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第27班『どうしよう 孤独だ 困ったな』は遅効性の毒

『どうしよう 孤独だ 困ったな』というタイトルがTwitterのTLに流れてきた時、聞き覚えのある文字だな、と思った。どうやら2018年に初演された演目が再演されるらしいということを、調べて知った。

当初は劇場に足を運ぶ予定だったのだが、多忙と、それによる精神の不安定さで、これは観たら帰ってこれないかもしれないと思い断念した。

2021年はほとんど演劇を見れなかった。コロナが猛威を奮っていたこともあるけれど、それ以上に、演劇を見に行くことで生じるあらゆる感情を制御できない気がするという不安が大きかった。

年末年始は何か、演劇のアーカイブがあったら見たいなと思い、気になっていた公演をいくつか検索してみると、『どうしよう 孤独だ 困ったな』のアーカイブ配信があることに気づき購入した。知っていたのは、どうやら群像劇に定評のある劇団であるというぐらいで、あとはもうタイトルのインパクトが決定打になった。

観終わってすぐというか、もう観ている最中から、なんでこんな人間ばかりなんだ!という思いが強かった。なんでこんな行動をして、なんでこんなことを言うのか。好きになれない登場人物が半数いて、頭の中で文句を言いながら観ていた。
舞台上に組まれたセットはよく出来ていて、セットの転換を行わずとも、そこが居酒屋であったり、仕事場であったり、路地裏になったりした。こういう、演技と照明を使って、もともとは何の意味も持たない場所に意味を与えるタイプの演出が好みなのもあって、総合的にすごく面白かった。こういう演劇好きだな、と思った。


ところが問題はその翌日からで、生活している中でふと、『どうしよう 孤独だ 困ったな』のあらゆるシーンが頭の中をよぎるのだ。

離婚をするしないで揉めるもう終わっている夫婦、初恋の人が忘れられなくて連絡をとった結果犯罪に片足を突っ込む男、崩壊寸前の居酒屋で働き続けるバイト、信じていた己の才能をへし折られた漫画家、よく分からないけど多額のお金が必要で頭を下げ続ける男……

最初はこんなはずじゃなかったのに、崖から転がり落ちるように、あらゆる人間の関係性が壊れていく。こんなに人がいるのに、なんで誰も幸せになれないんだ、と思った時に、ああそうか、だからこのタイトルなのかと腑に落ちた。困っちゃうね、孤独であるということを知ってしまうのは。

もしも世の中に赤い糸というのが存在するのだとしたら、ここはその赤い糸がぐっちゃぐちゃに絡まって、解くことはもう無理になっているし、なんならその赤い糸の先は誰にも繋がっていない世界なのだと思った。

しかし、別に登場人物が特別おかしい設定になっている訳ではない。ちょっと愛が重すぎるとか、ちょっとコミュニケーションが苦手とか、そういうレベル。でもそういう小さなズレが積み重なると大きな歪みになって、気づいたら独りになってしまうのだろう。

そうならないようにするには、一体どうしたらいいのか正直分からない。あの世界の人たちは、みんな一生懸命に自分の人生を生きているように見える。私が観客という第三者目線で見れるから、崩れていく様子が分かるだけで、渦中にいたら何も分からず気がつけば孤独に飲み込まれていると思う。

居酒屋の喧騒をベースにした最後の畳み掛けが、圧巻で、だからすごく悲しい。みんなただ、幸せになりたいだけなのに。

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