。
 私は幼い頃、鶯の鳴き声をよく聞いた。生まれ育った祖母の家の裏山で、枝垂れ桜の咲く頃によく鳴いていた。静かな春の山に鶯の声が響く光景をよく覚えている。だが、それが鶯の鳴き声だというのはいつ知ったのだろう。はっきりと覚えているのは、散歩に出かけたときに祖母もよく鶯の鳴き声を真似していたことだ。
 「ホーホケキョ。声はすれども姿は見えず。」鶯が鳴くたび、祖母は「ほらまた鳴いた」と笑いかけた。
 鶯の鳴き声を追いかけて、私は裏山の方に一人で行ったことがある。当時は鶯がどんな姿をした鳥なのか知らず、ひたすら声を追いかけた。後になって写真でその姿を見るまで、ついに目にすることはなかった。

 祖母との最後の別れの時を待ちながら、私はそんなことを思い出していた。甥っ子が喜ぶ中、窓の外に目をやった。鳴き声のする方、枝葉の間をしばらくじっと見ていたが、この日もやはり鶯の姿を見つけることはできなかった。
 「声はすれども姿は見えず。」姿は見えずとも、鶯は確かにそこにいるのだ。

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