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自分の中にある境界線を越えてみる

自転車に乗れば毎日が冒険 第1回
prologue

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確か小学校の2年か3年の頃だったと思う。当時、家族の同伴なしで子供たちが学区(校区)の外に出かけることは校則で禁止されていた。"学区外"は休みの日などにバスやクルマに乗って親に連れて行ってもらう場所であり、距離的にも精神的にも日常から離れた特別な場所だった。

ある日の放課後、すれ違った上級生が自転車のハンドルになんとも立派なアメリカザリガニが入った虫カゴをぶら下げているではないか。「どごで獲ったンですか⤴︎」と(福島訛りで)尋ねると「先生には内緒だがンな⤴︎」と耳打ちされ、学区外にある公園の名前を教えてもらった。

友人宅に着いた僕は「モノポリーも人生ゲームも雨の日にでぎっぺ⤴︎」と遊び仲間を説得し、近くの駄菓子屋でエサとなる真っ赤な酢イカを買った。そして以前連れて行ってもらったという仲間の記憶を頼りにまだ砂利道の残る住宅街を抜け、道に迷いながらもなんとか教えてもらった公園まで子供用自転車を走らせた。

釣果は散々だった。公園に着くまでの休憩のたびに酢イカの脚はつまみ食いで数を減らし、かろうじて残っていた貴重な1本もタコ糸の結び方が甘かったせいでアッという間に奴らにもぎ取られてしまったのだ。
それでもみんなはニヤニヤと笑っていた。自分たちの力で遠くまで来たという達成感と、規則を破ってしまったことの罪悪感。これらが混ざり合った一体感は今でも忘れることができない思い出だ(もちろん空腹でかじった酢イカの味も...)。

小学校の高学年になって一気に身長が伸びた悪ガキたちは、変速機やフラッシャー(※)が付いた26インチホイールの自転車に乗るようになり、行動範囲が格段に広がった。放課後になると「学区外さ行ぐべ⤴︎」を合言葉に近所の空き地に集合し、行き当たりばったりでペダルを漕ぎ出すのが日課となった。玄関を出て自転車にまたがれば冒険が始まる。その時から自転車はまだ見ぬ世界に連れていってくれる特別な乗り物となった。

今や外見的にも体力的にもすっかりおじさんになってしまったけれど、玄関を出てペダルを漕ぎだす時の、あのワクワクした気持ちは未だに健在である。そう、自転車に乗れば毎日が冒険なのである。

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本日の1曲 ♪Go Your Own Way/ Freetwood Mac

この文章は'80年代末頃、とあるムック(※)のマウンテンバイク(MTB)を紹介する特集で(ページ数の関係で)ボツになった原稿に加筆したもの。当時僕はまだ20代の半ば、大学生時代にバイトで手に入れたMTBの「走る道を選ばない自由さ」が小学生の頃に学区外に出かけた時と同じ開放感を持っていることに気がついて、街も山も夢中で走り回っていた頃だった。あれから約30年(小学生の頃から約50年!)、相も変わらず"学区"ならぬ"日常"を飛び出すために自転車に乗っている。

 この間、自転車の性能が向上する一方で用途の細分化が進み、最新のモデルが逆に不自由でつまらない乗り物に思えた時期もあった。しかし2000年代の後半から従来の枠にとらわれない新しいジャンルの自転車が次々に登場し、走る場所や走るペース、積む荷物も走る季節も選ばずに、気軽に自転車に乗って"冒険"に出かけることが可能になった。

 ちなみに最後の写真に満面の笑みで写っているのは、尊敬する"ほぼ小学60年生"の大センパイ。こんなダメな、いやカッコイイ大人の自転車乗りが増えると嬉しいナ。

※ムック:雑誌(Magazine)と書籍(Book)双方の長所を活かした刊行物。雑誌の別冊など大判のものが多かった

next:第1章 「冒険」について考えてみる

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