12.天地否(てんちひ)~陰陽の不和合①

六十四卦の十二番目、天地否の卦です。
爻辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/na2fcf31e04f0

12天地否

1.序卦伝

物は以て通ずるに終わる可からず。故に之を受くるに否を以てす。

地天泰は、下に下る傾向のある地すなわち陰の気が上側にあり、上に上る傾向のある天すなわち陽の気が下側にあり、陰陽の気が通じ合って交じり合う理想的な状態を表すものでした。

しかし、万物は常に変化するものであり、そのような状態がいつまでも続くものではありません。通ずるときが終れば、塞がるときが来ます。それが天地否の形です。否とは「塞がる」の意です。上下の意志が通じず、世の中が乱れることを意味します。

2.雑卦伝

否泰は其の類に反するなり。

詳細は地天泰の解説文をご覧ください。
https://note.com/northmirise/n/n4ff0541d69c0#QUukj

3.卦辞

之(これ)を否(ふさ)ぐは人に非ず。君子の貞に利しからず。大往き小来る。

天地否は、天が上に在り、地が下に在る形です。至って自然な、現実世界で目に見えるがままの形であると思ってしまうのですが、ここでは気の通りを論じているのです。

天の気すなわち陽の気は、上に上るのです。地の気すなわち陰の気は、下に下るのです。天が上に在り、地が下に在るということは、陰陽の気の向かう方向、ベクトルが逆向きであるということです。陰陽の気が交じり合うことで、万物は生成化育されます。この天地否の形は、交じり合わない形なのです。気の巡りが閉じ塞がり、天地の間の万物が閉塞するのです。

これを人の関係性としてみれば、上に在るべき者が上に在り、下に在るべきものが下に在る、ヒエラルキーとしては正しい在り方ですが、そこに意思の疎通はありません。意志のベクトルが向き合わないのです。上に在る者の志は下に通じず、下にある者の意思感情は上に通じないのです。

万物の霊長たる人間は、天地の間のヒエラルキーの頂上として、たゆまず務めるべき役割というものがあります。それは、万物の生成化育を助長して神の栄光を体現することです。閉じ塞がってはいけないのです。閉じ塞がる状態に至らしめるのは、人間の行いとして宜しからざることなのです。

と同時に、閉じ塞がるということは、通じることと表裏一体の関係性を有するものでもあります。いつまでも通じるわけではなく、逆にいつまでも閉じ塞がるわけでもないのです。しかし閉じ塞がることを善しとしてはならないのです。通じている状態を少しでも長く続ける努力は何らかの形で可能でしょうし、閉じ塞がった状態を何らかの形で打開することも可能なのです。

天地否の卦は、地天泰の卦に対する戒めでもあるのです。

4.彖伝

彖に曰く、之を否ぐは人に非ず、君子の貞に利しからず、大往き小来るとは、即ち是れ天地交はらずして、万物通ぜざるなり。上下交はらずして天下邦(くに)无きなり。内は陰にして外は陽、内は柔にして外は剛。内は小人にして外は君子、小人の道長じ、君子の道消するなり。

天地の間に陰陽の気が交じり合わないことで、万物の生成化育は閉じ塞がります。それと同じように、人間関係においても上下の意志が交じり合わないことで、その人間関係どころか、人間関係の前提の元に成り立つべき組織や地域社会ひいては国家の存在意義は無いも同然となります。

内は柔にして外は剛、とは、一人の人間に例えると、心の内は柔弱であり、外面は猛々しい状態です。質の悪いチンピラです。虚勢を張る人ほど、内面は脆くて弱いものです。自身の脆さを直視せずに隠し通そうとするからこそ、虚勢を張って吠えまくるのです。恐れているからこそ吠えるのです。

内は小人にして外は君子、とは、君主のいるべき朝廷内部に能力の低い小人がはびこり、本来朝廷内部にいるべき能力の高い君子賢人が外部に駆逐されている状態のようなものです。小人とは能力が低くて卑い者を指し、陰を象徴するものです。君子とは能力が高くて高貴なる者を指し、陽を象徴するものです。

最後の一文「小人の道長じ、君子の道消するなり」は、下の十二消長卦の解説に譲ります。

5.象伝

象に曰く、天地交はらざるは否なり。君子もって徳を儉(つまびやか)にし難を辟(さ)け、栄するに禄を以てす可からず。

天地の気が相交わらない形が、天地否です。

君子はこの形をみて、あえて積極的に事を成そうとするのは余計に事態を悪化させるだけであると覚り、我が心の内にある道徳を表に出し過ぎることを慎み、周囲にはびこる小人から攻撃を受けぬよう身を隠しながら、たとえ人から棒禄をもって栄誉ある地位に就くことを望まれたとしても、それを固辞するのです。

今の閉塞感は、いつまでも続くものではありません。必ずどこかで変化の兆しが現れるものです。今はただ堪え忍び、変化の兆しを待つ。そんなときがあってもよいではないか、ということです。

6.十二消長卦

純粋なる陽の気に満ち満ちている乾為天の状態は、いつまでも続くわけではありません。下から徐々に、陰の気が浸食してくるのです。初爻に陰がひょっこり顔を出した形が天風姤であり、そこから更にもう一つ、陰の力が強まった形が天山遯です。

そして更に陰の浸食が進んだ形が、天地否です。陰陽の本数は同数ですが、勢いがまるで違います。陽は完全に、陰の勢いに押されてしまっているのです。この陰の勢いを無理に止めようとすると、ドツボに嵌ります。流れに任せる、というのも一つの選択肢です。流れに任せることによって、やがて純粋なる陰の気に満ち満ちた坤為地となり、そこからは陽の力の攻勢が始まるのです。陰は窮まれば陽になり、陽は窮まれば陰になる、この繰り返しなのです。

7.生卦

天地否の生卦は、地天泰です。

積極的にアクションを起こす、というよりは、むしろ象辞にある通り、消極的な姿勢を貫くべきかもしれません。

8.綜卦

天地否の綜卦は、同じく地天泰です。

君子にとっては天地否であっても、小人にとっては地天泰です。立場が変われば解釈も変わるのです。

9.裏卦

天地否の裏卦は、同じく地天泰です。

この二つの卦は、表裏一体です。延々と循環し続けるのです。

自己の内的探求を通じて、その成果を少しずつ発信することにより世界の調和に貢献したいと思っております。応援よろしくお願いいたします。