パルメニデス以前の哲学者たち③ アナクシメネス(前6世紀)

ミレトス学派の最後を締めくくるのは、アナクシメネスである。
タレスは、万物のアルケーは水である、と言った。しかし火の熱であったり、乾燥した空気であったり、水では説明の付かない現象がこの世界には有り得る。
そこでアナクシマンドロスは、ト・アペイロン(無限定なもの)がアルケーであるとした。これでタレスの説の欠点は解決し得るのだが、しかしト・アペイロンとは如何なるものであるか。これは私たちの感覚や経験を超越し過ぎており、余りにも抽象的に過ぎる、という欠点が新たに生じた。

そこでアナクシメネスは、空気がアルケーである、と言った。すなわち変幻自在なる空気の濃淡によって、万物が生じるものとした。空気の濃縮希薄によって固形物が生じ、あるいは風が起こり雲を呼ぶ。あらゆる一切は空気の運動変化によって起こるのである。

【希薄】火 ⇔ 空気 ⇔ 風 ⇔ 雲 ⇔ 水 ⇔ 土 ⇔ 石【濃縮】

更にアナクシメネスは言う、私たちの魂もまた空気である、と。私たちの根源たる魂、そして呼吸によって出し入れされる気息(プネウマ, pneuma)、これら一切も空気であって、宇宙全体を包み込んでいるのである。
ここでアナクシメネスは、宇宙にコスモス(kosmos)という単語を当てた。コスモスとは本来、秩序や整然という意味である。アナクシマンドロスが、ト・アペイロンによって世界の秩序が保たれていると唱えたのと同様に、アナクシメネスは空気によって世界の秩序が保たれていると考えたのである。

このように、ト・アペイロンという抽象的なるものから、空気という具体的なるものへとアルケーを移行させたことは、自然学としては前進かもしれないが、哲学としては後退であると言えよう。何故ならば形而上にあるものを単に形而下に降ろしただけであり、弁証法的には何ら止揚していないからである。

以上でミレトス学派の三人の解説を終える。この三人は、いずれも万物のアルケーを探究した。再度繰り返すと、タレスはそれを水であると言い、アナクシマンドロスはト・アペイロンであると言い、アナクシメネスは空気であると言った。これらに共通するのはヒュロソイズム(物活論)である。すなわちアルケーを根源として、かつ何らかの秩序に従って躍動的に生成変化し続ける、という世界観である。
アルケーの探究はこれで終わらず、まだまだ続く。
次回はピュタゴラス、ないしその教団である。

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