戦争も「ストーリー」の時代なのか?
この記事を読んで、あなたが得られるかも知れない利益:ハマスvsイスラエルは、「人道危機の戦争humanitarian-crisis war」という主張を検証する。知らず知らずのうちに、誰かが仕組んだ「ストーリー=ナラティブ」にやられる世界の現実を、中東紛争に見る。
ハマスの戦略は成功したのか
The Wall Street Journal電子版2023年11月15日号は、Gaza Is the First Humanitarian-Crisis War(ガザは最初の人道危機の戦争)と題して、
今回のパレスチナ過激派ハマスとイスラエルの衝突には、現代の戦争の新たな側面があることを主張しています。
僕もこのタイトルを見た時に思ったのです。
「人道危機」のない戦争なんてあるのかよ。
The Wall Street Journalの解説は、こうです。
ハマスは、人々に意図的に予断を与えた、ということなのです。
予断とは、前もって判断することで、要するに、この戦争を通じなにかのイメージを人々に抱かせようとした、というのです。
記事の説明によれば、10月7日のハマスによる、イスラエルの攻撃はひどいものでしたが、これは「イスラエルの報復」をさせるためのワナ、だったというのです。
事実ハマスの10・7作戦は、「できるだけ多くのイスラエルの民間人を殺せ、そして人質としてガザに引っ張ってこい」というものでした。
この非人道的な行為は、当然のことながらイスラエルの報復を呼ばずには起きません。
しかし、これこそがハマスの戦略だったのです。
ナラティブという新戦略
ここ数年、経営学で「ナラティブnarrative=物語」という手法が大きく取り上げられています。
ナラティブをストーリーと呼ぶ向きもあります。
主にマーケティングで応用される概念ですが、製品やサービスを物語化することで価値を付与し、消費者とのラポール(rapport友愛関係)を強めようとする手法です。
経営学側の僕としては、政治が経営学の知見を取り入れたのだ、と思いたいのですが、The Wall Street Journalの解説はちょっと違うようです。
政治におけるナラティブの元祖は、「不都合な真実“An Inconvenient Truth”」を書いた、当時のアル・ゴア米副大統領だ、というのです。
では、このナラティブの目的は何だったのか。
それは人々に「環境保全に対して、何かやらなくてはならない」という強迫観念を植え付けることでした。
しかし、それは社会をやたらコストをかける行動に駆り立てただけで、結局なんの効果もなかった、というのです。
うがった見方をすれば、ナラティブとは、ある目的を本当の問題から、人々の意識をそらすことです。
その意味で、アル・ゴアの「不都合な真実」は大成功でした。
じゃあ、本当の問題とは何だったのか。
ここでは、言わないことにしましょう。(笑)
10・7イスラエル攻撃は成功だった?
ハマスの10・7の民間人への、卑劣な攻撃はナラティブを作ることでした。
ナラティブのテーマは「非人道的な戦争」です。
イスラエルはハマスの読み通り、非人道的な報復を仕掛けてきました。
ハマスの本部がその地下にある、とのエクスキューズを掲げ、多数の幼児や老人が収容されている病院を空爆したのです。難民のキャンプも、です。
その目的は世界の目をハマスの10・7の非人道的な攻撃から目をそらせ、イスラエルの残虐さをクローズアップさせたこと、でした。
もう一つの理由は、イスラエルの分断です。
今回の復讐劇で、その目論見通り、イスラエルは二分されました。
10・7で怒り狂う犠牲者と強硬派の支持を取り付けたいネタニヤフ首相と、穏健派の対立が深まったのです。
その意味で、ハマスのナラティブ戦略は成功したのです。
しかし、The Wall Street Journalは、それを否定します。
知らずのうちにナラティブにやられる世界
僕らは誰かが仕組んだ「地球温暖化」というトリック、いやナラティブとやらに、すっかり洗脳されてるんじゃないでしょうか。
これはアル・ゴアが創始した巨大な物語でしたが、考えてみると、意表をついた切り口といい、表面的な説得力と言い、ヘタレの副大統領が書いたものでないことは明らかでした。
誰かがそれこそ、不都合な真実を隠すために、この本を書かせたんです。
プロパガンダ、だったのです。
巨悪は他にいるんです。
パレスチナで起きている、人道危機もナラティブが作ったものなのです。
誰かが人々の目をそらすために、物語をつくっているのです。
いやいや、これはあくまで一つの見方、ですよ。
マスコミは「気候問題」とか、「グローバリゼーションの終焉」だとか、マさもそれが当たり前のように時代のキーワードにしています。
ストーリーに乗っかることは、思考を放棄していることではないか、そう危惧するのです。
野呂 一郎
清和大学教授
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