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忘備録 生い立ちについて

大阪に生まれ、種子島に移動。幼稚園を島根県の周布で過ごし、小中学校は浜田、高専のある松江で5年間寮生活。就職を機に4年間東京暮らし。

男4人兄弟の次男として生まれた自分はもともとリベラルな人格だった。父に実家はなく、母は実家と疎遠で、田舎暮らしながらも既得権益のない側(実家などがない立場)に生まれたなどが影響してか、中学校の頃好きだったのが与謝野晶子、平塚雷鳥といったぐあいに。大正デモクラシーや男女共同参画社会を目指すリベラル志向が好きだったし、選挙権の拡大や、居住地、職業選択の自由など、自由とはもともと世の中にあったものではなく、人類が歴史の中でつかみ取ってきた権利なのだと知ることが嬉しかった。自由が大好きなので当時のフェミニズムも好きだった。

たまたま高専に行けたが、とてもありがたいことだと今では思う。幼稚園児だった頃、風呂が3日に1回なくらい貧乏だったからだ。両親にとって大変な時代だったとも思う。僕が幼稚園ということは下二人はもっと幼かった。金銭的に大学には行けなさそうな中、高専と期間が短く、就職にも強く、高度な教育が受けれて学費も安い、多少の箔がつく学校に入れた。今は専門分野の仕事はしていないが、幼稚園児だった頃を思うと、よくこうなれたものだと思う。

高専に行って驚いたのは、先生生徒を含めて実家がある人の割合が高そうだということだ。小中学校は同じアパートに住む子達など、実家のなさそうな子も多かったが、高専は割合が違うように見えた。工学の技術を学びに来ているので、愛国者や保守的な感覚がうっすらあった気がする。愛国者にはオタクも多い。男子率も高かった。僕はもともとリベラルな性格の土壌でありながら高専に影響を受け、オタクでもあった。

高専の同じ学科の出身の友達で、国家公務員になる人の割合も多かった。それこそ、独立行政法人国立高等専門学校機構の狙いでもあるので、いいことではあるのだが、もともと自分勝手なリベラル志向の僕にとって公務員になる意味が分からなかった。今なら愛国者で既得権益のある側だからかな。と少し思う。もちろん必ずしもそうとは限らないし、過剰なレッテル貼りは不快に思われるだろう。みんないい人たちだし仲も良かった。でも、あのころうっすら感じてて、笑ってごまかしていた違和感の正体はそのあたりにある気がする。僕は自分でその正体を知りたくて上京して来たのではないかと思っている。

インターンシップなどで出会う人の中には高専生と聞いて目の色が変わる。一目置かれているのを感じた。もとがリベラルで世間知らずな僕は内心「別に中学の時、不良だったあいつも自分と同じ人間だから」と思い高専生であることでの、対応の差に違和感を感じつつもヘラヘラしていた。そういった違和感が上京後、僕をタクシー運転手にさせたかもしれない。

コロナ禍のタクシー運転手を経験して分かったことがある。お金を稼げる人が、お金を稼いでお金を使うこともまた、社会に還元されるということだ。その人の役割なのだからそれを全うすればいい。そう思った。技術を持った人が技術を仕事に生かすのもまた自然なことだと。非常にエゴイズムに走りやすい思想ではあるが、大まかに間違っていない気がする。

地元に就職しなかったのは、このまま価値観の変換が起こらず生きるのがこわかったからな気がする。自分を取り巻く環境がなんであるか分かった上でする生活と、些末な違和感を持ったまま送る生活とでは違う。その差は人生そのものに深く影響する気がしてならないのだ。

僕が結婚について初めてまともに考えたとき、地方の高専出身の公務員や技術職は結婚しやすいと思った。男性が結婚するには信頼がいる。(恋愛結婚でない場合が主)それに気づいたのは24になった時だ。極めて自由な思考を持った僕にとってその概念は今までなかった。信頼とは、実家があったり(または実家が太かったり)公務員や技術職であったり、地元出身で地元の会社に就職したり、名のある企業に就職したり、年収が高かったり、企業の中で肩書を持つことで得られる。それを人から言われなかったら、自分で気づくのに24までかかった。驚いて気づいたときには声に出した。「信頼か!」と。もちろん違和感を感じる場面はたくさんあった。大企業に行け。公務員になれ。地元に就職しろ。なんで?と思ったが、そっちのほうがいい。という雰囲気が流れ、肝心な答えは知らないままだった。もちろんほかにもそっちの方がいい理由はたくさんある。そっちの方が、国が地域がうまく回るからだろう。その中の一つに「そうした方が男性は結婚しやすい」があったのだ。

現実は基本的に自己責任で、前もって知った知らない問わず、どういう選択をしたとて、何かが起こったとき、それは予め了承したうえで判断を下したと見做される。地方が3,000千万円かけて作った人材を都会が使いつぶしているといわれているが、なぜそのような選択がなされたのかというところも重要だと思う。戦後復興期に作られた既存の社会構造が限界に近づいてるように感じる。若年層の非正規雇用が増え、男性が妻子を養えなくなっている。その影を薄ら感じ、行動を迫らせているのかもしれない。他にも地方が課した男性の性的役割、女性の性的役割に対して個人がどう感じているか。上京する人たちはバブル期のロマンティックラブイデオロギー(恋愛至上主義)に駆られて上京するような人たちばかりではない。上京したが、恋愛するでもなく、結婚もしていない男女がなぜ上京するのか。それらはどういう意思表示なのか。何かに対してNOを掲げているのか。何がそうさせているのか。その背景を見つめることで見えてくるものもあると思う。

僕は社会学が、歴史が、民俗や風俗が好きだ。知ることで全体の流れや今の位置、自分の正しい位置が把握できる。しかしそれを受けてどうしたいというわけではない。知ることが楽しいだけだ。現実は予定調和とナッシュ均衡で出来ていると思っている。ナッシュ均衡とはゲーム理論で、一定のルールの元、各々が自分の利益を最大化するために行動するというものだ。立場としては基本的に全肯定だ。それでいい。何を是非とするでもない。

特定の何かについて議論する場合、最も重要なのは自分や相手の立場の表明であり、各々がどういう経歴や経験を持っていて、それに対してどう感じるかを端的に説明したうえで、何を是で何が非であるかを語ることだと思う。人に言うにはまず自分で把握しなければならない。自分で把握できた時点で議論の9割は終わっている。あとはすり合わせるのみだ。僕は正当な思考のできる人間なら、同じ経験や人格、状況で筋の通った思考をしたとき、出される結論も同じで納得も行くものだと思っている。

現実とは非常に楽しいものであり自分がどんな眼鏡をかけるか、どのように切るかによって魅せる景色が全く違ってくる。自分にも世間にも様々な偏見があるものだ。今後50年、様々な価値体系の変換が行われていくことに思いを馳せる。人生の伏線回収のように、自分視点のドキュメンタリー映像を見ているように、推理小説の後半の畳みかけのように、一つ物を知るたび、今までの価値観が塗り替えられ、現実への認識がひっくり返る。そんな体験が楽しみである。


追記。クリエイターページから覗いて頂いた方、ありがとうございます。隙間を埋める両親の話をお載せします。良ければぜひ。

2022年2月22日



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