16.雷地豫(らいちよ)~始動の時①

六十四卦の十六番目、雷地豫の卦です。
爻辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/n9c7dbb7fee80

16雷地豫

1.序卦伝

有(たも)つこと大にして能く謙すれば、必ず豫(たのし)む。故に之を受くるに豫を以てす。

火天大有で豊かさを得ながらも、それに溺れることなく地山謙の謙虚さを美徳として保っていれば、財産を失うことなく、我が身も安泰であり、心楽しくいることができます。

雷地豫の「豫」とは、喜ぶ、楽しむの意味です。日常ではあまり使われないですが「不豫」という言葉があります。これは豫の否定形ですから、皇帝などの貴人が病気などで床に伏していることをいいます。

2.雑卦伝

豫は怠るなり。

草木の芽が出て勢い盛んではあるのですが、一方で景気の良い時には喜び楽しむことに偏り、つい自分の成すべきことを成さずに怠けてしまうのです。

卦辞や序卦伝と比べて随分と雰囲気が違っておりますが、これは前の文章にある「无妄は災いなり」の「災」、「升は来らざるなり」の「来」、そして「怠」の韻を踏むために、あえて苦しい解釈を持ち出しているのではないかと思われます。

3.卦辞

豫は侯(きみ)を建て師(いくさ)を行(や)るに利し。

雷地豫の卦は、外卦が震の卦で、内卦が坤の卦です。震の卦の五行は「木」、巽の卦も同じく木ですが、巽の木は成長した木のイメージであり、震の木は若芽のイメージです。よって雷地豫は、地面の上に若芽が芽生えたイメージになります。

雷地豫の内外を逆にすると、地雷復の卦です。地雷復は、坤為地の真冬が明けて、若芽の命が萌え出す頃です。しかし地の下に若芽がありますので、まだ地上には出でていないのです。雷地豫は、地上に出でているのです。兆しが、目に見える現象として現れたので、喜びに満ち溢れているのです。震の卦は、雷です。若芽の息吹きが、雷の如き勢いで轟きわたっているのです。

震の性質は「動く」であり、坤の性質は「柔順」です。動くのですが、むやみやたらに動かず、柔順なる理性をもって動くのです。

五陰一陽の卦です。一陽は、九四です。九四は、君主たる六五の真下にあります。九四と六五は比しておりますので、六五は九四を信任し、九四は六五に忠義を尽くします。四爻目は、諸侯の位です。いざ戦さが始まるときに、戦場に出て戦うのは、君主ではありません。君主に任ぜられた諸侯が兵を率いて戦うのです。「侯を建て師を行るに利し」の「侯」は、九四のことです。内卦の坤の卦は土地であり、諸侯に土地を与えてこれを治めさせているのです。君主一人だけでは、広大なる土地を治めることはできないからです。信頼に足る諸侯を封じて、領土の一部を治めさせるのです。そして討伐すべき敵が現れた時には、その諸侯が兵を率いてこれを討伐するのです。

地水師の卦と似ています。地水師も戦いを前提とした卦であり、一陽は九二です。これらの違いは、師の卦の九二は卑い身分であり、六五と応じてはいますが、距離は遠い関係にありますので、外部から招聘するようなイメージです。豫の卦の九四は六五と近いので、内部の側近を抜擢するようなイメージです。また、師の卦はそもそも望む望まざるに関わらず戦わざるを得ない内容ですが、豫の卦は絶対に戦え、というほどではありません。喜ばしい状況下にあるので、戦うタイミングとしてはよろしい、というニュアンスです。皆が喜ばしい状況下にあって動くことが何よりなのです。

4.彖辞

彖に曰く、豫は剛応ぜられて志行なはる。順以て動くは豫なり。豫は順以て動く。故に天地も之(かく)の如し、而るを況(いわ)んや侯を建て師を行るをや。天地は順を以て動く。故に日月(じつげつ)過(あやま)たずして四時(しいじ)忒(たが)はず。聖人は順を以て動く。即ち刑罰清くして民服す。豫の時義大(おおい)なるかな。

豫の卦は、剛すなわち九四が初六と応じているばかりでなく、他の陰爻もまた九四に柔順なる坤の徳をもってこれに従っているのです。坤の柔順さをもって、かつ震の活発さによって動く、それが豫の喜びというものです。

志が行われるというのは、まず九四が内なる志をもって、道理に従って動くということであり、また他の陰爻が九四の志に感応して、その志に叶うべく九四の先導に従って動くということでもあります。

これは私利私欲に従うのではなく、天地の道理に従って動くということです。天の道は道理に従って日月星辰を動かし、地の道もまた道理に従って万物を生成化育し、そうして春夏秋冬の四時はたゆまずに廻り続けます。全ては道理に叶っているのです。王が、信頼に足る諸侯を建てて土地を封じ、これに軍隊を与えて俗悪なるものを征伐させるということは、天地と同じく道理に叶っていることなのです。

聖人もまた天地の如く、道理に従って行動するのです。ゆえに聖人が刑罰を処するにおいては私心なく公平であり、万民がこれを納得するに足るものです。無実の人を罰することはなく、また罪の重い罪人であっても、必要以上にこれを重く罰することはありません。だから万民はこれに心服するのです。

豫の卦の示す意義というものは、まことに大なるものです。時義とは時宜と同義であり、時の宜しきを得ているということです。

5.象辞

象に曰く、雷、地を出でて奮ふは豫なり。先王以て楽(がく)を作り徳を崇(たっと)び、之を上帝に殷薦(いんせん)し、以て祖考を配す。

雷(若芽)が地上に出でて轟きわたる形が、雷地豫です。陰なる地の中に抑えられていた陽の力が、ようやく爆発するのです。

君子はこの卦をみて、音楽をつくり、あるいは優れた先人たちの徳を貴び、それをもって天の神に供え物をして、祖先と共にこれを祀るのです。


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