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貯金残高は、精神的余裕を与えてくれるけれど

先の投稿から早いことで、9ヶ月が経過。新型コロナウィルス感染拡大に伴う自粛生活が5月末で終わり、6月1日から週5日勤務の会社員生活に引き戻されたわけで。今思うと、あんなに時間的余裕があった1ヶ月間はなかったし、今後に大きな影響を与える時間だったと思う。ので、その理由と中身を振り返ってみる。

「その理由と中身」と書きながらよく考えてみるが、自粛期間となった4月下旬から5月末までの1ヶ月半の時間の間で身につけたことが明確にあるわけではない。何かに没頭して打ち込んで資格取得につなげたとか、何キロ痩せたとか、そういう具体的なことは特にない。何かもっと目に見えにくい、考え方とか、気の持ちようとか、精神状態とか、ふわっとしていて不確かなものこそが「その理由と中身」。

ひとまず、目に見えている大きな影響は、部屋がきれい整ったということ。家にいる時間が長いと必然的に身の回りのモノが視界に入ることも長くなるわけで、結構いろんな人がやったことだと思う。もう断捨離しまくって、週2回の可燃ごみ回収日と、週1回の古布回収日に、毎度両手でゴミ袋を抱えて断捨離しまくった。おかげで、自分の持ち物をほぼほぼ把握したし、自分はどれぐらいの規模感とバランスの物持ちで生活するのが心地良いのか見つめることもできた。

この春で、一人暮らしを始めて8年が経つ。この8年間、学生から社会人になり、経済状況は右肩上がりで、おかげさまで年々自由に使える金額は増加傾向。特にこの3年は貯金残高が順調に増えるだけの収入を得られるようになり、そこから精神的な余裕も感じられるようになった。収入状況が移り変わる中で、徐々に金銭感覚も変化してきていたことを、今回の断捨離で思い出した。家賃食費込で月12万円でやりくりしていた学生時代の1万円と、月25万円+αで生活する今の1万円では、価値が違いすぎる。

モノの好みは変わらないなとか。昔欲しかったものを今も欲しいと思っているとか。これは買って正解だったなとか。いやもう捨てようとか。貯金残高が増えることで得られる精神的余裕を覚えてしまった今、それ以上に今目の前にあるモノを買うほうが精神的余裕が生まれるのか?というところをより良く判断していかないとならないと思う。ちょっとケチくさい金銭感覚かもしれないけれど、これだって1つの金銭感覚だ。お金で得られる精神的余裕があるのなら、適度に手に入れていきたいし、うまく使いたいと思う。

だって、お金では得られない精神的余裕こそ手に入れるのが難しくて、時間がかかるだろうから。と、断捨離しながら思った。


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