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【無料公開】『おはようクラブ』ワーク・イン・プログレス|試演会&フィードバック会

冬枯れの季節を迎えました。皆様いかがお過ごしでしょうか。

2019年12月4日(水)〜6日(金)に会場となる吉祥寺シアターで、円盤に乗る派の新作公演 かっこいいバージョン『おはようクラブ』の上演に先駆けた、ワークショップとワーク・イン・プログレスを行いました。

限られた日程でしたので、ご都合つかずご来場を断念された方もいるかと思います。そこで今回は、12月6日(金)に行われたワーク・イン・プログレスの様子を動画及びテキストで無料公開いたします

上演が立ち上がっていく様子をご覧いただき、「共同演出」という新たな創作方法と格闘している姿や、今後かっこよくなっていくであろう姿を、少しでも体感していただけると嬉しいです。

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『おはようクラブ』ワーク・イン・プログレス

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【日時】2019年12月6日(金)20時開演
※入場無料・入退場自由

【演出】カゲヤマ気象台*⇔蜂巣もも(グループ・野原/青年団演出部)
【脚本】カゲヤマ気象台*
【出演】日和下駄* 、畠山峻(PEOPLE太)、上蓑佳代(モメラス)、横田僚平(オフィスマウンテン)
*=円盤に乗る派プロジェクトチーム

【主催】公益財団法人武蔵野文化事業団・円盤に乗る派

ワーク・イン・プログレスにあたって

カゲヤマ気象台のコメント
実際に作品を作りながら、今までとだいぶ違う感覚がしている。これまでは作・演出家として、どうしても組織内では定点に居ざるを得なかったのだけど、今回は自分の(クリエイションにおける)相対的な立ち位置が、徐々に流動的に変化しつつあるのを感じる。自分も内部に居ながら揉まれていて、しかしそれは作品のために機能している(だろう、おそらく)。その運動はどんどん大きくなる予感がしている。過程を見守っていただけたらと思います。
蜂巣もものコメント
カゲヤマ戯曲の上演の試み一度目の『水』では、私もまさに水中にいるようにもがき苦しみ、構成がてんでばらばらで、俳優との制作方法が全く掴めなかった。
今回は重要なカゲヤマさんの身体・発語感覚、意識を引き継ぎつつ、ちょっと戻って、理解を掘り下げ外側を仮定する。出発地点となる初段階だ。これはかなり分かりやすいと思う。本番はここからより内在化させる。ぜひ見比べて、円盤に乗る派とは何なのか触れていただきたい。

試演会

フィードバック会

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カゲヤマ
では、フィードバック会の方を始めたいと思います。よろしくお願いします。まずフィードバックペーパーの方、ありがとうございます。いただいたペーパーを元に質問に答えていくような形で、この作品をどうやって作っているのかということからお話できればというふうに思ってます。

いただいた質問の中で、俳優のからだはどういう状態なのか、という質問であったり、セリフをどういうふうに扱っているのか、といったご質問が多かったので、その辺りがトピックになるかなと思います。

まず、体について、「どういう体なのか」ということからですが、最初に私の方で演出をつけて、こういう身体を運用していこう、というふうに作ったものがあります。で、劇場に入ってからそこにいろいろ要素──始まる前に蜂巣さんから説明してもらった「穴」というものもかなり大きいかとは思うんですけど──がさらに加わっていきました。だから、いま単純にこういうことやっている、というよりも、もうちょっと重層的な感じにはなっているのかなと思います。

基礎的な体がどういう体なのか、ということに関して言うと、自分の中では、「可能性を担保するための、いろんな可能性を獲得するための体」でやろうという意識で演出しています。もう少し違う言い方をすると、「違うものに変身してしまいうる体、してしまう可能性が生まれる体」、あるいは、「見ている側から何かを与えることができる、つまりイメージを与えられる器として機能しうる体」とも言えるかと思うんですけど、そうした形でやれないか、ということを考えています。

具体的にどういう指示を俳優にしたのかというと、まず基本的にあるのは、自分の実際の肉体の形と、自分が意識の中で捉える自分の身体の形っていうのは、日常の生活の中では乖離してしまうのだけど、それをもう一度一致させる、回復させるということです。よくある例だと、車を運転してると自分の身体感覚が車ぐらいに広がってしまうとか、あるいはスマホや作業に没頭してると、意識がすっぽり抜け落ちて目と指だけになってしまうみたいなことが起きてしまいます。

それを取り戻したうえで、全体の状態を保持しながら動くのだけど、ただ、それを保持しすぎていても、固定されてしまっているなとも思う。そこで、なにかの形に変身してしまう、何かになりかけてしまうということが起きつつ、でも、そうなりきってしまわないで、また元の体に戻れるようにしておくっていう意識を持つ、ということを基本的な意識として演出していました。

蜂巣
それは、戯曲を書く時点から考えて書いているんですか?

カゲヤマ
まずこのやり方自体は、この戯曲から抽出してきたものではなく、私が自然に、「そういう身体で演劇を見たい」というふうに思っているのが前提にあるんです。

それに、これを書いてるときって、やっぱり自分の身体で書いてるんですよね。だから、俳優にどういう身体を与えたいかという意識はあまりなく、パソコン打ってる自分の身体で書いてます。ただ、そのとき自分がさっき言ったような状態になっているかというと、そうではない。別の在り方で書いたものを、別途俳優に付与して、職業的にやってもらうと、演劇が生まれる、みたいな。だからそこは分かれてるって感じです。

蜂巣
メソッドみたいな?

カゲヤマ
うーん、まあでもメソッドになりますよね。ある方法論があって、ある戯曲を書いて、それをある方法論で再生、プレイすれば、演劇ができるっていうことではあるかなと思います。

とはいえ、それだとすごく素朴なもので、じゃあどういう影響を舞台上で周りから受けてるんだっていうようなことがあるんですね。そして、その影響の受け方というのは、本当にいろんな演出がありえる。その中の一つに、「穴」というのがあります。

この「穴」をどういうふうに見るんだということを、今日はワーク・イン・プログレスが始まる前にずっと話してたんですよね。その辺の話をちょっとしてもいいかなって思うんですけど。

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蜂巣
そうですね、稽古場ではほんとに迷い尽くしてまして……。
まず前段のカゲヤマ稽古を見て思ったことが、私が大学のときやっていた舞踏の流れを汲むダンス──伊藤キムという方に習ってたんですけど──にはかなり即興性を重視した考え方があります。もしかしたらカゲヤマさんの考え方はそれに近いのかなと思いました。

ある環境において、自分の体がどれだけ今躍動をしたいか、あるいは抑制して周囲に耳を澄ませていたいとか、相手の状況を受けて急に自分も躍動しだすとか、即興的に捉えて踊る。物語や人の影響に凭(もた)れず、完璧な自分の踊りを見せちゃうということでもない、中立に立って冷静な状態で踊る、躍動する、そういう考え方に近いのかなって思ったりして。それは今、ワーク・イン・プログレスを観て言語化されていきました。

カゲヤマさんの演出・実践が一体何なのか必死で捉えながら、この小屋に入ってから最初におこなったことが、美術として、ある人の遺品(日用品)を置くということです。物によって空間が名付けられている。かなり物語性の強いアイテムを置いて、その周囲でセリフを内在化させた体がとつとつとモノローグをしたり、ダイアローグをすると考えたんですけど、これは失敗しました。話の中心が人ではなく物になったんです。舞台上の設定の方が強くて、頑張っても物(物語)に依存するしかなく、結果的に散漫になってしまいました。

『おはようクラブ』自体は、仲間になった4人が旅に出る話で、そのドラマを描ける方法を必死に考えてたんですが、どうやらそれが違う。
それよりも最初に4人がやっているモノローグから、徐々に仲間を求め、求めた先に見えてくる場所がある。状況が生まれてしまう。何らかの祭が盛り上がっていく。この穴の「崩れつつある場所」「ボロが出ている場所」と、人物の身体や内在化された不安定な言葉が共鳴し合うというイメージから、こういった設定を行いました。

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カゲヤマ
そうですね。かつ、その中で、やっぱり個々人がやってるそれぞれの作業っていうのが、ちょっとずつ違う。それはまだ、答えが見つからないというのもあるし、最終的に答えをたぶん見つけないっていう気もするっていうのはあるんですが、とりあえず今の段階での話をしたいと思います。

先ほどの、「この場でモノローグを言う」ということの話もあったんですけど、フィードバックペーパーの中に「モノローグは誰に話しかけているのか気になった」というのがありました。独り言なのか観客に話してるのか、ということで、それは「穴」の捉え方とも関わってくるような話でもあるような気がするんですよね。そこで、その辺を今日やってみてどうだったかっていうのを俳優さんそれぞれに訊いてみたいと思います。

下駄
さっきカゲヤマさんがどういう身体をやりたいと思ってるか、っていう話があったんですけど、けっこう抽象的に言うわけですよね。でも、俳優は具体的にやらないといけない。その俳優自身がどうやってカゲヤマさんが要求するような形にするのかっていうのは、結構個人的な作業であって、そこも一緒に答えられると、他のフィードバックペーパーの質問にも答えられるかなと思います。畠山さん、どうですか。

畠山
こんにちは、畠山と申します。えっとですね、稽古が始まってからずっと、僕が同じような対象に同じようなセリフで話しかけることはないんですよ。「ここに出てきてお客さんに喋ってね〜」とか、そういうふうな方向付けみたいなことは、カゲヤマさんはあんまりする人じゃないから、稽古ごとに違うっていう感じがあります。

先ほどの私の場合ですと、最初の小声で出てくるときは、「独り言」と「『穴』にそれが入ってしまうっていうこと」の7:3くらいです。お客さんには喋りかけてなかったです。それで、一回はけたあとの二回目は客席を向いて──迷惑だったら申し訳ないんですけど──喋りかけてたと思うんですけど、あのときは言葉ごとによって選んでいます。お客さんに話しかけたり、自分の中で終わらせたり、あとは「穴」から言葉が出てきて体に入ったから下から出ちゃったりとか。いろんなことがあるなあ、起こるなあというような体(てい)でやっていますので、「ここからここまでお客さんに話します」「ここからここまでは独り言ですよ」みたいな綺麗なぱっきりとした分け方はあんまりしなかったなあというのが、先ほど僕がやっていたことですね。

蜂巣
お客さんに言ったり、「穴」から出てきた言葉を通ってきたりっていうのは、どうやって決めるんですか?

畠山
それはそのときの気分なんだよなあ。

蜂巣
(笑)

畠山
お話をする、セリフを言うことにおいて、必ず声が出るまでの触媒みたいなものがいくらか見つかって、それを固定して配置できるようになると、本番の再現性が高まるということだと思うんですけど。今はそれを探る段階でやっていて、できるだけなんでも来いみたいなスタンスでやっていたっていう感じです。だからなんか出てきちゃってる、ってことですね。

下駄
下駄です。どうやってあれをやってるか、ということなんですけど、自分と外との区別を意識的にちゃんとしておく、ということをやってます。それはたぶん、今ふつうにやってる「私はあなたではない」みたいなことなんですけど、演劇だと「私とあなたが一緒になる」みたいなことがフィクション上だとありうるし、起きやすいのかなっていう気がするから、ちゃんと普段やっていることを意識しておくっていう状態で始めています。

その上で、基本的には「テキストを読む」というのをやっています。どうやって読んでるかというと、台本があって覚えてるんですけど、覚えてるセリフを自分が言える範囲で認識する。そして、それを認識できる範囲で言う。それを続けていく。なんで続けていくかっていうと──これは僕が俳優をやっている理由にもなるんですけど──台本を読みたいというモチベーションがあるから、っていう感じです。

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それで、この「穴」なんですけど、今回は「穴」とかよりいちばん影響を受けたのは緊張していたってことですね、お客さんも入ってて。

カゲヤマ
緊張してましたね。

下駄
緊張しました〜。はい(笑)

カゲヤマ
まあ緊張するよね。

下駄
うん。「穴」について言うと、いちばん最初のときは、僕は最初ドアからさささっと出て来てたんですけど、今はこれ穴ではないじゃないですか。見てわかると思うんですけど、テープだし。穴じゃないから、僕が「穴だ」と思えるくらいまで近くに寄って、自分ではないが、特別ではないもの、つまり、他のものと一緒くらいのレベルで見て、その上でセリフを言ってみる、というのをやってました。

次は、また同じ場所に来て、今度はお客さんも入れて見ました。ここで初めてお客さんを見たので、「あ、こんな感じでいるんだ」って緊張しました。「穴」もあって、お客さんもいて、という中で、「大きくセリフを言おうぜ」という指示もあったので、声を大きくしていったって感じです。

それから、フィードバックペーパーに「『ホンジュラスにいたとき』って言ったとき、本当にいたように思えました、なんでででしょうか」とあったんですけど、僕もなんでかはわかんないです。なんでわかんないかって言うと、セリフを言うときに「こういうふうに言おう」っていうのを準備せずに言ってるからなんです。いちばん最初のセリフが「そのコーヒーどこで買ったの?」っていうセリフなんですけど、それを言うにしても、いろんな言い方が考えられうるじゃないですか。その言い方を決めずにおいといて、言いたくなるのを待ってから「そのコーヒーどこで買ったの?」と言うのをやっています。だから、なんでそう聞こえたかはわからないし、次もできるかはわかんないです。

上蓑
上蓑です、よろしくお願いします。ありがとうございました。まず、お客さんに話しかけてはいないです。私のやっているCという役は、文体として散文的で直接的に誰かに話しかけるような文体ではなく、自分のことをずっと説明しているようなセリフなんです。でも、完全なる独り言という意識でもなくて、もし、これを誰か聞いていたとしたら、これおもしろくない? みたいな(笑) 。そういう気持ちで、さっきはおもしろいことを話したいみたいな感じだったと思います。

一度目、すごくちっちゃい声で話してるときは、回によって、「穴」が「穴」に見えたり見えなかったりするんです。果たして今日は、今回は「穴」に見えるだろうか、と思いながら、わりと素直に「穴」のある方向に発話するっていうことをまず試したんですけど、「あ、ぜんぜん穴じゃない今日は」と思ってはけました。

それで、二回目出てきたときは、やっぱりお客さんも入っているということもあって、空間がものすごく拡張したような感じがあり、「穴」の存在感がすごく薄く感じられました。でもそれも含めて全部、私の、この発話している「主観の世界」みたいな感じだったので、わりと話しているうちに気持ちよくなっていたというか。私の話している世界がどんどん広がっていくなあという感じはありました。お客さんたちを無視はしていなかったですけど、かといって別に人が聞いているという意識もなかったという感じですかね。

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横田
横田僚平です。ありがとうございました。最初は、小さい声で「穴」と「僕」がいて、でも独り言ではないんですよ、僕は。というのは、お話があるから。ちょっとわかんないですけど、誰かに聞かせるためのお話があるから、これは独り言ではないと思うんです。

声が小さいっていうのは、そのお話は自分の中にあるということなんですね。カゲヤマさんが言っている「テキストの言葉をマクロに見たら、言ったことのない言葉はなく言葉はすでに身体に内在している」っていうことの始まりをやるみたいな感じですね。意識的にその始まりをやるみたいなことで、自分しか把握できない声かもしれないですけど、絶対外には届けたいと思っているので独り言ではない。だから、お客さんに喋りたいとは思ってます。でも、お客さんを目視で確認するとかそういうことはしていません。というのは、小さいとこから始めるという意識があるからです。

ただ、「穴」と「僕」、だけじゃなくお客さんもいるし、いろんな環境が等価にある。「等価にあることの良し悪しをつけない」というのはよくカゲヤマさんに言われていて、まさにそれをやりたいんです。でも、今は内省的と言ったらちょっと簡単すぎますけど、そういう感じで、等価なことまで目視とかじっくり確認できないっていう状態です。二回目は、「大きな声を出す」みたいなテーマがありました。

蜂巣
それは私が課したテーマですね。

横田
その上で、いろんなものが環境としてあって等価なことなんだっていうのを積極的に見ていこうと思い、「穴」を見たり、お客さんを見たり、劇場のライトとか見たり、っていう感じでした。対象は僕を取り巻くすべてなんですけど、僕の気分ではあるんですが、「穴」に意識がいってしまうようなテキストのときは「穴」に、「群衆が……」っていうことになったらまあ単純に(お客さんを見て)群衆だ、という感じですかね。

だから車が出てきたら、さっきカゲヤマさんが言ってた「車のサイズに身体が拡張する」みたいなことがあるのかもしれないんですけど、そのテキストのサイズに身体が拡張するみたいなものは僕はまだ実験してないです。
でも環境が等価にあるということを考えながら、そして言葉があるからそれを口に出しながら、その環境の中にも気になる、こう、ハエみたいなのが飛んでる。それに感化されて体がこっちを向いて、あ〜なんだなんだなんだみたいな、そういうハエがブンブン飛んでるような印象があります。

カゲヤマ
はい、ありがとうございます。
そうですね、いただいたペーパーの中で「ダメ出しが聞きたいです」っていうのがあって、これも含めてなんですけど、じゃあ今後どういうふうにしていくかみたいなことも軽く話したいなと思います。

これは、観ていて僕の感じたことなんですけど、今やってる、演技のレベルでもシーンのレベルでも一つ一つのことがけっこうバラバラではあるなと感じました。場合によっては、ある言葉から広がりうる物語と、その次に言った言葉によって広がる物語が、ぜんぜん違うベクトルの物語として連続して起こるみたいなこともあったなと思っています。ただ、それは、ある見方をするとおもしろくはあるんだけれども、あまり自分の演劇の理想ではないなと思うんです。

やはり、バラバラすぎてはいけなくて、全体を通して一つの物語が見えるということがあるのが演劇としては素直じゃないかとは思うんですよね。
今は、モノローグひとかたまりのレベルでも、シーンごとでも、繋がりみたいなものがない。現時点では演出がそこまで加わっていないからというのもあるんですけど、最終的にはやはりシーンの繋がりとかそれを通じてトータルの何十分かの演劇になったときにその何十分かの全体性みたいなものっていうのが、やっぱり見えるようにはしなきゃいけないよなっていう気持ちはしています。蜂巣さんはその辺りどうですか。

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蜂巣
すごく悩んでいます。自分がよく使う手法、いわゆる普通の演劇として立体的になるようなノウハウは持ってるんだけど、今回それらを当てはめると「クサい」みたいなことがよくあったので、ちょっと悩みどころですね。
でも全体感はおいおい決まるかなと。

カゲヤマ
そうですね。だから、さっき畠山くんが言ってた「気分でやる」みたいなのをコントロールして、一方では気分でやるんだけど、しかし通底している一つの物語が生まれるようにしたい、みたいな感じがあるんですよね。

畠山
うん、それすごくいいね。でも、僕は固くならないようにがんばります。

カゲヤマ
では、最後なんですが、何か今の話を聞いていてとか、 新しく思ったことなどありましたら、受け付けたいと思います。

質問者
「穴」が「穴」に見えるかどうか、みたいな話を俳優の方が何名か挙げてたんですけど、たぶん今日、説明が最初になかったらお客さんは「穴」だと思わないですよね。

蜂巣
まあ…それは空いてないので仕方ないですね。

質問者
それで「穴」に見える必要性をどう考えているか、たぶん俳優にとってはセリフの行き先とか言葉を言うためにないと困るものかもしれないけれども、そのこととお客さんがそう見えるか、というのは関係するのかどうか、ということを聞きたいです。

蜂巣
関係すると思います。ただ、「あ、穴があるからこういう言葉なんだな」といった瞬間的にもたらされる効果は期待はしていなくて、観終わったあとにじわじわくる、ぐらいの想定です。

質問者
それはお客さんが「穴」に見えてなかったとしても、結果としてなんらかの効果がそこに生まれるという?

蜂巣
このショーイングでですか?

質問者
いや、本番でも……

蜂巣:
本番では、実際に穴を開けるので、「穴」を見てもらうというより、穴そのものと俳優の体や言葉が対比されるということになると思います。

質問者:
ありがとうございます。

カゲヤマ
では、時間の関係で以上とさせていただければと思います。本日は、ショーイングとフィードバック会にご参加いただきましてありがとうございました。

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2020年1月11日(土)〜13日(月祝)に上演する、かっこいいバージョン『おはようクラブ』ご予約はこちらから

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演劇プロジェクト円盤に乗る派(代表:カゲヤマ気象台)によるマガジンです。概要はこちらhttps://note.mu/noruha/n/...

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複数の作家・表現者が一緒にフラットにいられるための時間、あるべきところにいられるような場所を作る演劇プロジェクト。東京と浜松の二都市を拠点として活動。代表:カゲヤマ気象台 https://noruha.net/
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