19.地沢臨(ちたくりん)~高所から低きを臨む①

六十四卦の十九番目、地沢臨の卦です。
爻辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/n2f0cf0db71a8

19地沢臨

1.序卦伝

事有りて後に大なるべし。故に之を受くるに臨を以てす。臨とは大なり。

前の山風蠱の卦は、世の中が腐敗しており、その腐敗を除去するための一仕事をするというものでした。人として、腐敗するような事態は出来るだけ避けたいものですが、しかし天人合一の思想としては、腐敗は必然であり、その腐敗を肥やしとして新たなステージに昇るということもまた必然なのです。

地沢臨の卦は、そのようにして腐敗を乗り越えて、一段高いステージに上った、その高見から景色を見下ろすものです。臨とは高く大きいところから見下ろすことです。自分自身のステージが上がったので、見下ろす視点を獲得したのです。

2.雑卦伝

臨観の義は、或は与え或は求む。

地沢臨と風地観の二卦について述べている一文です。

地沢臨は、高い地から低い沢を臨んで見下ろす形であり、高い地位の人が低い地位の人に対して恩恵を与えることを表しているのです。

風地観は、地沢臨を上下引っくり返した形であり、下の人民が上の恩沢を求めていることを表しているのです。

3.卦辞

臨は元に亨る。貞しきに利し。八月に至りて凶有り。

地沢臨の臨とは、上から下を臨むことです。「のぞむ」と発音する漢字は他に「望む」がありますが、望むは遠くを見るものであり、臨むは上から下を見るものです。現代の日本語だと、臨むはむしろ下から上を臨む、という意味で使うことが多いと思います。この卦の形も、十二消長卦として考えれば陽の勢いが初爻から二爻目まで届いており、更なる高みを目指すものと解釈できますので、私個人的にも下から上という考え方の方がすっきりするのですが、まあどちらでも良いです。易経は、その発祥から数千年以上経過した今でも解釈が一致しない謎の書物ですから、時と場合に応じて解釈を変えれば良いのです。そのような柔軟性が許容される書物なのです。

上が坤の卦の地、下が兌の卦の沢です。沢は地と比べると、ほんの少しだけ低いところにあります。岸辺から、流れる水を臨むようなイメージです。ですから、めちゃくちゃ高いところから見下ろすような感じではありません。これもまた、柔軟的な解釈でよろしいでしょう。とにかく、上下の目線である、ということがポイントなのです。

六十四卦のなかでも、地と水はどうも相性が良いようです。地沢臨の上下を引っくり返すと沢地萃になります。砂漠の中のオアシスに、喉の潤いを求めて人が集まるという縁起の良い卦です。また、水を表す卦としてはもう一つ、坎の卦がありますが、既出の地水師と水地比はいずれも中徳を得た一本の陽爻が五本の陰爻を統率する、組織の在り方としていずれも理想的な卦です。

この卦は、上の坤の卦が柔順であって、下の兌の卦が悦びです。上から下を臨む目線で考えますと、上の主人公は六五です。朴訥にして鷹揚なる六五の王が、和らぎ悦ぶ民すなわち二本の陽爻を、目を細めて慈しみ眺めている、と見ることもできます。下から上を臨む目線で考えますと、勢い盛んな九二と初九が、更なる高みを目指して昇らんとしている、と見ることもできます。互卦の内卦は震の卦であり、かつ互卦全体は地雷復ですので、ポジティブに活動しようとする意志と力はあるのです。

このようにして諸々の解釈が考えられるものですが、いずれにせよ悪くない、といいますか、謙遜せずに言えば、非常によろしい卦である、といえます。ですから「元亨利貞」と最大級の賛辞を送っているのです。

一方で、非常によろしい卦であるからこそ、警鐘を鳴らしているのです。「八月に至りて凶有り」は、これまた解釈の分かれるところです。

まず文字通り「八月」と解釈すべきか、「八ヶ月後」と解釈すべきか、という問題があります。「八月」と解釈する根拠は、十二消長卦です。十二消長卦でいうところの地沢臨は旧暦の十二月です。では旧暦の八月は何かというと、地沢臨を引っくり返した風地観です。風地観は、陰爻の勢力が四爻目まで伸びており、あともう少しで陽爻が駆逐されそうな状態です。そうならぬように気を引き締めなさい、と警告しているのです。

もう一つの解釈である「八ヶ月後」ですが、これもまた厳密に「八ヶ月後」と解釈するべきか、それとも「八」は比喩的な表現であって、そう遠くない将来という漠然的な解釈にすべきか、という二派に分かれます。前者の根拠は、これまた十二消長卦です。地沢臨から数えて八ヵ月目は、縁起の悪い天地否だからです。

私個人の解釈としては、「八」という数字にそこまで拘る必要はないのではないかと思います。他の卦でも八ばかりでなく三とかいう数字(例えば山水蒙の「三度占ってはいけない」など)が唐突に登場することがありますが、その数字自体に厳密な根拠を見出そうとすればするほど解釈の余地が狭まってしまいます。その時々に応じて得たインスピレーションに従って、柔軟的に解釈する余地を残しておくべきだと思います。

要するに、今現在は陽の勢いが適度な上昇傾向にあって良い状態であるが、これに慢心することなく、やがて訪れるであろう衰退の局面をもしっかりと見据えたうえで臨みなさい、という解釈が最も無難ではないかと思います。

4.彖伝

彖に曰く、臨は剛浸(ようや)くにして長じ、説びて順、剛中にして応じ、大いに亨りて以て正し。天の道なり。八月に至りて凶有りとは、消(しょう)すること久しからざるなり。

地沢臨の卦は、冬を超えて春から初夏に向かおうとする兆しであり、陽の勢いが次第に強まって内卦の中庸の位置まで到達したものです。内卦は兌の卦となって悦び、かつ外卦の坤の柔順さと宜しき調和を得ているのです。

内卦と外卦は、それぞれの徳をもって張り合うことなく、宜しき状態を得ております。これは九二と六五が応じているためです。これは正しい在り方であって、天の道に叶っているのです。

しかし、いつまでもバランスの良い状態が続くことはありません。ここで慢心したまま突っ走ってしまうと、陽の勢いは頂点に達して衰亡へと向かうのです。陽の勢いが消えて無くなるタイミングは、久しからずやって来るのです。ですから常に警戒を怠らないことです。

5.象伝

象に曰く、澤の上に地有るは臨なり。君子以て教へ思ふこと窮まり无く、民を容れ保(やす)んずること疆(かぎり)无し。

沢の上に大地がある形が、地沢臨です。沢は大地に潤いを与え、大地は沢を包容し、共に良き依存関係にあるのです。

君子はこの卦をみて、民を教化して導き、かつ民を深く思いやることは大地の如く窮まりなく、また民を温かく包容し、かつ民の心を安んずることは沢が大地を潤沢するが如く限りがないのです。

6.十二消長卦

地沢臨の卦を十二消長卦の観点から考察しますと、まず真冬の坤為地から一陽が芽を出した形が地雷復であり、その地雷復の一陽が更に伸びて九二の中徳を得る位置まで育った状態にあります。

そこから更に陽が一段伸びると地天泰という陰陽調和の完成を表す形になりますが、今現在の状況として何が一番理想的かと言えば、この地沢臨こそが最も伸びしろを感じさせるものであり、理想的と断言してもよろしいのではないでしょうか。

伸びしろがある状態は、その時点では未熟であり、何かと消化不良的な感を否めないものですが、後から思い返してみれば、あの時が最も充実していた時であった、と思えるのではないでしょうか。

自己の内的探求を通じて、その成果を少しずつ発信することにより世界の調和に貢献したいと思っております。応援よろしくお願いいたします。