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改革と停滞と目の取捨

4日前、大学入学共通テストへの記述式導入が正式に見送られた。これにより、来年度は結局これまでのセンター試験と名前しか変わらないことが決まってしまった。

高大接続改革、大学入試改革、教育改革、150年に1度の大改革だ。と、はしゃいでいたわけですが、なーんか「せやろな」みたいな寂しい結果になってしまいました。

魅力やポテンシャルを感じられない今の日本の教育がついに変わるのか?!
と鼻息荒くしてた身としては、ほんと脱力というか、虚しいですね。

裏を返せば、この事なかれ主義というか、保身というか。海に漕ぎ出せないもどかしさというか。頭の固さというか。こういう変化への反応そのものが日本のこれまでの教育が「育んで」きたものだとも言える。

日本はわざわざ長い年月をかけて「新しいことにはチャレンジしない精神」を育んできた。
皮肉ないいかたをすれば、あるいみ当然の、見事な着陸にも思える。

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今後の変更予定を白紙に戻した声が、あまりに典型的でウィークなもので辟易する。

曰く、公平性、公正性が担保されない。
曰く、見通しが立たず不安だ。

これは裏から読めば
「公平、公正で、見通しが立ち、安心できるものを与えてくれ」
という要求に他ならず、今の日本の弱り方と見事にシンクロしている。

バブル以降、日本は、
先行きの予想が立たず、
これまでの常識の蓄積が通用せず、
どうすることが正解なのかわからない、
そういう不安な霧の中を歩いてきた。

その中で、かつての武器は、どんどん錆びついていった。

いま不安なのは少子高齢化そのものではなく、データ時代、AI時代の潮流に、日本人の大多数が対応できない(対応する底力がない)無力感なのだろう。

富国強兵のマインドを仕込んだ、明治時代の教育システム。それが大正、昭和の日本の成長の原動力となり、経済大国への道を支えてきた。

しかし、バブル以降、求められる能力の変化に対応できず日本の教育レベルは没落した。

これからの新しい時代を、混乱の中で暗く不安に過ごすのか、生き生きと楽しく生きるのか、その根底をささえるものが教育であり、新しい時代の新しい教育を定義し直すことこそが、大学入試改革の大目標であったはずだ。

少なくとも、「みんなが安心できる公平な入試システムを作ること」は、目標ではなかった。

いつのまにか、「子供の人生を決める大切な試験は慎重に公平に行って欲しい」のような、あまりに「ひ弱な」主張が横行している。

時代の流れとしては、
「入試ごときで人生決まるわけ無いやろ、アホか」
というタフガイがもっと出てきて欲しい。

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さほど深く考えずとも、我々は「正解」だけを振りかざしては生きていけないことは明らかだ。
「正解」は時に人を傷つけ、時にチームを混乱に陥れる。

私だって「正しいと思うこと」を上司にぶつけて生きてきたせいで、何度も喧嘩し何回も嫌われて、あー、そーゆーことじゃねーんだな、世の中、というのを身をもって学んできた。

うまく生きるには、自説の正しさを主張する力より、多彩な意見や多様な視点を取りまとめ調整するバランス感覚の方が、当然重宝するわけだが。

しかし今までの
「テストして→丸つけして→点数順に並べる」
という評価法では、このような調整能力は測定できない。
結果、あくまで「短時間で正解を得る力」のみが学習の目標となってしまう。

そんなテストをずっと繰り返すことで、子ども達の中には「正解が偉く」「不正解はダメ」という価値観が醸成される。

私は結構真面目に「◯より×の方が良くない?」「間違えたら嬉しいよね?」と生徒に聞くことがあるのだけど、99.9%の生徒は「何言ってんのこのおっさん?」という顔をする。

・大事なのは正解して丸をもらうこと
・ダメなのは間違えること

このような価値観は、言い切ってしまえば「害悪」なのだけれど、大人でも多くの人に根付いてしまっている価値観だ。

反射的に「ミスはダメ」というのが大人であり、間違えることをタブーとしてしまう。

「間違えるぐらいならやらない方がいい」
という価値観は、年齢問わず普通に観察できる。

この手の価値観の持ち主も、たまに「失敗は成功のもと」的なエピソードを聞くとウンウン頷いたりするわけだが、これも怪しい。

結局のところ「最後に成功したい」「最終的に丸がもらいたい」という、正解、成功に対する飢え、渇きの現れに過ぎないからだ。

何かを探求する過程に
(ゴールにたどり着くまでの道中に)
悦び、驚き、感動、成長、新たな気づき、発見
という味わいが詰まっている。

その価値と比べれば、たどり着いた先が正解か不正解かなど問題にならない。

ダラダラと書いて、そろそろ飽きてきた。

今日はこのくらいで勘弁しておく。

本日は暇をみつけて明日22日に向けて、
『有馬記念』
『M-1』
の優勝予想
をしますが、

話の流れ上、わかりますね?

アーモンドアイを切るか切らないかを考え抜く過程にこそ悦びと驚きと発見があるのであり

「当たるか当たらないかは些細なこと」

なのです。

[2019.12.21 facebookから]

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