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【インタビュー】「公園作家」になった大工〜誰にでも許された遊びの場を目指して〜
ここ最近、東京に来たときに滞在させてもらっている友人がクラウドファンディングをスタートさせた。
全国の空き家となった店舗付き住宅を改装し、地域のコミュニティとアドレスホッパーの拠点をつくることで、地域と仕事と若者のHUBになることを目指すプロジェクト。その第一号となる池袋の店舗付き住宅に今日も寝泊まりをしていた。
その改装工事をしているのが今回ご紹介する やまやさん( @natureyamaya )
職人としてリノベーションから一棟建築までなんでもやってきたキャリアを活かすため、一昨年からフリーの旅する大工として独立した。にもかかわらず、「交通費と材料費さえもらえれば大丈夫」と口を漏らしてしまうほどにお金に執着がない。
温厚な人柄だが、ものづくりをするときの顔は真剣そのもの。だけど、みんなでDIYをするときには心の底から楽しそうに笑うやまやさん。しかし、その裏には波乱万丈の人生劇が待ち構えていた。
「家を作る楽しさ」をお届けします
「これ、実はダンボールとかでできてるんですよ。」
壁用の木材を片手に、接着剤の進歩について語る。
そんな、素材の小話を交えつつ、ただいま商店街でフローリングの板はりワークショップが行われていた。
みんなでフローリングを貼りながら、「家って、こんな感じでできるんだ!」を身をもって体験させてもらえた。
やまやさんは前職の工務店に週2〜3日ほど務めながら、DIY講座やリノベーション講座をやっている。自分が関わりたいと思うところには、交通費と諸経費のみで積極的に大工仕事を手伝っている。
「もっと大工になってほしい人をたくさん育てたい。みんなに大工の楽しさを知ってもらうために、自分がやってきたことはなんでもシェアしたい。」
面白いと思ったことに果敢に挑戦し続けるような人に出会えたときに喜びを感じる。この仕事をやってよかったと思える瞬間を聞くと、そう答えてくれた。
「家を作りたい」が言い出せなかった20年
そんなやまやさんが大工を志したのは意外なことに20歳のとき。
小さな頃からものづくりが大好きで、模型やレゴブロックに勤しんでいたものの、教育熱心な両親のためによく勉強をさせられていた。また、中学にはテニス部に入り、猛烈な練習をしていたため、ものづくりからより距離を置くことになった。
都立高校に入り、両親の言われるままに勉強漬けの日々を送っていたある日、何もかも嫌になってしまう。大学には進まず、PDS(親子関係修復を目指す人間塾)に進む。両親からの反対はあったが、そこで2年間対話プログラムを受講する。
「例えば、冷たい水を『これはお湯だ』と言って渡されるようなもので、両親の愛を受け取れていなかったんだってことに気づいた。そういうことをわかって、初めて自分がこの世界にいることを許された気がした。」
人からの愛を受け取れるようになった。やまやさんはその後、自分との対話を繰り返す中で、「大工になりたい」という夢を見つける。両親の仲介もあって、親戚の知り合いの山形の工務店で見習い大工となった。
ゴミにして壊す、からの卒業
建築を学んでいたわけでもなく、実戦経験があるわけでもないやまやさんにとって、山形での大工修行はまさに新しいことの連続だった。
「僕のような何もできない人間がいきなり人のお世話になる。これのおかげで初めて感謝の仕方を知れた。そういう人の優しさを受け取れたし、自分が追いかけていた幸せだけじゃないんだってことも知ることができた。」
そのことをもっと活かしたいと思い、再び東京にもどる。
フリーランス大工の集まり、新築戸建住宅のベンチャー、リノベーションの会社...。プロの大工として数多くの現場に携わった。
山形では伝統的な日本型在来建築をしていたが、東京に来てからは大工の最先端を知り、スクラップ&ビルドのスピード感を学び、今までやってこなかった都市型アパートの改修まで実にいろいろなことを学んだ。
「ガンガン壊して、ガンガン作っていっても成り立ってしまうことが衝撃だった。だけど、一度ゴミにしないと新しいものを作れないサイクルがどうしても好きになれなくて、今ある良いものを活かした建物作りをしたいと思った。」
山形で学んだのは元からそこにある伝統的な街並みを財産にする取り組み。東京で学んだのは新しいものをどんどん取り入れてアップデートしていくこと。
「実用的なものは作りきったから、次はもっとファンタジックなものをつくりたい。なら自分の力を使って、かつての自分を救われたような誰からも何かを求められない遊べる許される場所を作れるのかも知れない。」
独立した当初、「旅する大工」として活動することを勧められた。実際に、旅が好きだし、依頼があれば全国どこにでも行くし、そっちの方がわかりやすいのかもしれない。
けれども、わかりやすいものを作ることに飽きたから独立したのだから、もっとわかりにくいものでいい。誰にでも開かれていて、感情をだして遊べる場所、まさに公園のような場所を作りたい。
そのことを友人に相談したところ、「公園作家」と名乗ることを勧められ、それを名乗ることにした。
目指すのは公園のような「居心地の良い場所」
自分が受け取りたいと思ったものを受け取れる状態であれる場所。
誰かが受け取りたいと思ったものを送ることができる場所。
自分が思っているものと、相手が自分のためを思って送られるものの温度差がない場所。
そんな誰にでもゆるされた場所をもっとたくさんつくりたい。
感謝は思ったから伝えられるのだから、そうやって何かを自由に思ったり、感じたりできる場所をつくりたい。
みんなが考える楽園のような場所をつくりたい。
やまやさんに「どんな場所を作りたいか?」を聞いてみたら無限の答えが帰ってきた。
それは、人から見ればまとまりがなく、一つに絞った方がいいと思えるのかも知れない。
しかし、やまやさんはいろいろな形の幸せが人々の中に無数に存在していることを知っている。だからこそ、何か一つに収束しないで、わかりにくい方がみんなのためになるのかも知れないと考えている。
「僕が東京に帰ってきたのは山形で経験したことを活かしたいと思ったから。あの場所で、僕の求めていたものではない幸せに出会って、一人一人の幸せに触れられて、自分もそこにくわわれたことがたまらなく嬉しかった。そう感じられるような良い場所をどんどんつくって、それを伝えていける人になりたい。」
職人は語らない。人がつい語りたくなるものをつくる。
不器用ながらも、なんとかして伝えようとしてくれるやまやさんを見て、言葉で書ききれないほど大きな信念を見た。
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取材・文章:北 祐介
写真:北 祐介/立野恵祐
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