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一応匿名でしている…というだけ

実名でnoteを公開している人はどのくらいいるのでしょうか?

有料で公開している著名人、芸能人、会社などを運営している方…。

他にも一応匿名やニックネームで実質本名を名乗っているようなもん…という状況の方。活動内容などから実名まで辿れる方。僕もその1人です。

僕は元高専なのですが、そもそも高専生自体が全体の1%と珍しい方ですから。

その上、島根にある高専で、2018年卒で、土木を勉強していて、東京でタクシーをしたことがある…こうなるともう、1人しかいません笑
ロストボールの回収も入れたら…これもそもそも日本に何人いる?って感じになってきます。

同級生の殆どは、卒業後、土木の世界で活躍しており、島根から都会に出たいとなったら、中国地方の広島ないしは関西の大阪が多いです。

人の経歴などを詳細に追える特殊な技能を持った、インターネットの闇のような人でなくとも、簡単に実名を追えると思います。

その上で、だからどうというのだろう。という思いも抱いております。

僕は男性で、子供なわけでもない。
そもそも、noteを読む方は活字を読んでいて、または書いていて苦ではない方々です。

それに、実名の上でも、発信していて恥ずかしくないような思想や人生の話をまとめています。
そもそも、実名の上で何を言ったとしても恥ずかしくはないのかも知れません。

例えば、noteの内容をわざわざ実名と共にTwitterに晒され、拡散されたとしても、おそらく昨今の情報化社会に対応するための法整備の観点から、強い法的措置が取れるように素人考えですが思います。

法治国家における法律は、ある程度の抑止力となり、100%行為そのものを防ぐ役割は果たしませんが、それは他の犯罪行為も同様です。

あとは個々人の自由意志と、どちらを天秤にかけ、行動に影響させるかの問題だと思います。

自分の行動が、予想外の未来を招いたとして、社会からはその結果も承知の上で行動を起こしたと見做されます。

時には、浅はかな考えによる行動を後悔する人もいると思いますが、過去の自分の無知さを知り、今現在の現実に対する解像度は上がり、現実や社会に対する理解は深まります。

そもそも匿名ではありながらも自らの人生体験や思想を発信するというのは、それなりの自己顕示欲があってのことだと考えます。

自己顕示欲を持つことに対するマイナスイメージはこの際考えないことにします。

恥ずかしいもの。と揶揄される可能性のある行為をわざわざする意味。これは、他の人に、現実が魅せる側面を共有したいという思想に他なりません。1人1人の小さな両目で捉える現実の、見える範囲は小さく狭いですが、それを共有、同期することでよりはっきり現実の輪郭や、全体像が見えてくるものだと思います。さらに一定の共感などが得られれば、自らの言語化されなかった感情や経験が整理され、思考を進める為の一助になり得るとも思います。

僕は小学生のころ、図書室の伝記を読むのが好きでした。
伝記は偉人の物が殆どでした。偉人でないと、伝記になり、さらには田舎の小学生まで届かないのです。
僕は現実や、そこに生きる人の生き方や、考え方を知るのが好きです。現実には歴史も含みます。

それらは、僕の人生をより豊かで楽しいものにしてくれます。かつ、僕は現実を構成している要素に対する好奇心が人一倍強いのだと思います。

noteは、たとえ偉人でなくともそういった自身の経験や感じたこと、考え方などを体系立てて発信したり、人のそれらを垣間見たりできる媒体だと感じています。

そこに少しでも共感や、自分の人生と重なる部分やそれに伴う感情、感傷があったとすれば、それほど嬉しいこともありません。

共に同じ現実を見つめ、人という前提のもと、各々の人生を生きているという実感がより得られます。これが重なる部分ほど、僕にとって貴重で美しいものもありません。

これからも、皆さんの様々な体験や思想、感情などをここから見つめさせていただきます。
そして、自分の人生から得た知見などあれば、自分のためにも体系立ててまとめ、発信させていただきます。この行為もまた、自分の人生においても非常に価値を持つと思っております。

遅ればせながら挨拶に代えまして。
親愛なる皆様へ。

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