も一度笑ってみせて
Bメロの、ベースラインがいいんよ。
「思い出補正」って言葉があるじゃないですか。
Google先生曰く「過去の経験を美化すること。 悪い所、嫌な所を忘れてしまうこと。」だとか。
自分の中では、「思春期の頃に買ったCD、過剰に心に残りがち」的なニュアンスで捉えているのですが、
今日はそんな「思春期の頃に買ったCD」の、自身の中の現在評価といった内容に焦点を絞り、長文排泄欲を満たしたいと思います。
思い出ばかりを話すのは、老いたる証左に他ならんと、自覚をしてはいるのですが、
いいじゃんおっさんなんだから。
思ひ出諸々
そもそも、現在の私の音楽視聴環境の骨子たる「Apple Music」。
サービス開始から使っていましたが、なんともう7年前からあるってことで、時の流れの速さに卒倒しそうになります。
月額1000円で、ほとんど全ての音楽を聴き放題だなんて、中学生の頃の私が聞いたら卒倒しそうなサービスです。
で、そんな私の中学生当時。
数えれば実に20年も前の話。
当時はAmazonがやっとサービス開始めたくらいで、定額聴き放題なんて夢のようなサービスはもちろんありません。
バイトも許されぬ田舎の中学生であった私は、月々なけなしのお小遣いで何を買うか、毎月悩みに悩み抜き、
それはもう当月分を使ったそばから次月購入分の選定を始めていたほどでした。
「輸入盤なら安いから二枚買えるけど、国内盤のボーナストラックと、和訳・ライナーノーツも捨てがたい・・・」
「しかし国内盤では一枚買ったらもうお終い・・・」
そんなジレンマと毎月闘いながら、Amazonで試聴し、レビューを読み漁り、なんとか選りすぐり購入した一枚一枚は、それはもう思春期の宝物でした。
そんな思い入れの深さ故。
月一枚の大切さで擦り切れるほど聴いていた故。
当時買った音楽たちは、やはり「思い出補正」に彩られ、月額1000円で初聴きしたもの比したとき、どうしたって特別な輝きを放つものなのです。
ただこの「思い出補正」、強いて悪い部分を挙げるとすれば、「その頃を否が応でも思い出させる」という抗い切れぬエネルギーも持ち合わせているという点があります。
いい思い出、幸せな思い出ばかりなら、それもいいでしょう。
しかして思春期などというものは、大概の人の思春期などというものは、心の底に土葬したい、名状し難き黒歴史も内包しているもの。
そんないやーな記憶もまた蘇ってくる、思春期思ひ出ミュージック。
その曲を、アルバムを懐かしんで聴く度に、忘れたいことまで新鮮に掘り返してくるその負のパゥワーは、「思い出補正」の+値をかき消さんばかりです。
思春期の酸いも甘いも鮮明に掘り返す、思い出の音楽。
大人になってからの、僅かばかりの悲喜交々と聴密度に薄められた音楽。
プラマイの振れ幅に差はあれど、プラマイの結果が同じくらいなのであれば、
結論「思い出補正」がプラスに働くというのは錯覚なのかもしれませんね。
こんなことを書いてしまったもんだから、今後は「嫌なこと思い出す補正」の方が強くなりそうで、駄文を連ねた代償としてはいくらか重すぎる気もします。
思春期がいい思い出ばかりの人は知らないです。
お帰りください。
おわり