椎名林檎の「依存症」と言う曲を初めて聞いた時から思っていたこと
椎名林檎の「依存症」と言う曲を、セカンドアルバム「勝訴ストリップ」で初めて聞いた時、直感的に私は「あ、私この言葉知ってる、これは私だ」と思ったのを覚えている。
当時まだ中学生だったと思う、でも、絶対に私はこの“依存症”と言うのを知っていた、見つけた、に近い気持ちが、心のパズルのピースのようにぴったりとハマった。
つまりは、そう言う事なんだと思う。
今日は目を覚ましてすぐに、ラジオ番組の原稿の雛形を追記して局の方にメールで送った。
ずっと上手く生きれない感じがしていた、それでも人生は決まった通りに、スケジュール通りに動いていくものだから、ずっと心の中の世界と向き合う事が出来ないで居たのだ、そうすると私は面白いくらい上手く動けなくなる、そう例えるなら油を指してない機械のように、何事も上手く動かなくなって、支障が出て来るのだ。
“依存症”と言う言葉には、最初に書いたように以前から自分に親近感があったのだけれど、私は本当にそう言う体質なんだな、と思う。最近まずネットサーフィンやネットで漫画を読むのが止められずに、本当に困ってしまっていたのだ。
人間誰しもそう言う傾向がある、多かれ少なかれ、とは言っても、生活に支障が出てしまうような事は本当に困っていて、私は音楽がやりたいのに、ちゃんと活動したいのに何で出来ないんだろう、と悪循環に思考が陥ってしまうのをもうやめたくて、探してみたらある依存症を描いた漫画にインターネット上で辿り着いて、思わず公開されている全話を一気に読み尽くしてしまった。
“共感”と言うのは、人間が生きる上で物凄く大事な感情だと思う。
私はそこに描かれていた物語の登場人物の心理にとても共感をして、この人のように悪循環の無限ループから立ち直る、負の連鎖から抜け出すための努力を自分がしよう、と思い立った。
その中に書かれていたトラウマを解消するための“EMDR”と言う心理療法を真似して、何となくリビングで昼間自分でやってみていたら、タロット占い師をしている母親が「何それ面白そう」と言ってきたので、二人で真似事をして遊んだ。
トラウマなんて自分にあるかなぁ、とその時は全く思い当たらなかったのに、その後お風呂に入って熱いシャワーを浴びていたら、何故か次から次へと思い出すように記憶が鮮明になってきて、涙が出て来てしまって、鼻水も止まらなくなってびっくりした。
ああ、私は大事な大事な感情を忘れていたんだなぁ、だから苦しかったんだ、と思って、シャワーを浴びながら声も上げずにじゃんじゃかじゃんじゃか涙が出て来るままに泣いて、鼻をかんだ。
悲しいだけの感情に、辛い苦しいしんどい疲れただけだったと思っていた記憶に、きちんと色が付いて、意味が戻ってきたみたいな時間だった。
私はすぐ記憶に蓋をするみたい、本当に辛かった事や哀しかった事なんか、思い出せなくて覚えていない。恐らくそれは、自己防衛なんだろうと思う。
私は、私が今こうして笑えていたり、何事も覚えてなく忘れて日々暮らせているのには、理由があった事に気付いたのだ、
私は、私の思い出したくない位哀しい感情を、持っていたら壊れて潰れそうになっていた記憶を、共有してもらったのだ。
確かに。一緒に持って、歩いてもらった。
ちゃんと向き合ってもらった、見つめ合ってもらった、その瞬間は確かに、ちゃんと在った筈なのに。どうして忘れていたんだろう。
一人では歩けなかった間一緒に歩いた、手を取って、手を繋いで、一緒に居た、それも、とても幸せだった。本当に幸せだった。そのために生きていて、生まれて来たんだと確かに思えた、それに嘘は無い。絶対に無い。
誰かとこんな風に自分の事をさらけ出して、認めてもらえて、共有して労り合えたなんて、夢みたいだと思った。私はひとりじゃなかった、その間、確かに。
でも一人で歩けるようになれたなら、一人で歩かなくてはならないんだ。
私達はお互いに今まで依存していたと思う、依存し合っていたのだから、どっちが悪いとか悪くないとかではない、
それが必要だったからお互いに一緒に居た、じゃあそれが必要じゃなくなるくらい大丈夫になれたなら、やっぱり一人でちゃんと自分の行く路を歩かなくてはならない、
私達は、可笑しいくらい、いつも“そこ”も一緒だ。
一人で歩けるようになるために離れなくちゃならない時も、壊れないように二人で一緒に居なくちゃ駄目な時も、笑っちゃうくらい、タイミングが一緒。
ほんと、可笑しくて笑っちゃうしかない。ほらまた、ここも一緒だなんて。
哀しい気持ちで溢れた曲をもう聞いていられなかった、何て寂しくて痛くて辛いんだろうと思ったから、もうライブになんか行けないってこないだ心底思った、それがもしその人の気持ちが伝わって来ていたなら、もうあんなの絶対に二度と御免だよと思う、あんなに哀しいのは嫌だ、嫌だから、遠ざけて忘れてしまえば良い、なんてものでもないらしい、
無かった事にして、全部忘れ去られる、そんな哀しい事にしたくないし、哀しいまま終わって良い物では、終わるものでは、絶対に無い、と客観的に見て、私は思う。主観的に見ると本当にもうどうしたら良いのか全く解らなくなるから。
でもだからと言って、今の私に出来る事なんて、もう何にも無いんだって、解る。邪魔をしたり迷惑をかけたりしたい訳じゃ決してない、だから私は私のやる事、つまりは自分の音楽をちゃんと、必死で真剣にやるしかないんだって、解ってる。
でも、こうして泣く度に結局解る、私にはこれが必要だし、それが在ったから今生きているし、そのために生まれて来たんだと思えるくらい、そこに触れると涙が出るくらい、尊くて純粋な真実だ。
ニーチェの『事実と言うものは存在しない、存在するのは解釈だけである』と言う言葉がすごく染みて感じた。
結局解釈だけなのだ、事実なんて人によってそれぞれだから、私には私の解釈があって、理解があり、それによって自分の人生が構築されている、
その解釈を自分以外の他人によって曲げられたりするなんて、別に全然正しくない事だと思わないだろうか、
私は私の解釈で物事を信じても良いし、理解しても良いし、それを誰にも侵されなくて良いんだ、と思う。
私は、私の歩いて来た路を、歩くように生きてきた人生を、とても大切に誇りに思っている、
今日そう思えた、あんなに苦しくてしんどくて忘れたい無かった事にしたい、黒歴史だと思っていた事なのに。
もうあの場所にあの時にあの瞬間と全く同じ所には二度と戻れないけれど、だからこそ今がある、今は思う。
私は、あの時あなたを信じて良かった。
もう届かないかもしれない、確かに繋いでいた手が離れた感触があるから、でももしも私の事をまた思い出したりする瞬間があるなら、伝えたいのは、
ごめんなさいじゃなくて、ありがとう だ。
もうそれも伝えられないと思ったのが、一番涙が出た。
それに、生きていたら終わりじゃない、その先で出逢う事だって、また会える事だってある、ケンカしたって、仲直り出来るんだもの、何度でも。大切な人とは。
ねえ、聞こえていますか、遥か遠くまで
星の光みたいに、時間差で届いたりもするのかな
自分の中で、あの記憶をガン細胞みたく思うんじゃなくて良かった、大切なものだって、まるで手渡しでもらった花を壊さないように慈しむみたいな、そんな風に思える今で、よかった。
前に進むために、一緒に持って行けるから、記憶は、だからこれからもきっと一緒に居られる、だなんて言っても、どうか怒らないで欲しい、きつい言い方されるとやっぱりぐさりと来るもの…。
笑い合えたら良いねぇ。
2019/9/22 2:40
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