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シーシャ屋でYOASOBIが流れてアンニュイになるアラサー男性

6日の日、僕は昼間から神保町のシーシャ屋でシーシャをふかしながら、店内に舞う煙を見つめていた。

空虚に時間が流れる。そして深呼吸する。穴の空いた心がこれで満たされる。チルい。

今回はエナジードリンク系のフレーバーをいただく。ただ煙をふかす。

大人だから一度くらい 煙草を吸ってみたくなって
月明かりに照らされながら 悪いことしてるみたいだ
チャットモンチー「染まるよ」

大人は自由と責任と隣り合わせだ。大人だってたまに悪いことしてみたくなる。大丈夫。チャットモンチーもそう言ってる。煙草を吸うには及ばないがシーシャ吸うてるだけで悪いことしてる気分を味わう。

文化的に過ごす休日に少し自惚れている。好きな本を読んで静かに本が読めればいい。大衆的なカフェに行くと周りのキーボードの打鍵音がうるさい。小説を読んでていかに没入感に浸れるかなのに。でも不思議なことに、周りの騒音をかき消すように村上春樹『ノルウェイの森』はすんなり物語に入れる。すごい。文章で人を黙らせることができるのか。そんな文章があるんだな。

脱線したが、そんなシーシャを吸いながら不意に店内の有線で流れてきたYOASOBI「アンコール」を聴いてしまった。その曲を聴いていたら「エウレカ!!!」だった。僕はアルキメデスではないがつい、そう叫びたくなった。

明日世界は終わるんだって
君にはもう会えないんだって
またいつかって手を振ったって
叶わないんだよ
YOASOBI「アンコール」

「明日世界は終わるんだって」って始まり、哲学的な問い。文学で「君」っていうと大体「男性」だからこの歌詞の語り手は女性なんだろう。明日が来ない絶望の淵に立たされた女性目線の歌なんだと察す。なんてアンニュイな歌だ。聴いてて気分が沈む。まぁ、これがYOASOBIなのか。と思いつつ、聴いてみると最後が衝撃的だった。

明日世界は終わるんだって
明日世界は終わるんだって
もしも世界が終わらなくたって
明日がやってきたなら
ねえその時は二人一緒に
なんて
YOASOBI「アンコール」

「世界の終わり」を考えるんじゃなくて、「もし明日世界があるなら」って曲の最後に絶望から希望へと、対比を持ってきて胸の底が熱くなった。しかも最後の「なんて」って魔性の女かよ。

そんなことを思案しているうちに2時間経ってしまった。もういいか、と店を出る。17:00回るか回らないかそんな時間だったと思う。店の外を出るとひどく冷えていて、YOASOBIの「アンコール」を聴いてアンニュイになっていた僕と同じように、上をみると重たくうす暗い雲が包まれていた。

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