パルメニデス(前5世紀)② あるものはある、あらぬものはあらぬ

あるものはある。
あらぬものはあらぬ。

ヘラクレイトスは、万物が破壊的に生成消滅すると言った。つまり、

生成:あらぬ→ある
消滅:ある→あらぬ

あるいは、

変化:ある→ある

というようなことが、この世界では刻々と起こっている、と言う。
実際のところ、これは滑稽無形な論ではなく、まさしく私たちが日常感じている感覚である。草木が種子から芽を出して大きく成長したり、川の水が流れたり、火が灯ったり消えたり、この世界は常に生成し、消滅し、変化しているように見える。

しかし、パルメニデスはこう言う。

語られるべき道としてなお残されているのはただ一つ。すなわち(あるものは)あるということ。この道には多くのしるしがある。すなわちいわく、あるものは不生にして不滅であること。なぜならば、それは姿完全にして揺るがず、また終わりなきものであるから。またそれは、あったことなく、あるだろうこともない。今あるのである。それのいかなる生まれを汝は求めるのか。どこからそのように生長したというのか。あらぬものから、と言うことも考えることも私は汝に許さぬであろう。なぜならばあらぬということは語ることも考えることもできぬゆえ。またそもそも何の必要がそれをかり立てて、以前よりもむしろ後に無から出で生じるように促したのか。かくしてそれは全くあるか全くあらぬかのどちらかでなければならぬ。(段片99)

要点だけを概ね摘まみ上げると、こうなる。

・あるものはある(あらぬものはあらぬ)
・あるものは不生(「あらぬ→ある」の否定)
・あるものは不滅(「ある→あらぬ」の否定)
・あるものはあったこと(過去)なく、あるだろうこと(未来)もない(「ある→ある」の運動変化を否定)

続く。

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