経営学の立場から玉川徹氏を弁護する
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:あえて火中の栗・玉川徹氏を弁護する。ただし、経営学の立場から。人的資源管理〈HRM〉とは何か。トップ画はhttps://www.google.com/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Fagora-web.jp%2Farchives%2F2044892.html&psig=AOvVaw0oulAsRA_CVFSUcYrKF06Z&ust=1665284134689000&source=images&cd=vfe&ved=2ahUKEwj72NP70M_6AhXPTPUHHVLPAXwQr4kDegUIARDKAQ
マーケティングの問題
羽鳥慎一モーニングショーのコメンテーター、玉川徹氏が番組内で安倍元首相の国葬に関し、電通の関与を指摘し、それが間違いであったとして謝罪しました。
バッシングの嵐はやまず、その後玉川氏は10日間の番組出演休止という処分を受けたのは、皆様御存知のとおりです。
経営学の立場から、意見を述べたいと思います。
まずは、マーケティングの立場からは、玉川さんはまっとうなことを言っているということを指摘したいと思います。
国葬は、ある意味自民党にとって、最高のマーケティング機会です。
もちろん、故人の偉大な業績をしのぶという厳粛な趣旨で行うわけですが、その内容によっては政府自民党が批判されたり、逆に称賛されたりすることになります。
政府はまず、批判されない式のあり方を考えると同時に、戦略的にこれを利用しようとするのはある意味当然です。
いや、スバリ言うと、国葬は自民党の興亡をかけた関ケ原だったのです。
ましてや国民の半数以上が国葬に反対で、デモが繰り返され、岸田内閣のピンチと言っていい状況です。
これを跳ね返すには、「いい国葬だった、やっぱりやってよかった」という声が聞かれなければなりません。
そのためにもっとも重要なポイントは、誰が見たって弔辞の段です。
誰がそれをやるか、そしてその内容はどうするか。
これに関して、相当協議が行われたことは間違いありません。
菅元首相が仮に一字一句自分で考えたにせよ、組織的にそれが妥当で、メッセージとして適切かつ効果的なものかについては、スピーチライターを含めた専門家たちで検討し、練りに練ったものであることは当然ですし、プロセスとしてそれを踏まなければ組織のテイをなしていません。
経営学の立場からするとそれは、マーケティングにほかなりません。
玉川さんはそれを「演出」とわかりやすい言葉で言っただけです。
はたして、菅元首相は、焼き鳥屋で安倍氏に数時間にわたって口説き、再登板を諒解させたというスピーチにつながるわけです。
これは菅さんのお人柄も反映し、菅さんの「人生最高の達成」というキーワードで安倍氏を持ち上げる非常に効果的なメッセージになりました。
最後に故人が山県有朋の本をよんでいたというくだりは、戦略性が強く感じられます。
山県有朋は安倍元首相と同郷の山口県出身、徴兵制を定め日本の独立を守るためには軍備増強が不可欠との持論で知られた人物です。
さり気なく安倍氏の愛読書として山県有朋を引用するのは、自民党の今の姿勢の暗喩だとも言えるでしょう。
スピーチでは、安倍氏を「総理」と呼びかけたのが秀逸だったと思います。
あえての「総理」という表現に、菅氏の思いが込められていました。
全体として、友人代表の弔辞というトーンを守りながら、菅氏の人柄もにじませ、静かな調子であるがゆえにメッセージの中核にある自民党の主張を高らかに響かせたのです。
マーケティングの観点からは、満点に近い出来といえます。
玉川氏は正論を言った
玉川氏が「演出」だ、といったのは、経営学的に言えば国葬はまたとない政府のマーケティング機会であり、これを最大限効果的にしない手はない、という意味に過ぎません。
表現は誤解を生むかもしれませんが、言っていることはそのとおりでまっとうです。
電通という固有名詞を出したのがうかつでしたが。
菅さんが自分で書いた書かない、問題はそこではありません。
このスピーチは、組織的な戦略に基づいて行われた、ということです。
目的は3つ、です。
国葬反対派へのアンチテーゼを唱える、国民の安倍氏への思いを拡大させる、自民党の方向性を伝える、ことです。
玉川氏はそれを「演出」と言ったのであり、電通というワードは視聴者にわかりやすい「たとえ」として出したリップサービスでした。
しかし、このリップサービスには、誰も指摘していませんが大きな謎掛けがありました。
それは「自民党のプロパガンダに引っかかるなよ」という警告です。
でもそれ見たことか、マスコミを中心にいまや「山県有朋ブーム」が起こっている始末、です。
「もうプロパガンダに引っかかっている、そこじゃないだろ」、謹慎中の玉川氏は忸怩たる思いと推察します。
「電通」という言葉は、「巨大で巧みなプロパガンダに気をつけろよ」という、玉川氏一世一代のリスクを賭けたメッセージあり、実は失言でもなんでもなかったのではないでしょうか。
玉川氏出勤停止の不可解
今回玉川氏は謝罪のみか、出勤停止10日の処分を受けたのですが、経営学的に反論するとこうなります。
演出と玉川氏が言ったことは、マーケティングだととらえれば正論、と今申し上げましたので、それ以外で経営学の立場から気になることを申しあげます。
1.エビデンスがない
今回電通が関与してなかったのに、玉川氏が「電通が演出した」と言明したことが処分の一つの原因でした。
しかし、電通側が「関与してない」ということの証拠は、電通側の弁明のみのようです。
電通が「ないよ」と言ってるから、ない、はおかしいでしょう。
人を処分するならば、客観的な調査が必要ではないでしょうか。
うがった見方をすれば、あれだけはっきり電通というワードを出しているのは、「知ってるから」ともとれます。
また、契約書と言うかたちでなくても、アドバイスという間接的なサポートがあれば、それも電通の関与だということもできます。
それも含めて調査したのでしょうか。
2.言論の自由の問題
言葉の適切性というのはあくまで社会的な問題であり、基本的には言論は自由であるべきです。その意味で「失言」は存在しません。
言葉に対する責任を取らせる社会的な道義は理解できるが、報道機関として「失言」で社員に懲罰を与えることは、報道の自由、言論の自由を自ら放棄したことになるのではないでしょうか。
アメリカなら、報道の自由、言論の自由を保証するファーストアメンドメント(アメリカ合衆国憲法修正第一条〉違反に問われると思います。
3.人事権の濫用
10日間の出勤停止という処分は内規に基づいてのものでしょう。関係者の処分もあったとのことですが、これは現代のHRM〈人的資源管理)の「人間性」つまり人にやさしく、という方向に逆行しています。
世間のバッシングを沈着化するためにやった感、があります。
そうではなくて、玉川氏の人権をまず尊重し、組織としてのパーパスや使命、報道機関としてのポリシー、その他を勘案し、あくまで従業員を守る姿勢をとるのが、現代の人的資源管理という学問の立場からの方向性です。
詳しくは野呂の拙著を御覧ください。
今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
では、また明日お目にかかるのを楽しみにしています。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー