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【短編小説】恭子の話 最終回

前回の話

今日の天気は快晴だ。
恭子と母は青森県五所川原市に来ていた。
五所川原市は父の故郷だった。
父が亡くなった知らせを受けたのは、恭子たちが千葉の新しい母の家へ引っ越してから3年ほど経ったときだった。

姉の陽子が総武線の新小岩の駅付近で父の姿を見かけたと言ってきた。そのとき恭子は、ある出来事を思い出した。
それは三姉妹が千葉へ引っ越しをしてからまもなくしたときだった。

ある日恭子が学校から帰宅すると、背は高いが、やや姿勢の悪い、いや背を屈めたような格好でアパートを眺めている40代くらいの男性が立っていた。

(父ちゃんだ!)

恭子は心の中で叫んだ。嬉しい気持ちはあったかもしれないが、腹ただしさが先行していた。父は恭子に気付き、笑顔を向けようとしたよりも恭子が先に口を開いた。
「何しにきたのよ!やっと落ち着いたんだから!父ちゃんのせいで死にそうだったんだから!来ないで!二度と来ないで!」
恭子は父の顔を見ずにそう叫んだ。
父は恭子の顔を見ていたが、やがて何も言わずにその場を去った。
恭子はしばらく父の後ろ姿を見ていたが、父が通りの角を曲がってしばらくすると全身が脱力したようになり、重い身体を引きずって家の中へ入った。
それきり父は姿を見せなかった。

駅の近くで父らしき人物の姿を見かけた陽子は、急に父のことが気になり探すことにした、と言っていた。恭子はなぜ姉がそんなことを言うのかわからなかった。働かない父の代わりに学校をやめて働いた姉だ。父を恨んでいるに決まっている。それなのになんで。
「自分でもよくわからない。でもなんかそうしないと後悔する気がするんだよね。」
恭子は一緒に探す気にはなれなかったし、見つけたところで嫌な思いをするのは目に見えている。もう関わりたくなかった。それに探すっていったってどうやって探したらいいのだ。見かけたと言っても本人かどうかわからない。東京中、いや日本中探すことになるかもしれないのだ。

しかしそんな恭子の思惑とは裏腹にあっさりと父は見つかった。

「無縁仏になる寸前でした」

陽子はまず最初に警視庁に行き、行方不明者の問い合わせをした。担当警察官は陽子の話を聴き、対象になっている行方不明者を丹念に調べ始めた。すると一人の男性に行きついた。それが父だった。
父は河川敷で倒れているところを通報され、救急で病院に運ばれた。
蘇生処置が施されたが、意識不明でそのまま帰らぬ人となったらしい。事故なのかどうなのかわからない。身元不明で警察に安置されていたが、身内が見つからず無縁仏になるところだった。

陽子はそこまでやり遂げると同時に倒れてしまった。
悲しいとか悔しいとか、そういった感情では言い表せない感情が込み上げる。恭子は寝込む陽子の傍で姉の顔を見つめながら唇を噛み締めていた。

父の故郷の青森で葬儀ができないかな、といったのは姉だった。
しかし姉の体調は、命に別状はないとはいえ、無理はできなかった。
恭子は自分が葬式をやるしかないかな、そう思った。
アパート前で父に対して一方的に怒鳴ったことを悔やんでいるのだろうか。違う、あのとき私は間違ったことは言っていない。幼かったころ、父と母と姉と妹と5人での楽しかったときを思い出したくないようにしてしまった父に恭子なりの厳罰を下したかったのだ。そしてそれが図らずとも執行されたのだ。そして恭子は母のことを考えていた。

そういえば、なぜ母は恭子たちを早く迎えに来なかったのか。

母は私たちと再び暮らすようになってしばらくすると、一緒に暮らしていた男性と結婚をした。結婚できた、ということは父と母が離婚して半年は経過していたということになる。細かい日付とかもう気にしていなかった。私たちの同意よりも法律が許せば結婚したかったのならそうすればいい。恭子も陽子もそう思っていた。迎えに来なかった理由は、”結婚をしていなから”とか”娘の中学の先輩の父親が相手だから”と思っていたが、母の口から出た言葉は”借金”だった。
借金と聞いて心底驚いた。この母はなんて不幸なんだろう。夫と別れたものの、また借金のある男と暮らすことになるなんて。きっと母のことだ。主張がない上にノーと言えない性質が災いしたんだろう。
と思ったが、借金はその男のものではなかった。父のものだった。

父は母を保証人にしてお金を借りていたのだ。何を担保にしたのかわからないが、その返済を母がしていた。やばい闇金ではなく大手の消費者金融からの借金らしくなんとか完済をした。完済をしなくては恭子たちを迎えには行けない、と思っていたという。なんていう父だ!無縁仏にしてやればよかった!ツケの回収、母ちゃんも必死だったんだろう、と恭子は今更ながら思った。
しかしなるほどとも思う。納得する場合ではないが、納得はしてしまった。
むしろ、一緒に暮らしている男性に同情した。
借金もなくなったし、結婚もできるし、スッキリと娘たちと暮らせる、そう思った矢先の元夫の訃報。母は葬儀に出ると言い出した。

無縁仏どころか、戒名までもらい、今じゃ仏に弟子入りまでしている。
”仏教の教えってすごい。死んだら仏になるのか。カトリックだったら、神のそばにはいけるけど、神にはなれないからなぁ” 恭子は、前に読んだ「有閑倶楽部」という漫画で美童グランマニエというスウェーデン大使の息子が言ってたセリフを思い出していた。(ホントだよ。死んだら仏って。なんだそれ)
警視庁で無縁仏になる寸前、と聞いた姉の陽子は、幼少のころ一度だけ青森の父の実家に行ったことを思い出し、母にそれとなく聞いてみた。何も知らない母は懐かしそうに写真を見せたり、手紙を見せたりしてくれた。(この人、あんな風に家を出されたのに、父ちゃんの思い出のもの、持ち出してたんだ)陽子はなんだか胸が締めつけられるようだった。その手紙の住所に陽子は手紙を書いた。父が死んだこと、葬儀ができないか、ということ。
返事はすぐにきた。返事の主は父の姉、つまり伯母からだった。全く覚えていなかったが、伯母はこれまでの弟のしでかしたことについて謝り、何もしてこなかったことについても謝っていた。陽子はもっと早く相談すればよかったのかも、と思ったが、そんなことを今更考えても虚しいだけだ。葬儀も引き取りも全て伯母がやってくれる。このことに感謝しよう。そう思った。
そして、安心すると同時に倒れ込んでしまったのだった。


再び母と暮らし始めたものの、穏やかな日は続かなかった。
姉は高校卒業後、母方の祖母を頼り、江東区へと引っ越していった。
今まで疎遠だったのは、またもや父に関係していた。母の兄弟姉妹は父を限りなく嫌っていたため、その一家さえも近づくことを拒否していた。
しかし諸悪の根源さえいなくなれば拒否する理由もなくなるのか、あっさりと陽子を迎え入れた。

陽子は「独立したい」というより早く母の元を離れたかった。
あれほど母と一緒に暮らしたかったのに、母の元を離れたくなったのには理由があった。母の夫は父と違い、罵詈雑言が酷かった。
高学歴でプライドが高い夫は、美人の母に対して「顔だけ」というような発言が多くなってきた。暴力こそ振るわないが、これは酷かった。
確かに母は美人だ。父はよく褒めていた。が夫は違う。美人のくせに、とか顔しか取り柄がない、とか、せめて顔くらいは、などというのだ。
その上いちいち細かい。おかずの数が少ない、だとか、俺より早く寝るな、起きるな、さだまさしの関白宣言をそのままいくような男だった。

「これじゃあ離婚もされるよね。」
恭子と陽子、その頃には妹の瑠美も加わり、3人で夫批判をしていた。
しかし、父と違うところは仕事に行き、稼いでくるところだった。
母も、父の借金を返してからは専業主婦に戻り、家のことをしている。
それでも暮らしていけるだけの稼ぎがあるのだ。罵詈雑言夫だけど。
一緒に暮らし始めたときはこんなではなかった。父の借金の返済のために働く母を労っていたとも聞く。父の借金の半分は払ってくれたとも聞く。
よっぽど結婚したかったんだろう、と三姉妹は思った。しかし娘たちはその罵詈雑言が自分たちにもじわじわと向いてきたことに危機を感じていた。
そして母がそれについては何も言わないことに、また新たな怒りを感じるようになった。

姉が家を出た翌年、高校を卒業した恭子は、妹を連れて家を出た。
バイトで貯めたお金と学資保険の満額を母から受け取りアパートを借りた。
学資保険満額を受け取った喜びよりも、母が自分を引き留めなかったことが悲しかった。
そうしてまた家族が離れていった。

あれから何年経ったのだろう。
三姉妹はそれぞれ結婚して家庭をもった。
恭子の夫は単身赴任で海外へ行っている。稼ぎはあまりよくないので、
恭子も派遣社員として長いこと働いている。
子供にも恵まれた。その子供達も成長して20歳と17歳だ。
長男のサトシは大学を中退し、会社員になろうとしていた。やりたいことを見つけたようだ。長女のマナはダンスに夢中で全国大会を目指している高校入学した。しかしあまりに厳しい部活生活に心身ともに疲弊し、夢を断念した。今は喫茶店でアルバイトをしながら高校生活を謳歌している。いつかまた踊りたいという気持ちにもなり始めているようだ。
恭子は、というと、とんでもないくらいの心配性な母親になっていた。
妹の瑠美はいつも恭子に言っている。
「お姉ちゃんは心配しすぎなんだよ。サトシやマナのことをもっと信じてあげなきゃ。ま、心配しちゃうのはわかるけどね。」

そしてその後の母はというと。
健康診断で夫に病気が見つかり、夫はあっさりと死んでしまった。
夫の母親からは冷たくされ、母は結局一人になってしまい、江東区にある祖母の家にやってきた。まもなく祖母が亡くなり、独り暮らしとなった。しばらくは何事もなく過ごしていたのだが、気づくと母の様子がおかしくなっていた。

やたらと買い物をしてくる。昔仲よかったらしい男性を追いかける。

あまり自由に生きてこなかった反動で、おひとりさまを謳歌しているのか、と思ったが、迷子になって家に帰ってこられないなど、たびたび警察のお世話になるようなことが増えてくるとそうもいっていられない。姉妹は母を病院へ連れていった。

母は認知症になっていた。
恭子は毎日のように母の家に行き、母と共に過ごしていた。
時間の都合がつけば、陽子も瑠美も母のそばに行った。
そんな生活にも限界が来た。母の徘徊がひどくなったのだ。このままではご近所にも迷惑がかかる。施設に入れないと。三姉妹は地域包括センターのケアマネジャーや病院のソーシャルワーカーに相談をすることにした。
そして本当に運よく、母にとっては人生における最大の運かもしれないであろう、特別養護老人ホームの個室に空きが出て入居できることになったのだ。食事もレクレーションもきちんとしている。叔母たちはさっそく江東区の土地の売り出しを始めた。母のことは何もしなかったのに、手際がいいったらない。まもなく土地は更地になった。更地になると小さいね。
瑠美がそう言った。

恭子はいつも子供達に言っていた。
「私が認知症になったら、すぐに施設に入れてね」と。
母は認知症になって、瑠美のことは「どなた?」というようになった。
いずれ恭子のことも陽子もこともわからなくなるだろう。
恭子はそれが怖かった。身近な人、母がそうだから。

その日いつものように恭子は言った。
「私が認知症になったら、すぐに施設に入れてね」
いつもは「はいはい」とめんどくさそうに答えるマナがこう言った。

ママが私を忘れても、
私は絶対にママを忘れないから。

53年間生きてきて、一番嬉しい言葉だった。
私も母を忘れない。


恭子の話はこれでおしまい。
でも恭子の人生はまだまだつづく。

*この物語はフィクションのようなフィクションじゃないような微妙なラインの物語ですが、登場する人物や団体、その他の呼称は、実在するソレとは一切関係がありません。






いただけるなら喜んでいただきます。