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読書はこころに化粧を纏うようなものである

午前5:25、外はまだ暗い。
朝日に向かう列車はまだ静かなとき、僕はいつも本を読んでいる。それはまるで身を包む衣のようにまとっているようなもの。オレンジと群青色がまじる車窓を眺めながら、本を読んで悦に浸るのが好きだ。本の向こう側にある自分のこころを見つめる時間が必要である。それによって安寧が保たれる。そわそわと落ち着きがなくなったり、心ばえを感じたりするもするが、本によって満たされる度量は計り知れない。束縛をうけることのない有意義な時間である。

どの本にも、場面場面を切り取ったらどれも良いシーンがある。「その本のなにがよかったか」は、一番印象に残った場面や感動した場面でもなく、通?乙?知る人ぞ知る的なことなのだがピッタリはまる言葉がわからない。自分にとってたまらなく好きだが、人に説明してもわからなさそうなので、ニヤつきそうになるのを我慢しているときのアレに近い。

太宰治の作品を何作か読んでいると、実は思春期の中学生のようなものを感じたり、傲慢なところだったり、実の娘にデレデレな一面を見せたり、、、みたなことを誰かに語りたくなる。ヲタク特有の早口になってしまうアレだ。ヲタクは素晴らしい。長文を一拍もおかずにしゃべるのだから。

完全無欠モードの僕が本を読みだすと、活字が躍りだす。その活字とダンスしている気分になる。まったく頭を空っぽにしていると、ただ流し読みになってしまうが、登場人物にツッコミながら読んでしまうのが僕あるあるである。「いや、もう付き合っちゃえよw」とか「そうはならやろw」とか「い~や、思春期中学生の恋愛か!」と東京ホテイソンみたいにツッコミを入れたり、大忙しである。

乙な気分に浸ったり、こころに化粧をまとうこともできるし、ゆらゆらとさまよう揺れるこころのまま読書している時間が好き。まだマシな僕の数少ない趣味の時間である。

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