22.山火賁(さんかひ)~虚飾と退廃①

六十四卦の二十二番目、山火賁の卦です。
爻辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/n6ce9504987a3

22山火賁

1.序卦伝

物は以て苟(いや)しくも合うて已(や)む可からず。故に之を受くるに賁を以てす。賁とは飾るなり。

火雷噬嗑の卦で障害物を嚙み砕き、上顎と下顎の合同するに至るのですが、それで万事解決とするのは何とも味気ないものです。粋(いき)や彩(あや)と言われるような、何らかの華やかさがあってこそ悦びを共有し、満喫できるというものです。

華やかさの必要性を合理的に考察すると、そこには礼儀や秩序、志の共有といったものが挙げられます。何らかの儀式、儀礼を行うということは、その裏には必ず、隠された意味があるのです。その意味をわきまえず、単なる娯楽としてしまったときに、人は退廃の道へと進むのです。

2.雑卦伝

費は色无きなり。

山火賁は物事の外面を美しく着飾る卦でありますが、美しいことの最上は色が全く何もないことです。これは上九の爻辞に「白費」、白い飾りとある通りです。

3.卦辞

賁は亨る。小しく往く攸有るに利し。

山火賁の賁とは「飾る」ことです。

賁は、物事の本質そのものではなく、その本質の外側を飾る「あや」です。あや、とは「文」とも書きますし、「彩」とも書きます。本質の外側に模様を付けて美しく飾ることです。本質ばかりでは、無骨すぎるのです。

賁それ自体が本質になってしまうと、「虚飾」と呼ばれるものになります。世の中がそうなってしまうと、それは退廃の兆しです。例えば繁華街のネオンや嬢、ファッション、サブカルチャー、芸術、これらは全て「あや」であって、本質と混同してしまうのは本末転倒です。もちろん芸術家自身にとっては、芸術それ自体が本質です。それは間違いではありません。しかし世の中全体としては「あや」であり、本質には成り得ず、あるいは成ることがあってはならないのです。「あや」には「あや」なりの、わきまえるべき分があるのです。

山火賁の卦は、上が艮の山、下が離の火です。山の裾野に焚火が燃えており、山に生えている草木を美しく照らしています。あるいは離の卦を太陽としてみれば、夕日が山を照らしています。どちらも同じことであり、山の美しさが映えているのです。

しかし、その映えっぷりが山の本質ではないのです。「あや」なのです。山の本質はあくまでも高くそびえ立っていることであり、雨水を蓄えて大地を潤すことであり、あるいは地理にメリハリをつけること、などです。山の表面に生えている草木の美しさは「あや」に過ぎないものであり、これを本質と混同してしまうと、たちまち「虚飾」となってしまうのです。

艮の卦の「あや」は、一番上の陽爻です。下の二本の陰爻は空虚なるものであり、「あや」の効用を果し得ません。上の陽爻こそが「あや」の効用を果すのです。そこで更に、下側に離の卦が入るのです。離の卦は上下の表面が陽爻であり、「あや」です。しかし内部は空洞であり、虚飾と隣り合わせなのです。互卦の内卦は坎の卦です。虚飾に溺れると、坎中にはまるのです。

山火賁の効用は、ほんの少しばかりです。人間社会において必要不可欠のものではありますが、しかし溺れてはいけない、という戒めが卦辞の一文にあります。少しばかり着飾って「あや」を楽しむ分にはよろしいのですが、それを本質と混同してはならない、と戒めているのです。互卦の外卦は進むべき震の卦ですが、そのすぐ上には止まるべき艮の卦が待ったをかけているのです。

4.彖伝

彖に曰く、賁は亨る。柔来りて剛を文(かざ)る、故に亨る。剛を分ちて上りて柔を文る、故に小(すこ)しく往く攸有るに利し。天文(てんもん)なり。文明にして以て止まるは人文なり。天文を観て以て時変を察し、人文を観て以て天下を化成す。

この卦は、元々は地天泰の形だったようです。そこから上六が降りてきて六二となり、同時に九二が昇っていって上九となったようです。その結果、内卦は乾から離の卦へと変化して、外卦を明るく照らす効用をもたらしました。そして外卦は坤から艮の卦へと変化して、美しい草木が表面を飾る山となりました。これが文(あや)です。

おめでたい地天泰の卦に美しさが加わって、晴れ晴れとした気分です。前進してもよろしいのです。しかし、地天泰の本質は逆に隠されてしまっているのです。だから遠くまで進むのはよろしくないのです。ほんの少しばかり進む分にはよろしいのです。

陰と陽が入り雑じって飾りをほどこすのは、天文の働きと同じことです。日月星辰の美しさ、大地の自然の美しさは、まさしく「あや」です。

天人合一の思想は、この天地の働きを人の文明に見立てます。離の卦は文明それ自体です。一方で、艮の卦がそれを止まらせます。虚飾に流れ過ぎるのを止めているのです。このような、対立する働きこそが人間社会においても必要不可欠な働きなのです。人文とは、人間社会における関係性あるいは序列などを言います。

天文を観ることによって、時間の変化を察知することができます。同じようにして、人文を観ることによって、天下の万民を教化し完成させることができるのです。天も人も、美しい文飾があってこそ美しく完成させることができるのです。

5.象伝

象に曰く、山の下に火有るは賁なり。君子以て庶政を明かにし、敢て獄を折(さだ)むる无し。

山の下に火、ないし夕日があって、山を美しく照らしている形が山火賁です。

君子はこの卦の形をみて、成すべき政治のうち比較的小さいものを明らかにして、これを粛々と処理していきます。しかし刑罰訴訟のような大事については、軽々しくこれを処理せず、慎重にして再三吟味のうえ宜しく取り計らうのです。

山火賁の飾り、彩の威光は山に遮られて遠くまで及ばないものです。ですから小さいことを処理する分には結構ですが、大きなことを処理するのは適さないのです。処理する明晰さは離の性質であり、大きなことに待ったをかけるのは艮の性質によるものです。

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