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落語は大衆芸能ではあるけれど古臭いわけではない。古臭いのは決め付けだ

ということを教えてくれる「21世紀落語史 すべては志ん朝の死から始まった」広瀬和生著(光文社新書)を読んだ。

結論
1日でも早く寄席へ行きたくなる

落語っていうのは平安時代からあるらしい。それが庶民の娯楽になったのは江戸時代。江戸っ子たちに人気のいわゆる大衆芸能。大衆芸能っていえば漫才だってコントだって同じなんだけど、落語っていうと何かこう古くて、お年寄りの娯楽っぽく感じてしまう。着物を着て正座して、くまつぁん、はっつぁんなどと江戸っ子話をしていればそうも思えてくるし、実際高齢者に人気のある娯楽であることに間違いはない。高齢者が楽しめる娯楽、いいじゃないか!最高だ。日本は高齢化社会だからね。

でもそれは別に「古臭い」というわけではない。
本書の中でも書かれているのだけど、落語ってすごく面白いんだけど、それを知らない人が多いということと、自ら”通”を名乗る人と、無知なマスコミが間違った「固定観念」を持っているせいでその存在が何やらおかしくなっていたらしい。それが21世紀に入り徐々に変わり始めてきたというのだ。

私の通っていた中学になぜか「落語研究会」いわゆる落研があり、学芸発表会(学芸会にようなもの)では着物を着て、大喜利をやったり落語をやったりしていた。演目は記憶の限りでは”寿限無”と”まんじゅうこわい”だった。天明くんという男子がいて、そいつがやたら面白かった。彼がどっちを演じたが覚えていないが、もう一人は大して面白くなかったと記憶しているので、落語は演者で決まるんだなって思った。これは他の部活も同じで、女子バレー部は強かったので、観戦していてワクワクしたが、男子バレー部は弱くて観ていられなかった。上手い下手で、試合そのものが面白くもつまらなくもなる。要は選手次第なのだ。中学生の時にそこまでわかっていたわけではないが、落語が面白いというよりか、天明くんの話し方が面白かった。

そんなことはさておき、
子供の頃、私の中で落語家といえば、笑点メンバーを除いては、以下の三人だった。
・古今亭志ん朝
・柳家小さん
・立川志の輔
おお〜すごいぞ、PCで一般変換できる知名度、さすがだ。

で、なぜこの三人かというと。

・古今亭志ん朝→錦松梅(きんしょうばい)
・柳家小さん→永谷園 お味噌汁
・立川志の輔→ペヤングソース焼きそば

全員コマーシャルで活躍してたから。
志ん朝の「錦松梅」は、ちょっとした芝居が食欲をそそった。
柳家小さんは「お味噌汁なら永谷園〜」というフレーズが有名。
そして立川志の輔の「ペヤング」。これも食べたくなったもんだ。

全国区でのコマーシャルに起用されるんだもの。有名人ってことだよね。
で、落語家っていうのもわかる。落語家の体で撮影してるし。
でも本職の落語を聞いたことがなかった。同級生の落語には興味があっても本物の落語には興味がなかったのだ。一度父に落語について尋ねたことがあったが、父はそれなら古今亭志ん朝が面白いから聞いてみるといい、と教えてくれた。私は図書館で落語のテープを借りて聞いてみたが、これがすごく面白かった。演目はいくつかあったが、品川心中はよく覚えている。
吉原の遊女とそこに通う男の演じ分けがすごくて夢中になって聴いた。
そんなこともあって落語に興味を持ち、日曜日に放送される”笑点”も、いつもは大喜利しか観なかったが、大喜利前の演芸で落語が放送されることを楽しみにしていた。が、いつもいつも落語があるわけでもなく、いつの間にか観なくなってしまい、落語のことは私の中から消えていってしまった。

そんな私にまた落語を聴きたくなる日がやってきた。
「タイガー&ドラゴン」の放送があったからだ。1月の単独2時間番組を観ていろいろ思い出した。あ!これ三枚起請だ。あのとき父に教えてもらった志ん朝の落語にもあった。「あたしゃ朝寝がしたいんだよ」っていうサゲ、なるほどな〜って感心しながら聴いたっけな。4月からは1クールの放送となった。脚本は宮藤官九郎。登場人物は、真打で借金のある落語家とその取り立て屋で弟子入りを志願するヤクザ。廃業したものの落語が忘れられない次男坊といつまでも二つ目でタレント芸人の長男。日常に起こる出来事を古典落語に合わせていく脚色が見事だった。このドラマの中で廃業した次男坊は天才落語家だと言われてきた、という設定になっており、「その凄さは「志ん朝も超えた」って言われるほどでねぇ」と母親(銀粉蝶)が感慨深げに言うシーンがある。
ドラマの中でも志ん朝はスーパースターだった。

古今亭志ん朝が亡くなったことはニュースで知った。でもこれは私にとって単なる有名人の死という事実だけであって、それ以上でもそれ以下でもなかった。ただ61歳で亡くなった父より2歳だけ上の享年63歳が少なからずショックだったことが記憶にある。しかし、私の知らないところではこの「古今亭志ん朝の死」によって落語界を揺るがす、よい言い方をすれば、「温故知新」が起ころうとしていたようだ。
古今亭志ん朝が亡くなったのは2001年10月。世界的に大騒ぎした2000年の翌年、つまり21世紀のど頭だった。本書では「古今亭志ん朝の死によってすべてが始まった」と広瀬氏は言う。つまり20世紀から21世紀に渡るときに落語界が変革し始めた、ということになる。これが実に興味深いのだ。

学生時代、歴史の授業が好きだった。年表を見たり、当時の文献や写真などを見ながら当時のことをぼんやり想像するのが楽しかった。ちなみに肖像画に落書きはしなかった。
しかしこの「21世紀落語史」は新書サイズで375ページある。「落語史」というだけあって、本当に年を追いながら、落語界の様子が事細かに書かれている。しかし空想に浸るような年表や文献はない。ましてやいたずら書きができるような人物写真や肖像画の類もない。あたりまえと言われればそれまでなんだけど、話題に上がる落語家の顔写真や、当時のイベントのチラシなどが資料として掲載されていてもおかしくないし、小説とは違って、実際の人物のことを書いているので、この手の新書には写真の一枚や二枚載っていることがほとんどだ。ところがこの「21世紀落語史」は文字だけなのだ。おそらく430,000字くらいの文字数がそこにはある。
文字しかない歴史の本、それにこの表紙だ。どうして読みたいと思うのだろうか。Amazonの評価を見ても「表紙が・・・」という意見が散見される。
まあ確かに。

じゃあなんで買っちゃたのよ。っていう話なんだけど、それは
立川談笑師匠とのトークイベントに行ってナマ広瀬氏の話を聞いてしまったから。このイベントはひろのぶと株式会社から出版された書籍の著者のトークイベントだった。

立川談笑師匠の「令和版 現代落語論」を購入していて、その人柄に惹かれた私は談笑師匠のトークイベントなら、と参加を決めたのだった。広瀬和生氏のことは「令和版現代落語論」に「副読本」という形で添えられていた書評で知ったばかりだった。東大工学部卒でヘビメタバンドの雑誌の編集長。学生時代から寄席に通い詰め・・・謎な広瀬氏の書評は素晴らしかったが、私の中ではそこまでの人だった。

が、

ちょっと牧伸二に似たオレンジ色の髪のおじさんは凄かった。
立川談笑師匠×広瀬和生というトークイベントにも関わらず、80%以上は広瀬氏が喋っているのだ。ずっと喋っている。きっと1時間半、という縛りがなかったら、朝まででも喋っているだろう。そのくらい喋っていた。
談笑師匠は隣で真剣な顔で頷いたり、笑ったり、している。
私は談笑師匠の話を聞きに来たのに、なんなんだ!
と、始まり3分くらい感じていたが、そのうちにニヤニヤと彼の話に聞き入っている自分がいた。このイベントは40席だったが、正直に言って私はおそらく40番目くらいに位置するくらい落語家を知らない。前述したとおり、
笑点以外は錦松梅と味噌汁とペヤングだけなのだ。それなのに話に引き込まれてしまった。知らない人の話をされても困るし、つまらない、なんて全く思わなかった。むしろ「知らないなら知ればいいじゃないか」くらいの気持ちで聞き逃さないように必死だった。

気がつけば1時間半のトークイベントは終わろうしていた。
サイン会もあるというので、当初は全く買う気がなかった広瀬氏の著書を買うことにし、せっかくだからサインをもらうこと。
「現金か電子マネーでお買い求めできます!」と係の人が言っていた。
ならば現金だな、と財布を見るとちょうど1100円しか財布に入っていない。大都会の夜の新宿で財布がカラなのは私だけかも知れない、とどうでもいいことを考えてしまった。
ちなみにサインをもらっているときに、私の「緊張するとどうでもいい話をしてしまう悪い癖」は「芥川龍之介の「鼻」は今だとコンプラに引っ掛かるような話ですよね」だった。牧伸二に似た広瀬氏は「あ!そうですねぇ!」と笑顔で答えてくれたが、頭の中はクエスチョンでだらけだっただろう。すまんです。

広瀬和生with立川談笑くらいのトークイベントだったけど、それでもやっぱり談笑師匠は大きな器で存在感がすごかった。
志ん朝がこの場にいたら談笑師匠に言ってもらうたい台詞がある。

「中身もいいけど器もいいねぇ」

お後がよろしいようで。




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