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ジョーカー。ようやく、観た。

別にもったいぶっていたわけじゃないけど、タイミングがあわなくて、昨日ようやく観ました。

おもしろい、というよりは、考えさせられる映画でありましたね。観終わってからいろんな考察などみてみましたけど、この岡田斗司夫のトークのように、ジョーカーについて25分話しても、ほとんど映画そのものの話にならない、というのがこの映画のすごいとこ。
基本ずっと「笑いと差別と暴力」の話をしてる。

いちお、岡田斗司夫のおすすめ鑑賞順は

ジョーカー

タクシードライバー

キングオブコメディ

ジョーカー

だそうです。

わたしは実はタクシードライバーを観てないので

キングオブコメディ

ジョーカー

タクシードライバー

ジョーカー

とでもアレンジしてみようかな。
ひとつ補足しておくと
「他の映画を観ないと本作が楽しめない」
ということじゃなくて
「他の映画を観ると本作が数倍深く楽しめる」
ということなんですね。

どーゆーことかというと、
(以下キングオブコメディのネタバレします)

キングオブコメディという映画は、デニーロが頭イッちゃってるコメディアン志望者を演じるわけですが、彼の中には「オレにはチャンスがないだけで(不運なだけで)、笑いの実力があり、大きな番組にさえ出たら必ず売れる」という、歪んだ自己評価があるわけですね。
で、大多数の普通の人はそのドリームというか、”if”、を抱きながらもしょうもない現実を生きる、ということになるんですが、デニーロは普通じゃないので突っ走り、誘拐事件までおこして脅迫で暴力的に番組に出演し、逮捕される。

そして、キングオブコメディがおもしろいのは、「逮捕されたことで注目され、出所後にコメディアンとしてバカ売れした」という映画のオチが、そのオチまで込みで妄想じゃねえの?
という解釈が出来る作りになっていること。

このベースラインを押さえてからジョーカーを観ることによって、特にデニーロとのシーンが「実際起こっているのか、アーサーの想像なのか」という2本のラインで鑑賞する事ができ、それはつまり、ジョーカー全体を通しても、常にその「映画内での現実なのか、映画内でのアーサーの作り話なのか」というダブル視点をもち続けることにつながる。
最初から「映画ユージュアル・サスペクツ」の仕掛けを意識しながら鑑賞することにつながるということ。

そして、ジョーカーが強靭なのは、そういうユージュアル・サスペクツ的、シックスセンス的な夢オチが事前に意識されたところで、映画本編がまったくつまらなくならない、ということです。むしろより深く味わえるようになる。

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まだ鑑賞から1日ですので、そこまで考察を読んだわけじゃないけど、もう公開から1ヶ月ぐらいたってるので、いろんな議論がネットにあっておもしろい。

もちろん、解釈は自由で、正解も不正解もないわけですけど、自分としては「どのシーンが現実でどのシーンが妄想か」みたいなことにこだわりすぎる考察は好きじゃないですね。
そういう答え合わせよりも、どのシーンに震えたのか、それはなぜか、というほうが味わい深い。

わたしは、最も印象に残ってるシーンはトイレでの太極拳みたいなダンスです。

あれには心を射抜かれました。

あとで、あれは脚本になく、ホアキンのアドリブだった、みたいな情報を知り、さらにびっくり。
あーゆーアドリブが生まれるのは、映画にとって奇跡のような出来事でしょうね。

映画は作り話なわけで、おおざっぱにいうと嘘っぱちなわけですが、その中に”真実”が宿ることがあり。

ホアキンのダンスは、踊られてみれば、ド正解。あそこで踊ることこそ”真実”という気がします。

※追記コメント

笑いと暴力、というのはこれもスコセッシですが、グッドフェローズのこのシーンが印象的。
funny how?
超こえええええええええええええええ

[2019.11.15 facebookから]

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