わが家のペットはエビです

 わが家のテーブルの上には小さな瓶が置いてある。中には、水と石とマツモと、2匹のエビが入っている。エビの名前は分からず、もらったものが増えたのを2匹だけ家に置いている。エビは常に何かしらのものを食べているので、えさは2日に一度ぐらい。メダカ用のえさを数つぶまいておくだけだ。家でなにかペットは飼っていますか、と聞かれても第一声は「いいえ」と答えてしまう。そして思い出し、「そういえばエビを」という、そのぐらいの距離感だ。

  エビはいい。「どうして魚を飼わないのか」と尋ねられたことがあるが、理由は時間の進み方にある。体長1.5センチメートルの透明の体には一本の線が見える。食べたものが次々に押し出され、体を貫くように尾の下から出ていく。
 それは成長についてもいえる。甲殻類は大きくなったら脱皮をする。柱に身長を刻んでいくように、いつのまにか瓶の底に白い抜け殻が沈んでいる。エビの時間は目で見えるのだ。

 思い返してみると、生活の中では時間を見せられることばかりだ。音楽を聴けば終わりまであと何秒、動画もそう、電子書籍を読むと「このペースだとあと何時間何分」と計算までしてくれる。確かに、寝るまでの自由な3時間を何に使うか考えようとするなら、これほどありがたいことはない。

 ただ、そこで見せられている時間は音楽でも動画でも書籍でもなく、自分の時間だ。「あなたはこれに、何時間何分何秒費やします」というように、自分の時間が中心になっている。これは効率のもとで捉えるなら、すべてがコストになっているといってもいい。私はそればかりでは疲れてしまう。

 豊かさとは多様なことだ。そう考えるなら、自分以外の時間も感じたい。たった一つの小さな瓶の中で、絶えず動き回るエビ、日に日に伸びていくマツモ、いつの間にか石に生えるコケ。惹かれるものがあるとするなら、自分とはちがうものたちの時間なのではないかと思った。

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