手前味噌的なDAO&メタバース実験・バーチャルまちづくりで何をやってきたのか〜キタキタ編〜
今年も我らのバーチャルまちづくりDIY都市・令和市の終わりが近づいてきた。(7/24崩壊予定。現時点で残り13日)
令和市の暦上、早いもので2年目を終えようとしているが今年は僕らがやってきたことを世の中が後追いし始めようとする空気がやってきた。
このまま突き放してやるのもいいが、バーチャルまちづくり老人会(今作った)の一員として、これから出てくる若い世代(もちろんバーチャル上での。実年齢ではない。)のために遺産を残しておこうと思い始めた。
ここに「バーチャルまちづくり講座つくりプロジェクト」のスタートを宣言する。
どことやるのかはわからない。とりあえず、声をかけ始めているが、なるべく大きくやれるところがいい。
今は「大きくしていく」方向で声かけを始めている段階だが、もしこの記事を見て「私も何かしらで関わってみたい!」という人がいれば、ぜひ声をかけてほしい。令和市にその入口を設置したので、令和市が消える前にアクセスしてみてほしい。
Q.誰にでも開かれていて、多様性が認められている自由な場所ってあるんでしょうか?
A.ある。正確にはなかったからつくった。
僕自身の話をすると、令和市立ち上げ以前にはそういう場所を一人一人がつくれる力を持てるように、自分自身の手で自分の居場所を作りながら好きな場所を選べるようにと願いながら18歳以降行動してきた。
最初期はワークショップをしながら瞬間的にそういう場を作ってきたが、常設拠点を地元福岡に作ろうとした。そこに「GroundMole」という名前をつけた。
しかし、自分が生まれ育った福岡という街を甘くみていたために、この場所が必要な人と巡り会うことができなかった。というか、そもそも僕自身が福岡の居場所のなさと生きづらさから自然と福岡から距離を取るように東京へ進学しようとしてた節があったので、相性が悪かったのかもしれないと。(いろんな高校生たちと出会うことはできたけれど)
復学と就業の関係で舞台を和光に移し、一年ほど地に足をおろしてやってみたところ、GroundMoleは当初の想定通りの居場所としての機能を果たすことができた。
ただ、この時期は自分自身の生活があまり成り立っていなかったこともあって、大学を出るタイミングで閉じることになった。
その後、奈良の山奥に拠点を移し、ひそひそとGroundMoleを続けていたが、その拠点からも出ることになったために、しばらくGroundMoleの活動をお休みすることにしたが、2020年某流行り病の影響もあって、木津の河川敷に不定期でGroundmoleを復活させることにした。
….ここまでは令和市以前の話ではあったが、GroundMole木津のスタートの翌年の1月に「この一年で進んだ分断に対してどのように生きていくべきか?」を某友人と話し始める。
某友人は閃いた、「バーチャル自治体をつくろう」と。
その友人も僕と同様に、誰にでも開かれていて多様性が認められる自由な場所づくり(というか世界作り)をしてきたベテランだったためにすぐにスタートをすることができた。
僕は初めての令和市で令和市民大学を作り「分断されたみんなが見てきた世界をシェアする場」をつくった。
令和市民大学はその後自主的に立ち上がったいろいろな講座の集まる場所になった。
Q令和市はどのように人を集めたか?
A.↑のような場所をこの世界に出現させることでそれを必要だと考える人たちが集まってくれた&みんなが引きこもっているときに「やあやあ」と積極的に出かけていった。
実は去年の10月頃から完全にアフターコロナになっていた。
令和市第一期の頃は世間と歩調を合わせてウィズコロナ的な匂いを出しながらことを進めていたが、511のリアルイベントや令和市オフ会&令和市合宿など積極的にオフの機会を作り出し続けた。
その結果、バーチャルで出会った人たちとの絆を強くし、さまざまなプロジェクトを立ち上げ進めることになった。
バーチャル自治体なお隣さんに積極的に遊びにいくことで、新しい令和市住民を迎えることもできた。
第一期は【シェア街】や【Robloxで世界を創ろう!】と、第二期はそこから三茶のインドことモテアマスと不平等条約を結んだり、今年新しく生まれたFuturistコミュニティやニンジャ寺子屋との交流もできた。
↑あまりにも不可解なプレスリリースも打たれていた
令和市を舞台にいろいろな施設が生まれる。
↓
そこが何かしらのコミュニティに変わる
↓
令和市が終わる
↓
人の繋がりだけが残る
↓
令和市が復活する
↓
再び令和市を舞台にいろいろな施設やプロジェクトが生まれる
かくして、令和市は地道に人口を増やしていった。
なお、来年の令和市がどのような形で復活するかは不明のままだ。今年の令和市の復活のセレモニー会場をつくりはしたが、既にみんなが令和市が復活するものとして動き出していたから同じような感じで復活していくのだろう。
↑今年の復活の様子
Q令和市は何を目的に存在しているのか
A.2021年当時のみなさまはこんなふうに思ってくれていました!
すごくワクワクしてきませんか?
こちらはデザイナーの森倉ヒロキ氏が令和市のロゴをつくるワークショップを開いてくれたときにヒアリングして作ってくれたもの。
まだ生きていても楽しいらしいよという明日への希望。
今こそ必要ですよね。
Q令和市はどのようにして形作られてきたか?
A.最初はとにかく巻き込んだ。あとはみんなが「やりたい」を口に出してくれたので、とりあえず全力でサポートした。=誰でも何かを立ち上げることができた!
イベントもリアル拠点も自分の手で作ってきたから、そこでやってきたことをシェアしてきた。
「そういう場所があったらいいなぁ」と言っている人に「もうあるよ」と言って巻き込んだ。
みんなで相談に乗った。
とりあえず顔を出しまくった。
たまに反応した。
ただ、一つ分かったのは何かしらプロジェクトがあったほうが盛り上がりは維持しやすいし、何かコンテンツがあったほうが人が来やすい。
どちらかと言えばコンテンツ提供側だったので人のきやすさをメインにつくっていたのが去年だったけど、今年はたくさんのプロジェクトが立ち上がってくれたおかげでどのコミュニティも大きく盛り上がってくれていた。
今年はバーチャルまちづくり連合ミーティングを毎週火曜日に欠かさずやってきた(というかやってた。僕自身は夜遅かったのであまり参加していない)。それが盛り上がりを維持できた原因か。
大事なことは令和市では誰でもプロジェクトを立ち上げることができて、誰でも好きな施設をつくれるということ。
ちなみに今年は、令和市特産品センターにて特産品をつくるプロジェクトが、令和市フリーペーパープロジェクトにて令和市のフリーペーパーが完成した。どちらの発起人も今年から令和市民になった人だ。(しかも途中参加)
新施設の例として令和市放送局ができた。こちらの人物はまだ顔も見たことがない。
Q令和市はどうやって遊びに行く場所をつくったか?
A.Robloxでワールドをつくり、オープンチャットで日常的なコミュニケーション、zoomで会話して、合宿で集う
ご存知の通り、令和市はどこにでも存在しているので、「ここが令和市だ!」と言えばそこが令和市になる。
第一期では令和市の都市をRobloxStudioという3Dモデリングツールで受肉させた。
↑NFTの土地の路上販売が行われていたらしい
↑NFTの路上販売の様子
↑バーチャル梅収穫などもしていたらしい
↑リアルな梅収穫も同時並行で
↑地下鉄もあるよ!
遊びに行く場所がなければ作ればいいじゃない!のスタンス。
Q令和市はどのようにして新しい技術を取り入れたか?
A.新技術を見つけるたびに遊んで実装した
アプリ作りたいなと思ったのでノーコードのアプリつくりを勉強→実装した
DAOもとりあえず作った(っぽい)
Robloxを紹介されたらすぐに令和市の土地を作った
学んだことがすぐに実装できる。これがいいところ。逆に言えば、学んだものをアウトプットする場があるっていうのでテンション上がっているのかもしれない。
僕のような人間が令和市には少なからず存在しているので、自然と新技術が導入されてくる。導入にあたって市民講座がどんどん開講しているのも良いところか。
Qバーチャルまちづくりで何ができるのか?
A.まとめてみた
うちには教育と居場所作りと交流の機会。
外には学んだ技術を輸出したり、実際に物品を作ることを通して世に出てみたり。みんなでプロジェクトをやってみたり。
存在自体がアートで、そのアートをやるために技術を学び、アートの支えとして哲学があり、世に発信するためにデザインする。
色んな領域で役立てるね。
Q現実世界でできないの?
A.できるっしょ!!!まずはみんな慣れようぜ!
バーチャルまちづくりを継承したい1番の理由はこれかもしれない。
自分で世界を創れる。世界を創れるなら変えられる。
国家なんて所詮共同幻想。
どの共同幻想に足を突っ込むかで世界はいくらでも変わるし、その数が増えれば本当に世界が変わる。
安心のために昨日までの世界を望んでいる人が多いけど、もういらないでしょう。新しい世界に行きたくない?なんだったらいいように作りたくない?
日本の夜明け?世界の夜明け?いや、夜は明けているから目を覚ますんだ。
俺はもう昨日までの世界にはいない。既に新しい世界にいるんだ。
密会のお誘い、お待ちしております。
もう、今までの世界にはいれないので今のうちに。
最後まで読んでくださってありがとうございました! サポートもらえると、テンション上がって更新ペースが上がるかもしれません。