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青春という物語について

思春期に手に入らなかったものを成人後に求めるとはよく言ったもので、自らの中にもそのような感情の働きを感じる。

ひとえに共通の青春という夢物語について共通認識させられ、目指すべきものとして定着させられているような感覚を覚える。
メディアやコンテンツもそれを煽り、ここを利用することこそ青春である。と掻き立てる。

自らの中から出た感情を表す文章が次の瞬間には、自らの中から出た感情を批判するような文章が出てくる。
異なる思考を持った人格が同居しているかのような感覚。これが人文科学の目を持つということのメリットかもしれない。
人文科学の本質は批判である。と言われる。
人文科学者を批判するのもまた、人文科学者なのだろう。このレスポンスの早さ、フリースタイルバトルのよう。(そんなことはない)

映画や小説のようなコンテンツの中で、時代と共に青春のあるべき姿というのは変化しつつも、中高生ないしは、かつて中高生であった大人たちの心を動かしてきた。

現在思春期を迎えている人は、創作と現実の間のギャップを受け入れた上で、自らもまた青春たらんと現実に希望を見出しながら生きようとする。

あるいは創作を創作と認識し、現実とは完全に別物であると区別した上で、思春期の人々に対して自らの青春という過度に美化された夢物語を重ね合わせ、あなたもまた青春たれ。というような目線を送る大人に違和感を抱くことだろう。

青春とはまた違うが、インスタグラムなどで美しい写真を掲載する人。美しく目指すべき生の在り方という共通認識が存在し、自らの生活の中に、美しく目指すべき生の在り方を端的に示すようなシーンを見出し、あるいは生活の中に作り出せるよう働きかけ。それらを切り貼りし、同一のプラットフォーム上に繋ぎ合わせることで、現実の生活とはまた違う、在るべき自らの姿を作り出しているように思う。

このインスタグラムの性質は青春と似通っているところがあると思う。

僕の心の働きは、青春という目指すべき共通認識を理解した上で、現実とのギャップを埋めるため、過去を遡り違う選択を行った場合を想像し、目標達成のためにあらゆる選択を行う前提のもと、都合の良い場面のみを切り貼りし、解像度の低さがゆえに現実とは異なる自分にとって都合のいい、架空の物語を創作している。と捉えられる。やはり全て夢物語である。

想像は個人の自由で、楽しいならそれでも良いが、全て想像のみによって行われている分、インスタグラムより前が見えていないように感じる。

そもそも人生はその時々の感情や、知識、判断によって、一つ一つ形作られ、結果として存在しており、一方通行であるからこそ、美しく価値のあるものであり、人の生そのものに絶対的な価値を見出す僕の思想と親密にリンクしている。

複数の特定の結果のみを求めるために行動を選択した場合を、未来から過去に向けて想像することには、僕は価値を見出せない。

現実をより良く生きる手立てには到底なり得ないだろう。心の休憩所としての効果は期待できるが、過去に向けた架空のイフ物語の先に未来はない。のである。

重要なのは、現実を受け入れた上でそれをどう捉え、どういう思想を持ち、未来を見出し、行動に移すか…である。

思春期…12歳から18歳くらいまでのこと
青春…いわゆる若者が過ごす充実した人生の時間や行動、心のありよう…的なもの。

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