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芦原空手にみる「技術が精神を体現させる」

戦わず制する空手が芦原カラテ

高校生の皆さん、元気ですかー!
さて、戦わずして勝つ、図で出したんですが触れてない絵がありましたね。芦原空手(あしはらからて)です。

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皆さんは聞いたことあるかなあ。
「空手に先手なし」。

空手は絶対に先に手を出さない、理不尽な攻撃を受けてやむにやまれず、一撃必殺の手足を唸らせる、という空手の基本的な精神のことだ。

しかし、これを広義にとると、空手は自分の、相手の身を守る武術、ということになり、時と場合によっては先手、ということもありうる。こちらがやらなきゃやられる、という場合だ。

武道とは「状況判断」だ

いずれにせよ、武術、武道というものの極意は、「状況判断」だと思うんだ。その時の物理的な状況、自分のその時抱えている問題、自分の置かれている立場、などなどで最適な判断をする、これが武道だと思う。

そして、この判断力を有形無形の試練(試合、練習、実戦等)の中から磨いていく、これが武道の修行の心得だと考える。

芦原空手は、極真カラテから分派した、“ケンカ10段”芦原英幸氏が創設した空手流派だ。伝統派ではなくて、フルコン派と分類される。

さて、芦原空手をわざわざ取り上げたのは、空手の中でも「戦わない」をその理念と技術体系の中に色濃く出しているからだ。もっと正確にいうと、戦わないのではなく、卓越した技術で相手を封じ込めてしまうのだ。突き、蹴りも使うが、あくまで威嚇に過ぎず、目的は相手を傷つけずに制することだ。それは芦原英幸氏が作り上げた独自の型を見れば明らかだ。


まずは相手の攻撃を受ける、から始まっているけれど、とにかく攻撃をかわして円の動きで自分のからだに相手を巻き込んで動けなくし、最後トドメの動作を入れる、これが全ての型に共通したカタチだ。

言ってみれば、空手と合気道をミックスしたような武道、それが芦原空手でだ。芦原カラテでは、その相手を制する技術のことを「サバキ」と呼んでいる。

芦原カラテの中にある相手を傷つけないという精神性

芦原先生は難病で早逝されたが、生前僕は合宿でその神業を眼前にしたことがある。非常に柔らかいんだよ、動きが。相手の突きや蹴りをまるでスポンジのように吸収して、と言うよりも無力にしてしまい、円の動きで相手を制すると言うよりも動けなくしてしまう。

一切攻撃的なところのない空手、それが芦原空手だ。

常に相手をケアしていることが、動きからうかがえる。型などは、派手なトドメの突きや手刀が最後に来るけれど、絶対に当てない。これこそが、芦原カラテの精神だと思う。それを立派に体現させているのが、技術体系だ。

芦原カラテが見せているのは、技術こそが精神を創る、ということかも知れない。

稽古なども、よくフルコン流派であるようなドつき合いなど決してやらせない。

今芦原空手は、盛んに試合をやっているし、新極真カラテの世界大会などで常に上位に食い込んでいるくらいの、実戦でも名高い流派になってはいるが、僕が一時期在籍していた、もう40年くらい前のことだが、初代がご存命の頃は「試合はやるな」とおっしゃっていた。

あくまでディフェンスこそが、芦原空手の命だというふうに僕は解釈している。

戦わずして勝つ、これを少し拡大解釈すると、相手が襲ってきたときには、火の粉は払わねばならないから、防戦するということだ。しかし、戦わない、つまり相手を傷つけずに制する、これも戦わずして勝つ、に列することが可能と考える。芦原空手は、孫子のこの教えを体現していると言えるのではないだろうか。

接近戦で戦わずして勝つのが孫子流の勝利


戦いがどうして始まるか、確かに将軍の号令一下いくさが開戦することもあるが、多くは、敵が至近距離にいて攻撃してくるとか、こちらが攻撃するとか、つまり接近戦から始まるのではないだろうか。

ビデオを見て分かる通り、芦原空手の妙味は接近戦にある。しかし、接近戦を挑まれても、芦原空手は戦わない。つまり相手の攻撃を捌きながら相手のバランスを崩して、円の動きで巻き込んで動けなくして、トドメを打つぞと威嚇し、相手を降参させる。

戦わずして勝つは相手を傷つけないという、やさしい精神であり、技術の優秀さである。精神を体現するには、技術から。それが芦原空手の「戦わずして勝つ」ではないかと、考える次第だ。

今日も最後まで読んでくれてありがとう。

明日また会うのを楽しみにしている。

                             野呂 一郎


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