62.雷山小過(らいざんしょうか)~小さな負荷①

六十四卦の六十二番目、雷山小過の卦です。
爻辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/nd040621c07cb

62雷山小過

1.序卦伝

其の信ある者は必ず之を行なう。故に之を受くるに小過を以てす。

信義に厚く徳のある者は(風沢中孚)、成そうとすることが少々行き過ぎるものであったとしても、必ずうまくいくものです。

別の解釈として、自信あるものは決起断行するので中庸を過ぎる、と言うことも出来ます。どちらでも意味は通ります。

よって、風沢中孚の卦の後ろには、雷山小過の卦が来るのです。

2.雑卦伝

小過は過ぐるなり。

小なるものが行き過ぎている意味でありますが、世の中は少しばかり行き過ぎるぐらいが都合良いことが往々にしてあります。ある一方が傾いているときに、中正なる部分を押さえていても、バランスは矯正されません。他の一方に行き過ぎるぐらいの圧力を与えないとよろしくないのです。

3.卦辞

小過は、亨る。貞しきに利し。小事に可なり、大事に可ならず。飛鳥(ひちょう)、之が音(ね)を遺す。上るに宜しからず、下るに宜し。大いに吉。

雷山小過の「小過」とは、少しばかり過ぎていることです。

この卦は二陽四陰であり、陰が少しばかり過ぎております。四陽二陰の沢風大過とは対照的であります。大過は、大きなことが過ぎる卦でありました。ギリギリ背負えるほどの重荷が全身に圧し掛かって、聖人君子ならばなんとか乗り越えれるが、小人ならば重さに負けて倒れてしまう、という危うさがありました。

小過の卦は、それほどの事態ではなく、ただ現状が少々中庸を外れており、これを矯正するために少々過ぎたことをしなければならない状況なのです。あるいは、些細な仕事を少々やり過ぎるのですが、そもそもが些細であるために、やり過ぎたとしても大事には至らないのです。

陰を悪く解釈すれば、小人の勢力が過ぎている状況です。小人の勢力が、真ん中んの陽爻を圧迫している状況です。しかし、これの真逆の状況がよろしいかと言うと、必ずしもそうではありません。君子がその器量の大きさに任せて大事業をどんどん進め過ぎてしまうと、悪い意味での沢風大過となります。大過と小過、どちらが優れてどちらが劣っている、ということは一概には言えないのです。

陽の徳は積極性であり、勇猛果敢にして進むことです。陰の徳は消極性であり、退いて守りに入ることです。この卦は、そのような陰徳が過ぎている状態とみることも出来ます。

上は震卦で、下は艮卦。上は動いて、下は止まっているのです。動くべきときは動きますが、止まるべきときは止まります。結果として動き過ぎず、止まり過ぎず、少々過ぎる程度で済むのです。

卦の象は、坎卦の似象です。この卦の後ろには水火既済と火水未済が控えており、これらの二卦が六十四卦のクライマックスです。風沢中孚と雷山小過は、そのクライマックスの直前であると同時に、上経のクライマックスすなわち坎為水と離為火に対応しております。

つまり、風沢中孚は離為火の似象であり、雷山小過は坎為水の似象です。非常に思わせぶりな配置です。そして下経のクライマックスである既済と未済は、坎卦と離卦の混合であります。

中孚の卦は、親鳥が卵を暖め育てている形でした。そこから場面は変じて、この小過の卦は、鳥の全身を表しているのです。真ん中の陽爻二本は鳥の胴体であり、上下の陰爻四本は鳥の翼を表しているのです。

飛鳥、之が音を遺す。鳥は大空を飛び巡るものでありますが、どこまでも際限なく飛べるものではありません。どこまでも行き過ぎてしまうことはないのです。鳥が飛び立った後には、その鳴き声が聞こえてきます。まだそれほど遠くには行っていないのです。

上るに宜しからず、下るに宜し。ずっといつまでも飛び回って高く昇り過ぎようとしては、安定を得られることはありません。わきまえて降るがよろしいのです。それによって大いなる吉を得られるのです。

4.彖伝

彖に曰く、小過は、小なる者過ぎて亨るなり。過ぎて以て貞しきに利しとは、時と與(とも)に行なふなり。柔、中を得。是を以て小事は吉なるなり。剛、位を失ひて中ならず。是を以て大事に可ならざるなり。飛鳥の象有り。飛鳥、之が音を遺す、上るに宜しからず、下るに宜し、大吉とは、上るは逆にして下るは順なればなり。

小過は、小なる者過ぎて亨るなり。雷山小過は、陰なるもの則ち小なる物事が過ぎることであり、それによって物事が亨るのです。

過ぎて以て貞しきに利しとは、時と與に行なふなり。行き過ぎること、やり過ぎることが、かえって時の宜しきに叶っているのです。むしろ少々過ぎるぐらいが丁度良く、過ぎることによって全体が中を得られるのです。

柔、中を得。是を以て小事は吉なるなり。六二と六五、二つの陰爻が共に中位を得ております。これによって、小さなことに限っては吉なのです。

剛、位を失ひて中ならず。是を以て大事に可ならざるなり。二本の陽爻は、九三は中を得ておらず、九四は正位を得ておりません。いずれも宜しきを得ておらず、大きな事はしない方がよいのです。

飛鳥の象有り。この卦は全体として鳥の形をしております。

飛鳥、之が音を遺す、上るに宜しからず、下るに宜し、大吉とは、上るは逆にして下るは順なればなり。柔弱なるものは、昇り過ぎるのではなく、降ることが理に叶っているのです。それゆえに大いなる吉を得られるのです。

5.象伝

象に曰く、山の上に雷有るは小過なり。君子以て行(おこない)は恭(うやうや)しきに過ぎ、喪(も)は哀(かな)しみに過ぎ、用は倹に過ぐ。

山上の遥か彼方に雷が少しく轟き、その轟音が若干行き過ぎている形が雷山小過です。

君子はこの卦の形をみて、行動は恭しく過ぎるようにし、喪に服するにおいては哀しみが過ぎるようにし、出費するにおいては倹約が過ぎるようにするのです。これらはいずれも小事であり、大事に至るほどのことではなく、少々過ぎるぐらいがよろしいのです。

6.繋辞下伝

繋辞下伝の第二章より抜粋します。

木を断ちて杵(きね)と為し、地を掘りて臼(うす)と為し、臼杵(きゅうしょ)の利、万民以て済(すく)ふ。蓋(けだ)し諸(これ)を小過に取る。

丸太を絶ち切って杵を作り、地面に穴を掘ってこれを臼として、それによって精米して美味しいお米が食べられるという便利を得ることによって、万民は豊かに生活できるようになりました。

これは恐らく、雷山小過の卦にヒントを得たのでしょう。艮卦は止まり、震卦は動く。つまり臼が止まって杵が動くことによって精米されるのです。

自己の内的探求を通じて、その成果を少しずつ発信することにより世界の調和に貢献したいと思っております。応援よろしくお願いいたします。