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人との思い出は匂いとして残る。

雨上がりのアスファルトから鼻腔をくすぐる懐かしい匂いがした。

鬼ごっこしながら帰った小学生の頃。好きな女の子と一緒に帰った中学生の頃。渋谷のタワーレコードで好きなバンドの新譜を買うために走った高校生の頃。飲みすぎて酔っ払って帰った大学生の頃。色々な出会いの中でその中にはいつも自分がいた。無邪気に笑っている自分。真面目に取り組もうとする自分。他人から言われたことに従おうとする自分。またそれに反発し、正直になろうとする自分。それぞれの自分はとてもとてもさまざまで客観視すると実にユニークなものである。それは今となっては昔のこと。

10代でいるうちは「年齢を重ねればその先が必ずある」という安心感があった。 28歳となった今は、未来が途方もなく厚くて重い灰色の壁のように感じる。僕の目の前には巨大すぎる人生が、漠然とした時間がどうしようもなく横たわっている。時の流れは欠片の一部のように素早かった。20代となってからは人との出会いが多くなっては別れをくりかえす。いつどこで会うかわからない人と「じゃあ、またどこかで」と言って別れるが、大体は次会う約束はたてない。そのとき僕は途方もなく道なき道を歩いているかのようになる。人との出会いは希望でもあり絶望でもある。

僕の数少ない趣味であるシーシャを吸っていると、ときどきその時一緒に吸っていた元カノのことを思い出す。別れた恋人との思い出の品や写真は撮っとくか、捨てるか。僕は捨てる。しかし、シーシャを吸っているとヘンな元カノのことを思い出す。

ヘンな元カノとの出会いは大学3年の春。当時所属していたゼミナールで一緒になった同い年の女の子。経緯は割愛するが、後に意気投合し交際を始める。珍しくタバコを吸う子であった。授業終わりに喫煙所で彼女の喫煙に付き添う。僕はタバコを吸わないがよく友人がいる喫煙所について行くこともあったため、今日もそんな感じで彼女の\一服に付き合っていると

「吸うてみる」

彼女に言われるがまま人生初の紫煙を燻らすことに。そして案の定むせる。

「やっぱダメかぁ〜笑」

僕にはダメだった。でも20歳こえたことだし少しくらいイケナイこともしてみたくなる。身体に悪いのは百も承知だが、これを嗜む彼女もカッコよかった。

「“シーシャ“っていう水タバコ知ってる?」

この一言がきっかけでシーシャを吸いに行くことに。学校の近くにあった彼女の行きつけのお店だそうだ。(“行きつけのシーシャ屋“という日本語が存在するのか。戸惑い)

タバコであることに変わりはないが、口に煙を含ませ香りを楽しむものだと店員さんから優しい説明をうける。初めてのシーシャに心を躍らせながら恐る恐る吸ってみる。

「あ、いいねこれ」

「でしょ?笑」

天井に届きそうな紫煙を眺めながらゆっくりとした時間が流れるこの空間に、大船に乗ったような気分を味わう。フカフカなソファに体を預け、静か~なBGMに少し眠くなる。心地よい。これはいいかもしれない。

これが僕のシーシャ趣味の始まりだった。あのとき初めて吸ったシーシャの味は思い出せないが、初々しい自分の姿を思い起こし、今昔の感に浸る。シーシャというものを教えてくれたそんな彼女とも秋風が吹いた。でもそんな彼女から影響をうけた趣味は他にもある。一緒にヴィレヴァンに行っては変なグッズを勧めてくるし、古着屋や雑貨を巡ったり、それまで自分にはなかったスイーツを嗜む趣味もできた。

シーシャを吸うと、僕はそんなヘンな元カノのことを思い出す。その人とすごした思い出が匂いとして戻ってくる。しょっぱい想いをしたり苦汁を飲んだり、甘い時間をすごしたり。それに誰かの誰かの温もりを感じることもできる。このことから僕は人との思い出は匂いとして残っているのだと知る。それは良い匂いだったり、悪い匂いだったりする。その匂いは辿ることのできない幻影みたいなものだけど、着実にその面影は色濃く残っている。その匂いというのは、目に見えて形のある確かなものは何もない。それでもあの時の匂いは僕に見えないものの存在を信じさせてくれる。

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