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年齢は関係ない、は慰めか本意か
アラサーの時は単身東京でキャリア形成初期ステージで奮闘真っ最中、
アラフォーの時に母親デビューをしたが、体力、メンタルともきつかった。
アラフィの時はワンオペ子育て真っ最中、他に余力なし。
そしてアラカンとなった今、年齢は関係ない、と言われても
どう感じたらいいのか、模索してみたいと思った。
還暦とは60歳を迎える方の長寿のお祝い、あるいは60年生きて干支が生まれた年に戻る。
最近の60代は新40代と言われているそうで。
実際、ミドル世代とも言われる40代から60代は
多少の心体の衰えは出つつあるものの、子育てから卒業するのもこの世代で
自分にかけられる時間が増えたりで年齢を感じさせない
若々しい人が増えているのも事実だと思う。
子育て等の理由でいったん美しさの追求から離れていた女性が、子育てが落ち着き自分にお金をかけられるようになったことで「美の再始動」をスタートするのもこの世代の頃。最近では40~50代の女性たちは【マチュア世代】とも一部で呼ばれ、大人文化を創り出す年代としても注目が集まっています。
今この時がいつでも一番若い
この世に生まれた時点で人生を終了するまで時間は進み続ける。
時間の流れの感じ方は変わってくるけれども。
大人の方が子供よりも時間の流れは早く感じる。
これは年齢とともにどんどん加速するものらしい。
1週間が過ぎ去るのも季節が過ぎ去るのも年々あっという間である。
1時間前の自分、1分前の自分が現在の自分よりも若い、ということになる。
だとしたら、少し前の自分の不甲斐なさを嘆いているのはもったいない。
今の自分が出来ることは昔の自分が出来なかったこと
私が中学時代に流行った漫画 “エースを狙え“。高校生になったらテニス部に入るんだ、という思いだけで受験勉強を凌いだ。
それだけあの漫画は魅力的だった。
ところが母親のそんな余分のお金は家にはないの一言で
テニス部の夢は消えてしまった。
確かにその当時は現在のように量販店ができる前の時代で
老舗のデパートで買い物をするのが当たり前。
ラケットにせよ、テニスシューズにせよ、全てがきっと高かったのだろう。
30代になって仕事にもお金にも余裕ができて来た時、
仕事帰りにテニス教室に参加してみることにした。
でも大人初心者が上達するのは並大抵のことではなく
すぐに挫折してしまう。
その挫折を何度か繰り返しているうちにテニスに関しては
浦島太郎のようにあっという間に50代に差し掛かってしまった。
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懲りることを知らない私。50代から始めた現在のテニス教室は
40代から60代の女性たちで個人のレベルも様々である。
自分の上達の遅さに苛ついてやめてしまおうかな、と思ったことも多々ある。
でも今回だけはどうしても続けたい。もちろん上達もしたい。
何よりもお婆ちゃんになってもテニスを続けていて、
そして新しい仲間も作りたい、
といつの間にか目的が変わりつつある。
だから多分今後もゆるりと続けていくんだと思う。
いろんな角度から解釈する、年齢は関係ないの意味
私の場合、50代前半で再開したテニスは、スキル上達の目的以外に
社交の意味合いの方が強くなってきた。
始める年齢によって異なってくる目的。
だから何を始めるにしても年齢は関係ない、という意味に入るのかもしれない。
自分なりの解釈だが。
“Procrastinate like there is a tomorrow” (明日に先延ばししてしまおう)
ユーモアたっぷりの言葉である。明日があると思うから
今日やらなくても大丈夫と思える。
でも今日出来ないことは明日から本当に出来るのだろうか?
もうこの年齢だからと、何かを始めるのを躊躇するのではなく、
今の年齢だからこそ始めたり、再開するべきものがきっとたくさんあると思う。
そしてこんな風に考えることができる平和な世の中が続くように、
と願わずを得ない。
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